ガラクタにしか見えないアートが何億円もするワケ。アートから資本主義の今を読み解く
公開日:2018/10/4
普段美術を鑑賞する習慣がない人は、美術館などに行っても、「なんであんな絵が何億円もするの?」と疑問に思うことがあるだろう。かくいう私も、そんな“美術オンチ”のひとりだ。本稿で紹介する『アートは資本主義の行方を予言する』(山本豊津/PHP研究所)の冒頭にも、素人目には価値のまったくわからないアート作品が載っている。それは、ルーチョ・フォンタナ(1899~1968年)というアーティストの「空間概念、期待」という作品で、これはどう見てもキャンバスに3本の切り込みを入れただけのもの。だが、著者によれば、これは「切り込みによってキャンバスが布であることを見る人にあらためて認識させ、素材そのものを表現とした画期的な作品」なのだという。本書は、こうしたアートの価値や価格付けの仕組みから、今の“資本主義社会”を読み解いていくものだ。
■アート作品の価格はどうやって決まるのか?
なぜガラクタにしか見えないようなアートに何億という価格がつくのか? アートの価格を決める「カラクリ」を知るためには、まず、「使用価値」と「交換価値」という概念を理解する必要がある。前者は、商品そのものが日常生活の中で使われることによる価値。後者は、その商品を他の商品と交換するときの価値のことで、相手が自分の持っている商品にどれだけの価値を見出しているかによって変わるものである。
商品としてのアートの価値は、お金の価値に似ている。例えば、私たちが“1万円分の価値がある”と信じて疑わない1万円札の原価は、実はたったの22円であり、「使用価値」はほとんどない。それでも、日本という国がそれを“1万円分の価値がある”と保証しているからこそ、そこには1万円の分の「交換価値」がある。「使用価値」はそれほど大きくないアート作品も、人々から“価値がある”と認められれば、その希少性ゆえに「交換価値」がぐっと高くなり、お金と同じように「使用価値」と「交換価値」の乖離が起こる…というわけだ。こうして考えてみると、アートと資本主義には、“価値の転換と飛躍”という共通点が存在していることがわかる。
■“中国の次”がない…世界はどうなる?
美術作品は投資の対象としても非常に人気がある。その理由は、価値の伸びしろの大きさ、持ち運びやすさ(特に絵画)、ステータスの証明…などさまざまある。そして、その対象は株や不動産などと同様に「これから成長する地域」に向けられてきた。絵画のマーケットは、かつてフランスやイギリスから始まり、第二次世界大戦後は米国、そして今はアジア、特に中国へ移っている。だが、著者によれば、“その次”にマーケットの中心になりそうな市場がないのだという。資本主義経済は、成長力のある次なる場所に資本が移動しなければ、維持・発展させていくことができない。画商である著者からみるアート市場の行き詰まりは、私たちが資本主義に対して感じている閉塞感とリンクしているのだ。
著者は、アート作品が持つ価値に希望があると見出している。アートには、商品として「使用価値」から「交換価値」への“価値の転換と飛躍”があるだけでなく、作品自体が“価値の転換と飛躍”を表現する存在だ。まさに、冒頭で挙げたルーチョ・フォンタナの作品などが格好のモデルだろう。著者が本書を通じて述べるのは、現代が閉塞した時代だからこそ、こうしたアートの力が既存の価値観を打ち破り、新しい時代を作るきっかけになるかもしれないということだ。アートの世界を「自分の生活とは関係ないもの」と思っている人もいるかもしれない。だが、本書を読めば、それが私たちの社会や未来とも密接に関わっている文化だとわかるはずだ。
文=中川 凌