「泣いてもいいよ」「新しい出発だ」 夏目漱石、北原白秋など偉人が遺した最期の言葉
公開日:2018/10/28
誰あろう例外なく、いつかは必ずやって来るもの。「死」は、間違いなくそのひとつだ。さて、あなたは最期に、どんな言葉を遺すだろうか。
『日本人、最期のことば』(西村 眞/飛鳥新社)には、戦国時代から近代までに生きた偉人20名の、生き様、死に様、そして、最期の言葉(もしくはそれに準じるもの)がまとめられている。
本書に登場するのは、織田信長、豊臣秀吉、宮本武蔵、千利休、松尾芭蕉、小林一茶、坂本龍馬、井伊直弼、吉田松陰、西郷隆盛、勝海舟、伊藤博文、明治天皇、乃木希典、夏目漱石、石川啄木、正岡子規、森鴎外、幸田露伴、北原白秋だ。
誰がどんな言葉を遺したのか、いくつか例を挙げてみよう。
たとえば、豊臣秀吉は、幼い息子、秀頼の行く末を案じつつ病床の中で、辞世の歌を「なにわのことも ゆめの又ゆめ」と結び、西郷隆盛は、降り注ぐ政府軍の弾火が股と腹に命中し、覚悟を決めて「もう、この辺でよかろ」と、配下の別府晋介に介錯を指示した。
夏目漱石は、“泣くんじゃない”と病室で家人からたしなめられた末娘を思いやり、「いいよいいよ、泣いてもいいよ」と遺し、北原白秋は、激しい発作が落ち着き窓から入る新鮮な空気を感じながら、「新しい出発だ。窓をもう少しお開け。……ああ、素晴らしい」と言って旅立った。
著者は、これらの臨終間際に偉人、英傑たちがもらした声や言葉に耳を澄ますと「彼らのいかなる伝記、評伝を読んでも見えてこない実像が一瞬にして立ち現れてきます」と、本書前書きで記している。
また、本書を読んでつくづく感じるのは、生き様同様、最期の迎え方はまさに十人十色、遺す言葉も、またしかりということ。
中でも織田信長や坂本龍馬などのように、暗殺、謀反によって命を奪われた人たちは、無念の思いさえ人に託せずに最期を迎えている。
こうした2人の「最期のことば」を、著者がどんな資料を紐解き、どう定めるのかは本書を読む醍醐味のひとつなので、ここでは明かさずにおきたい。
俳人、松尾芭蕉と小林一茶の最期の対比からも、考えさせられるものがある。その生涯を、ほぼ旅で過ごした松尾芭蕉だったが、純粋で一途な俳句への愛とその人柄からか、死期が迫ったことがわかるとすぐ多くの人たちが駆け付け、その最期を見守った。
一方、好き勝手生きた小林一茶は、幕府が「三笠付け」と呼び禁制していた賭場まがいの句会に参加し、俳句で賞金稼ぎまでする無頼な日々を過ごしていた。その後、世俗的な名声は得るも、妻や子供を相次いで失い、最期を迎えた病床でも懺悔するばかりだった。
「終活なんてまだまだ」と、筆者だって思っている。だが、いつ、どんな形で最期が訪れるかは、誰にもわからない。となれば結局、「いかに悔いなき今日を過ごすか」しかない。
そして、毎晩寝るときに「うん、いい一日だった」と言い続けるしかない、最期のその時まで。ふと、そんなことを思わせてくれる1冊だった。
文=ソラアキラ