SNSを震撼させた鵺(ぬえ)=レッサーパンダ説はこうして生まれた! 意外な妖怪の真実とは?
公開日:2018/9/3
2016年、ある妖怪の正体に関する仮説がSNS上を騒がせた。それは、平安時代にあらわれたといわれる妖怪「鵺(ぬえ)」は、絶滅した大型のレッサーパンダだったのではないかというものだ。『古生物学者、妖怪を掘る 鵺の正体、鬼の真実(NHK出版新書)』(NHK出版)は、この「鵺=レッサーパンダ説」を提唱した古生物学者、荻野慎諧氏による“妖怪古生物学”の指南書である。
妖怪古生物学とは、「怪異とされたものを古生物学的視点から見つめ直してみる」その手法のことであると本書では定義されている。古い文献に記された不思議な生物・異獣の姿を小さな手がかりから推測し、その正体を解き明かす――これを、化石を発掘してつぶさに観察し、生きているときの姿を復元するがごとく、また古代の生物の分布など時間空間的な視野も取り入れて、古生物学的アプローチから「妖怪」を解説しようというものなのである。
すると、かなりアカデミックな難しい本なのではないか…と思うむきもあるかもしれないが、まったくそうではない。ここで、著者の荻野氏が提唱する鵺=レッサーパンダ説をおさらいしておこう。
鵺は『平家物語』や『源平盛衰記』に登場する化物のことで、複数の動物の特徴が合成されたキメラのような姿が記されている。鵺とはそもそも夜の森で鳴くトラツグミという実在する鳥の異名であり、それと似たような不気味な声で鳴いていた、ということから、この化物自体を鵺と呼ぶようになった。
『平家物語』では、化物は顔がサルで胴体がタヌキ、手足はトラで、尾はヘビであるとされている。しかし、『源平盛衰記』では、尾がキツネであると記されている。氏はそこに注目した。さらに、大型のレッサーパンダの化石が新潟県で発掘されたことや、鳴き声、夜行性であることなど数々の描写から、「レッサーパンダっぽい」ことを裏付ける特徴を見出すことができたという。ただし、ポイントは「っぽい」というところだ。
読者の方々が思っている以上に、おそらく私自身がこの説を支持していない。
「鵺はジャイアントレッサーパンダだと思います!」などと言われても私自身が困惑する。
と本文やあとがきにあるように、荻野氏はこの説を学術的な「世紀の大発見である!」としているわけではないのだ。これらの一文を読んだ際には、思わずブッと吹き出してしまった。
つまり、第一線で活躍している学者の先生が、専門分野の知識を動員し大真面目に「死力を尽くして(本文より)」妖怪について考察して遊んでいるというのが本書の正体であり、醍醐味なのである。そこには、妖怪への愛はもちろん、実用的なだけではない、人間の“知”への探究心や好奇心をかき立てる科学のおもしろさをあらためて伝えたいという心意気が感じられる。
本書では、上述の鵺のほかにも、鬼のツノへの考察(まさかのオチがある)や、1つ目の妖怪と化石について、また、江戸後期の地誌『信濃奇勝録』をもとに限定された場所のさまざまな怪異への考察なども掲載されている。1冊で妖怪と古生物学のおもしろさを感じ取れる知的エンターテイメント本といってもいいかもしれない。
ひとつのものごとに対して「なぜ? どうして?」と不思議に思い、それを解き明かしていく楽しさやわくわくするような気持ちは、何も子どもだけのものではない。本書は、そんな大人の心に眠っているセンス・オブ・ワンダーを呼び起こしてくれる1冊ではないだろうか。
文=本宮丈子