女子中学生殺人事件の容疑者は時効に。木村拓哉×二宮和也『検察側の罪人』原作のラストに魂が震える…
公開日:2018/9/29
善良な人は平穏で楽しい一生を送り、悪人は必ず報いを受ける。
もし世界がそんなであれば、私たちはどれほど幸せだろう。
しかし、現実は時として悪が栄え、善は踏みにじられる。
だから、法律がある。
法は万人に平等だ(少なくとも建前上は)。悪い事をしたら相応の刑罰を受け、被害者はせめてもの慰めと安心を得る…はずなのだが、もしそれすら叶わないとしたら。そして、一度は法の網を逃れた人間が、容疑者として再び目の前に現れたとしたら。
雫井脩介『検察側の罪人』(文藝春秋)はそんな状況に直面した検事たちの物語だ。
主人公のひとり、東京地検の検事である最上毅は実力も人望もある好人物で、順調にキャリアを積んできた。そして、もうひとりの主人公・新人検事の沖野啓一郎は、最上の力強さに心酔していた。最上もまた、情熱と正義感に溢れる沖野を高く評価していた。
そんなある日、東京の大田区蒲田で老夫妻の刺殺事件が発生する。最上の指示でこの事件を担当することになった沖野は、初めての大仕事に意気込み、容疑者として浮かび上がった松倉重生を厳しく追及していく。
松倉には、過去があった。23年前に起きた女子中学生殺人事件の容疑者だったという過去が。しかし、当時の松倉はぬらりくらりと追及をかわしきり、容疑不十分で放免。事件は迷宮入りし、すでに時効が成立していた。
もう口外してもいいと考えた松倉は、今回の取り調べ中にあっさりと過去の犯行を自供する。この男は、やはり無辜の少女を殺していたのだ。己の醜い欲望を満たすために。しかし、その卑劣な罪は時効によってなかったことにされ、もう裁くことはできない。
松倉の心証は真っ黒だった。だが、証拠がなく、頑なな否認はまったく崩れない。さらに検察側に不利な証言まで出てくるに至り、沖野は松倉犯人説を主張し続ける最上の方針に疑問を抱くようになるのだが…。
はじめは重なり合っていた最上と沖野の正義は、状況の変化によって少しずつずれていく。2つの正義が袂を分かつ時、一体何が起こるのか。
現代版『罪と罰』ともいえる本書で、著者は法の欠陥によって引き起こされる悲劇を描いた。法律とて所詮人の作ったもの。完璧であるはずがない。だから、時には法律そのものが犯罪者を守る壁になってしまう。この大きな矛盾に、法の執行者たる検事たちを立ち向かわせたのである。
最上は、己の正義を成就するためにとある非常手段に打って出る。一方の沖野もまた、信じる道を進もうと捨て身の作戦を選ぶ。善悪といった単純な物差しでは量れない手段を選んでいくことになる最上と沖野、この2人の男たちの生きざまをどうみるか。おそらく、読み手によって受け止め方は大きく異なるだろう。
この作品を原作にした映画が8月24日から公開されているが、登場人物たちの心理、そして掲げられた大きなテーマをより深く理解するには小説も併せ読むのが一番だ。
魂が震えるようなラスト・シーンで、著者は何を問いかけようとしたのか。その目で確かめてみてほしい。
文=門賀美央子