「青木ヶ原樹海」――わたしたちはなぜ、樹海に惹かれるのか?
公開日:2018/9/15
「青木ヶ原樹海といえば自殺の名所だよね」そんな言葉で、知った気でいた。しかし『樹海考』(村田らむ/晶文社)を読みはじめてすぐ、「自殺の名所」という一言でくくっていた無知を後悔し、新たな世界に魅了された。
著者は新興宗教やゴミ屋敷、ホームレスなどをテーマにした体当たりルポで有名な村田らむ氏。20年間、100回以上にわたり樹海にかよい続けた彼がまとめあげた本書は、樹海の歴史や歩き方などの基本情報から、樹海の奥深くでみつけたモノの数々、個性的な人々との交流、都市伝説などが網羅されている。樹海に興味がある人はもちろんのこと、「自分の日常世界のすぐそばにある、まだ知らない世界に触れてみたい」という好奇心をもつ人に心からおすすめしたい一冊だ。
第一部では、樹海のなりたちや探索方法、主要観光スポットなど基本情報がまとめられている。正直に申し上げると、第一部の情報ですら初耳のものが多く、いかにこれまで自分が「樹海=自殺の名所」という単純な印象で思考停止していたかを思い知らされた。基礎中の基礎知識である、樹海が富士山の噴火によって流れた溶岩の上にできていること、溶岩洞窟が人気観光スポットであることさえ知らなかったのだから。樹海周辺の観光スポットやグルメ情報などもあり、「樹海ってけっこう開かれた場所なのだな、今度行ってみたいな」とわくわくしながら第二部にうつった。
すると、である。一転して迫ってくる、異界としての樹海。第一部で強調されていた「わたしたちの日常と地続きの樹海」が徐々にしりぞき、想像もしていなかった非日常的な論理や光景が顔を出しはじめる。樹海をめぐる「死」のイメージを過度に強調することは避けるべきだとわかっているが、しかしやはりそこにはロープがあり、死体があり、樹海の「死」に惹かれてやってくる人々がいるのも確かなのだ。枝に結ばれたロープの下に落ちている衣服と白骨、心中とみられる二人ぶんの骸骨、背広を来たまま腐乱した遺体……本書では死体が数多く描かれる。衝撃的だったのは、遺体が目から涙を流しているかと思いきやハエの卵だったという描写だ。死体が腐り、虫がたかるさまが克明に記述され、ふだん目をそむけがちな「死」を容赦なくつきつけられる。
さらに衝撃を受けたのは、死体発見を目的として樹海を探索する人々がいることだ。著者が「樹海で一番怖い人」と評するKさんのエピソードは、あやうく顎が外れそうになるほどあんぐりと口を開いてしまった。優しい笑顔が特徴のスマートな男性、かつ「樹海死体マニア」のKさんがいかに己の道を突き進んでいるか、詳細は本書で確認してみてほしい。
このように本書では、樹海で死を選んだ人の行く末や、樹海の死に惹かれてやってくる人々の姿が生々しく記録されている。強く心に残ったのは、そのような人々に対する著者の姿勢だ。淡々とした文体からは、けっして彼らを「樹海の異質さ」を表現する道具にすることなく、冷静に、そしてまっすぐに向き合おうとする意思が伝わってくる。
それはたとえば、ある死体のそばにまとめられた荷物を観察し「荷物は綺麗にまとめられていた。生前はとても真面目な人だったのではないかな? と想像させる状態だった」という一文からも感じられる。本書を読む前は、死体を「自殺の名所 青木ヶ原樹海」を構成するひとつの要素としかとらえていなかったが、それは浅い認識だった。そこにある光景は、わたしたちの好奇心を満足させるショッキングなものではなく、1200年にわたって静かに存在する樹海という自然と、樹海への訪問者の人生との交点なのだ。
本書の終盤では「なぜ人は樹海で自殺するのか」という問いが提示される。大きな理由のひとつが、メディアなどをとおして定着した「青木ヶ原樹海は自殺スポット」というイメージだという。そのため県は、このイメージを助長するような映画等の撮影を規制している。もちろん樹海と死の関係をむやみに強調したり、煽ったりすることは避けるべきだろう。しかし、樹海での死から完全に目をそむけてしまうと、なにか大切なことにふたをしてしまうのではないかという恐れも感じる。樹海に対する偏った先入観を排除したうえで、「なぜ人は樹海で自殺するのか」を心のどこかで問い続けていこう、と本書を閉じて決心した。
文=市村しるこ