「勝っても負けても、反省したらすぐ忘れる」天才・羽生善治との“言葉の対局”

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公開日:2018/10/18

『超越の棋士 羽生善治との対話』(高川武将/講談社)

 今年、二人の“羽生”が国民栄誉賞に輝いた。ひとりは歴代最年少受賞、フィギュアスケートの羽生結弦(7月2日受賞、1994年12月7日生まれ、23歳)。そしてもうひとりが本稿の主人公で、将棋界初受賞、昨年「永世七冠」を達成した棋士、羽生善治(2月13日受賞、1970年9月27日生まれ、48歳)だ。

 羽生氏は1996年2月14日、26歳の時に将棋界初の7冠(竜王、名人、王位、王座、棋王、王将、棋聖の7タイトルを独占すること)を達成した。これも大記録だが、昨年12月5日、47歳で成し遂げた「永世七冠」はさらにすごい。

 その道のりがいかに長く険しいものか、そして、どんな精神が、まるで将棋の生き神様であるかのように、将棋界初の偉業を次々と成しうるのかを教えてくれるのが『超越の棋士 羽生善治との対話』(高川武将/講談社)だ。

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 著者の高川武将氏は、雑誌Numberを中心に、多くのトップアスリート・インタビュー記事を発表しているルポライターで、2010年に初めて、雑誌の企画で羽生氏と言葉の対局(=インタビュー)を行った。以来、とらえどころのない発言や存在感に敗北し、癒され、魅了され、気づけば今年までの足かけ8年間、羽生氏と計9回(内7回は雑誌用)にわたり対局を重ねてきた。

●将棋の生き神様の本質に迫る

 本書で著者は、これまでに行った羽生氏とのすべての言葉の対局内容に加え、羽生氏をよく知る関係者(因縁の深い棋士たちや羽生氏の母堂ほか)たちの証言、さらには著者自身の考察を重ね、羽生善治という将棋の生き神様の「本質(人生観、価値観、将棋観、勝負観、世界観、メンタリティなど)」に迫ろうと試みている。

 では、著者と羽生氏の対局の様子をいくつか紹介しよう。

──では、相手の心を折ってやろうと考えて(将棋を)指しているのではない?
「そうですね。私は将棋を指すときに闘争心は要らない、と思っていますね。」

──大事な対局に向けて必ずやるルーティンはない、と?
「ええ。対局前もいつも通りに過ごしています。」

──前に進み続けるモチベーションをどう維持しているのでしょう。
「毎日、晴れの日もあれば、曇りの日も、雨の降る日もありますよね。でも天気は変えられないじゃないですか。モチベーションってそういう天気みたいなものだと思うんですよ。(後略)」

──ということは……。
「あんまり意識的に、人為的に、調整できるものじゃないから、それに合わせていくしかない、という。(後略)」

──将棋と人生の共通点はどんなところにあるのでしょう。
「やっぱり、先に進んでみないとわからない、ということでしょうかね。」

 本書には、熱く燃えたぎる超人的な言葉を引き出そうとする著者と、真摯に答えるも、ゆるふわ感あふれる羽生氏の返答による対局シーンが数多く登場する。

 過去の勝負結果は「勝っても負けても、反省したらすぐ忘れる」、どんな不利な状況に追い込まれても感情を揺るがさず「その状況に集中する。楽しんで、集中する」ほか、教訓にしたい羽生氏の言葉も満載だ。

●目の前に座っているのにときどき“いなくなる”?!

 読んでいて筆者が感じたのは、羽生氏のエッセンスとは「平常心」、そして「今ここ」に生きることに集中する、仏教の教えのマインドフルネスそのものなのだということ。対局中、「将棋を指している自分と、それを観ている自分、二人の自分がいる」というくだりも登場するが、こうしたメタ認知(自分を客観視すること)も、今ここに集中する力のなせる業だ。本書に登場する久保利明棋士も、こんな面白い発言をしている。

「羽生さんは異次元で戦っているんじゃないかと思う時があります。対局中、目の前に座っているのに、ときどき“いなくなる”ことがあるんですよ。」

 おそらく二人の対戦を上から眺めていたに違いない。

 さて、こうした本書が、お世辞抜きでドラマティックな感動巨編となったのには理由がある。著者が追った8年間は奇遇にも、羽生氏にとっても「永世七冠」を懸けた、長い自己との戦いの渦中であり、紆余曲折の正念場にいたからだ。著者はあとがきにこう記している。

(永世六冠を達成し七冠まで)「あと一つ」となってから、10年もの歳月を要していたことに、私は羽生さんの功績の偉大さを改めて実感した。

 著者によれば、30代から40代後半へと向かう羽生氏のこの10年は、天才棋士といえども記憶力の衰えなど、「年齢的に棋士として難しい時期」だという。また、AIにより将棋ソフトが進化し「将棋が激変していく時代」でもあり、最新の将棋研究により多くの時間を費やせる若い世代の躍進も著しい。

 誰もが避けられない加齢という宿命、世代交代の荒波。これらを超克して勝ち取った「永世七冠」は、著者が表現するように「まさに奇跡的な大偉業」であると同時に、「人はいつまででも輝ける」という希望と勇気の光として、多くの人たちの中にも輝く。

 そんな姿を見せられることこそが、羽生氏の真の「功績」であり「偉大さ」なのだろう。

 本書には、ひふみんこと加藤一二三氏や藤井聡太四段の話題も登場する。また、筆者のように将棋の知識がなくても十分に、重厚で深遠な“羽生氏という小宇宙”探訪の旅が堪能できる。生きる知恵を得たいすべての人におススメの一冊だ。

文=町田光