借りたお金を返さなくてもいい!? 中世の謎過ぎる「法」の真実
公開日:2018/9/19
学生時代、日本史の授業で一番「謎」だったのは、借りたお金をチャラにする「徳政令」だ。貸す側からしたら、とんでもない損だし、「ラッキー」な借りた側も、二度とお金を貸してもらえなかったら、後々困るのは当人だろう。
また、個人の損得感情だけではなく、「金融業」の仕組みがありながら、突然の「債務帳消し」を権力者が宣言するのは、社会の乱れに繋がらないだろうかと、当時かなり疑問だらけだった「徳政令」なる中世の法。
その長年の「なぜ?」に答えてくれたのが『徳政令 なぜ借金は返さなければならないのか』(早島大祐/講談社)だ。
本書は中世の金融・商業・流通に触れつつ、15~16世紀(室町~戦国時代)に施行された「徳政令」を追うことで、「借金は返さなければならないという意識を共有する社会がいかに形成されてゆき、人間が内なる文明化を果たしたのか、その過程を明らかにする」ものだ。
「徳政」の本来の意味は、文字通り「徳のある政治」のこと。天災や甚大な社会不安に直面した為政者が、自らの徳のなさを意識し、善政を行う際の理念的なスローガンだった。
しかし、13世紀には意味が変容する。鎌倉幕府が困窮した御家人のために、売却した土地の返還や債務の帳消しを命じる幕府法を発令し、これが世間から「徳政」と呼ばれたことから「徳政」=「債務破棄」を表すように。
そして、本書で重点的に論じられる室町時代の「徳政」は、鎌倉時代の「徳政」と同じ意味を持ちながら、内実に変化が生じる。後者は権力者が主体となって行ったが、前者の主体は「民衆」だ。民衆が一揆を起こし、武力で権力者に徳政=債務破棄を認めさせたのが、室町の「徳政令」なのである。
つまり為政者に都合のいい「徳政」から、民衆を助けるための、本来の「徳のある政治」という理念に近い「徳政」へと変移したことになる。
だがしかし、どんな理由があるにしても、「借りたお金は返すべき」というのが現代人の感覚ではないだろうか。この現代の価値観がある以上、「徳政」の真の意味を理解することは難しい。
本書では、その現代と中世感覚の「ズレ」を、できる限り小さくするために、多くの史料を紹介しつつ、論説を展開させている。当時の生活の様子を身近に感じることができるので、詳細は本書を読んでいただきたいのだが、本記事で簡単に、民衆主体の徳政が行われた「理由」と「結論」だけまとめてしまおう。
(1)中世社会は、幕府、朝廷、寺院など、様々な公権力から法が発布されていた。そして「借りたお金は返さなければならない」という法と同時に、「利子を元本相当分払っていれば、返さなくてもよい」という法が併存していた。
(2)地方の民衆は、支配層から次々に課される税や、農業生産を低下させる自然環境の悪化により困窮していた。
(3)それまで幕府は、地方からの収入や徴収を基盤とする財政体制だったが、次第に京の商人や地方から京に定住した守護への課税が主軸となり、為政者の関心は都市に集中する。そのため、都市と地方の格差は拡大していったのだが、為政者は地方の困窮には無関心だった。
つまり、室町時代は都市と地方の「格差」が顕著であり、それを為政者が省みなかったため、「徳のある政治」を求めて民衆が立ち上がったのだ。「徳政」は社会的弱者が権力者を圧倒した一つの動きだったとも言える。
しかし16世紀に入ると、そんな民衆の味方「徳政」も嫌悪される存在へと変わっていくのだが……奥深い徳政の全貌は、本書でぜひ読んでもらいたい。
とにかく、本書のおかげで長年の謎が氷解したので、個人的に大満足の一冊だった。
文=雨野裾