冬季オリンピック開催前の街で、3人の脱北者が抱えていた「羞恥」

文芸・カルチャー

公開日:2018/9/4

『羞恥』(チョン・スチャン:著、斎藤 真理子:翻訳/みすず書房)

 2020年の東京オリンピックの話題が連日メディアを騒がせているが、半年前にあった平昌オリンピックのことを、今思い出す人は果たして何人いるだろうか?

 わずか3週間足らずのオリンピックのために、開催地周辺では大規模な施設建設がおこなわれた。現在韓国内では山肌がむき出しになった跡地などを巡って、復元か保存かで意見が割れているという。

 チョン・スチャンの小説『羞恥』(斎藤 真理子:翻訳/みすず書房)は、冬季オリンピック開催が決まり選手村建設が進んでいた頃の、平昌を舞台にした小説だ。

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 おもな登場人物はトンベクとヨンナム、そして「私」ことウォンギルの3人で、いずれも北朝鮮からの脱北者だ。それぞれ中国やモンゴルなどを経てなんとか韓国に辿り着いたものの、脱北者は韓国では「異邦人」だった。そしてトンベクとヨンナムは家族と生き別れ、「私」はモンゴルで精根尽き果てた妻を捨て、娘のカンジュだけを連れてきた過去を持つ。

私たち三人はいずれも、生き残ったことへの羞恥心を抱えていた。三人の中で最初に来たヨンナムは何年も家族を探していたが、その後は家族の話を一切しなかった。

 同書は6ページ目にして、タイトルとなった彼らの『羞恥』をまず明かす。そしてその直後にトンベクが、黄色い染料をかぶって自殺したことに触れる。ヨンナムは「私」にその理由について、こう語っている。

「最後まで恥を忘れたくなかったんだな」

 1か月後、突如ヨンナムは江原道の「冬季オリンピックを誘致した市」に移住する。ほどなくして市のオリンピック選手村建設地で、民間人の遺骨が大量に出土し、国中が大騒ぎとなる。朝鮮戦争時に人民軍(北朝鮮)に殺されたのか、米兵に殺されたのか。人里離れた郊外で自給自足をするヨンナムと、彼を訪ねた「私」とカンジュたちは、真実を追及するために選手村建設を阻止したいデモ隊と、さらなる経済発展を望む人たちの狭間に立たされることになる。オリンピックを成功させたい保守派は地域の老人に金を渡し、オリンピック決起集会を連日おこなうようになるが、保守派にとってヨンナムや「私」は、同胞ではなく北朝鮮の「アカ」だった。そんな中ヨンナムは懺悔がテーマの劇への出演を持ちかけられ、劇に心を奪われていく。

 なぜヨンナムは懺悔劇の出演にこだわったのか。それは彼が抱える『羞恥』が原因となっている。物語のラスト近くでヨンナムは「私」に羞恥の理由を告白するが、その辛さと恥の気持ちは、読み手の心に深く突き刺さる。

 3人が北朝鮮でどんな暮らしをしてきたかについては、ほとんど触れられていない。しかしこの世の地獄を抜け出して目指した先は、中継地も含めて地上の楽園どころか、違う意味での地獄でしかなかった。物語のクライマックスで「私」はようやく希望を手にすることができるが、それはとてもささやかなものだ。資本主義社会で生まれ育った人間にとっては当たり前の希望なのに、彼は多くを失ってようやく手にすることができるのだ。

 ウォンギルたちが北朝鮮に生まれたのは、彼らの責任ではない。家族と別れても生きるために脱北を選んだことも、本来なら責められる筋合いはない。なのにこの小説では羞恥を感じなくてもいい人ばかりが羞恥にふるえ、自身を少しは恥じた方がいい人物はいずれも、平然としている。この状況が現在の韓国を描いているなら、南北統一を目指す前にやるべきことがあるのではないか(少なくとも命からがら逃げてきた人たちを、「アカ」呼ばわりするべきではない)。

 訳者の斎藤真理子さんは巻末の解説で、主人公たちの生き延びたことへの罪意識や羞恥は脱北者だけでなく、

あらゆる戦争や大量虐殺、災害を生き延びた人々に共通の痛みである

 と書いている。そして、

著者が、羞恥に強くフォーカスすることで浮き彫りにしようとしたのは、移動に伴う孤独の深さかもしれないと思う。その孤独に照らされることによって、著者を含む韓国社会の貧しさ、侘しさがいっそう浮き彫りになる。

 とも言う。確かに経済発展を第一に考える空気の中で、徹底的に踏みつけられる3人の中年男性には、侘しさが漂っている。しかしそれは彼らを受け入れる余地のない韓国社会そのものの、侘しさの投影とも言えるのかもしれない。

 決して楽しい気持ちにさせてくれる小説ではない。しかし絶望だけに彩られているわけではないし、フィクションとはいえ韓国人の脱北者に対する現実がわかる。ただこの小説は本国では、2014年に刊行されている。当時の朴槿恵大統領は、政権に都合の悪い報道をさせないためにマスコミに圧力をかけ、反共を訴える極右団体に資金援助もしていた。しかし現政権下では、ヨンナムと「私」を苦しめた類の人物への風当たりは、強いものになりつつある。これから韓国に住む人の心がどう変わっていくかは、未知数だ。

 また『日本に生きる北朝鮮人 リ・ハナの一歩一歩』(アジアプレス出版部)著者のリ・ハナさんをはじめ、脱北者は日本でも暮らしている。そして日本は2020年だけでなく、26年冬季オリンピックにも立候補を検討している。平昌だけではなくオリンピック施設跡地の多くが廃墟化していることと、脱北者と彼らが抱える『羞恥』は、決して海を隔てた遠くのものではない。その人数が少ないゆえに、目を凝らさないと見えないかもしれない。しかしこの『羞恥』は確かに、日本にも存在しているのだ。

文=朴 順梨