バイトも恋愛も禁止の共同生活! 劇団鹿上京ストーリー【渡部豪太×丸尾丸一郎】

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更新日:2018/11/8

 伝説になりたい――その一心でおんぼろのハイエース1台に乗り込み関西から上京してきた座付作家・角田角一郎と劇団鹿のメンバー6人。成り上がるため最初の2年はバイトも恋愛も厳禁と、自らを追い込んで臨んだ2年間の共同生活。その果てに見たものとは? 劇団鹿殺しの代表であり作家・演出家・俳優をつとめる丸尾丸一郎による初の自伝的小説『さよなら鹿ハウス』(ポプラ社)がこのたび刊行された。そして丸尾みずから脚本を書き下ろした同名舞台も公演中。これを記念し、主演・角田役をつとめる俳優・渡部豪太と丸尾の対談を行った。

■夢を見ながら、無茶にがむしゃらに駆け抜けてきた

丸尾丸一郎(以下、丸尾) 子供の頃の夢ってなんだった?

渡部豪太(以下、渡部) うーん。僕たちって、夢がなかった世代第一号かもしれません。

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丸尾 ほんまに? これになりたいとかなかった?

渡部 父が新聞販売店を営んでいたので、自分もそうなるだろうなと何となく思っていたくらい。11歳のときに母が今の事務所に応募したのがきっかけで今の仕事を始めたんですけど、最初はいやいやでしたし。14歳のときに受けた映画のお仕事がすごく楽しくて、そこから変わりました。

丸尾 僕の最初の夢は社長。で、馬鹿みたいだけど、次は総理大臣(笑)。でもだんだん、なれないって気づきだす。今は劇団の運営という意味では社長だけど、毎日ゴルフやって接待、みたいな社長にはなれなかった。大人になるにつれて自分の地図の範囲が見えてくるんだよね。

渡部 今、僕は32歳なんですけど、まさにその時期ですね。もっとすごい俳優になっていると思っていたけど……って。

丸尾 昭和に生まれた最後の世代、っていうのもあるかもしれないね。生きてきた記憶はほとんど平成でしょう。僕らは、高度経済成長期を支えてきた親に育てられながら、昭和の激動を見てきたから。平成も色々あったけど、昭和ほどの山と谷はなかった気がする。なんていうかずっと、低空飛行。停滞しながら根っこが少しずつ腐っていく怖さみたいなのがあったというか。

渡部 確かに、昭和は動くお金の金額も違ったでしょうから、見られる夢の規模も今の僕らとは違いますよね。

丸尾 渡部くんたちの世代は、もともと自分の身の丈をわかったうえで生きている感じがするね。

渡部 テレビアニメもゲームもドラマも、だんだん規制が厳しくなってきたじゃないですか。僕の子供の頃もまだ、深夜番組で女の人がだいたんに露出していて、今は絶対に無理ですよね。子供の頃にテレビであれを見ているのと見ていないのとでは、感性も感覚も全然違う人間が育つよなあと思います。

丸尾 昔は、車をぶつけたり、やたら危険な目に遭わされたり、みんなが無茶して笑っているのがバラエティだったからね。

――『さよなら鹿ハウス』は、その“無茶”が当たり前だった時代のがむしゃら感が熱量としてほとばしっている作品ですよね。

渡部 ものすごく面白かったです。劇団というひとつの生命体がいかに生まれて育っていったか、その2年間が凝縮して描かれていた。文章がとても優しくて、読みやすくて、関西の方だからなのか面白おかしく書かれているところもあって笑ったけど、だからこそ、さらっと書かれた文章の裏に潜んだものが重たく響いてくるというか。どのシーンが、って選べないくらい全部が印象的でした。どの景色にも色がある。女性が一人混ざっているっていうのもまた、味になっていて。

丸尾 鹿の子チョビン。いちばん男性的だっていう(笑)。

――菜月チョビさんのことですよね。〈「劇団鹿」はこのドS座長に、ドMの男6人が従うというヒエラルキー劇団なのである〉という冒頭の紹介文には笑いました。

丸尾 今はさすがにないけど、関西にいるとき、並ばされてビンタされたことあるよ。公演前の場当たり(リハーサル)で、あんまり一生懸命やっていない劇団員が、僕を含めて全員。

渡部 え、ビンタ? 誰に?

丸尾 チョビに。お前ら一生懸命やれ!って。スタッフもみんないる前で。

渡部 すごい(笑)。

丸尾 今はなかなか見ない光景だよね(笑)。

■引き留める優しさと、黙って送り出す優しさ

渡部 そもそもどうして小説を書くことになったんですか?

丸尾 鹿殺しをよく雑誌でとりあげてくれていた編集者の方に「なんか書いてみない?」って誘われて。その方はけっきょく会社を辞めてしまって、今の編集者に引き継がれたんだけど、最初はその人のために書いていた。僕ね、求められないとできないというか。鹿殺しの作家になったのも、劇団に作家がいなくてみんなで練習してみたら、僕だけがラストシーンまで書けたという、ただそれだけの理由なんですよ。今も昔も、みんなで読み合わせしたときの反応が見えたり、お客さんの喜んでくれる顔が見えたりするから、書けている。この小説も、編集者の方々がちゃんと感想をくれて褒めてくれるから、なんとか最後まで書き上げられた。

――初小説とは思えない文章の美しさと完成度でしたが、もともと書きたいと思っていたわけではないんですか。

丸尾 自伝的な物語、というネタはあたためていたし、書き始めてからは小説として完成させたいと思ったけれど、もともとは読書好きでもなければ作家志望でもなかったです。だから今でも言葉をよく間違えるし、もっとこだわらなきゃいけないなと思う。頭に浮かんでいる情景や考えていることを、明確に言葉にしていくのはやっぱり難しいですね。

渡部 僕も物書きに憧れた時期はありますけど、最初の一文が書けたためしがないです。本を読むのは好きですけどね。

丸尾 僕も最初の一文を書くのが大変だった。脚本は仮に下手でも役者がうまければどうとでもなる部分があるけれど、小説は全部自分の責任になる。言い訳がきかない世界だなと思いました。

渡部 今、脚本が少しずつあがってきているところですけど、同じ作品で同じ方が書いているものなのに、浮かび上がってくる輪郭がどこか違うという印象があります。漂う優しさや世界観はもちろん似ているんですけどね。

――優しいですし、愛情が深いですよね。やめていった劇団員たちとのエピソードも小説では描かれますが、些細なこともすべて覚えている。

渡部 共同生活した7人のことだけじゃなく、短期間のつきあいだった人のことたちも書かれているじゃないですか。あの箇条書きスタイルは面白かったけれど、同時に、去った人のことは忘れていく、のではなく、爪を剥がされるような痛みをともないながら、そのすべてをちゃんととっておいているのがすごいと思いました。

丸尾 劇団員がやめるのは、昔はとにかくつらくて。泣いて引き留めました。小説にも書いたけど、密度の濃い時間を一緒に過ごしていたはずなのに、少しずつ道が分かれていくのをどんどん感じていくんですよ。僕らの道がこの先で交差することは二度とないだろうってことが、肌でわかってしまう。それが、悲しくて。相手を人間として深く知ってしまったがために、永遠の別れになってしまうのがつらい。

渡部 僕がいま同じ状況にいたら、たぶん引き留めないと思うんです。でもそれは丸尾さんのように、そこまで濃密な時間を誰かと過ごしたことがないからかもしれない。余計なことを言って喧嘩別れしたくないし、最後はきれいに終わりたいんですよね。たぶん、冷たい人間なんだと思います(笑)。

丸尾 難しいよね。何も言わない優しさというのもあるから。相手の事情をおかまいなしに引き留めるのは独りよがりでもあるし。今は僕も、彼らの幸せを願うなら背中を押すべきだって呑み込む力も強くなってきたけれど、昔はとにかくさみしかったんだよなあ。書きながら、やめていった人間たちのことを特に鮮明に思い出していました。

■才能のない自分たちだからこそ、お客さんを揺らすことができる

――ちなみに、角田角一郎役として渡部さんにオファーしたのはなぜだったんですか?

渡部 僕は完全に、ルックスが理由だろうと思っていたんですけど(笑)。

丸尾 あはは。それもなくはないけど(笑)。自分とどこか似ているところがあって、それでいてリスペクトできる方にやってもらいたいと思ったとき、渡部くんしか考えられなくて。実は、これまで僕がプロデュースする舞台で、何度もキャスティング候補として名前はあがっていたんです。

渡部 え、そうなんですか。

丸尾 すごく好きな役者さんだったから。渡部くんの持つ繊細さと優しさの中に、熱情が入り混じっていったら、それは僕のイメージする角田にとても近くなる気がした。角田角一郎のモデルは僕だけど、あくまで虚構の登場人物だから。渡部くんにも、僕に寄せてもらおうとは思っていないし、あくまで物語の主人公として演じてもらいたいなと思っています。

渡部 よかった。僕も、丸尾さんを演じようとは思っていなかったから。鹿殺しの舞台を観に行くと、まさに鹿の角のような角ばった熱さがいつもほとばしっていて。演劇というのは、劇場でしか生まれない何かが孵化して、場の全体を大きく揺らすものだと思うんです。その衝撃が、お客さんを突き動かす。鹿殺しの舞台は、鹿の角が意図しないところにぐんぐん伸びていくんだけど、ひとつの芸術品としてのまとまりを見せる、そんな作品だと思うので、僕もその一部になれるように頑張りたいです。

丸尾 めちゃくちゃ嬉しいなあ。お客さんはみんな、何かしらの感情を動かしたくて劇場に足を運んできてくれると思うんです。だからこそ、普通よりももっと大きく揺らさなきゃ届かないと僕は思っている。めちゃくちゃ笑えて最後にはめちゃくちゃ泣ける、そんな舞台を作りたいんだけど、そのためにはまずは役者が舞台上でその役を生きていなくちゃいけない。本物の人生が舞台上に凝縮しているのを感じて初めて、お客さんは揺れてくれるんだと思うんですよね。

渡部 僕も、役を生きる、というのはいつも意識しています。しいて役作りをするかどうかはそのとき次第ですけど……今回は、舞台となった東久留米には行ってきました。作中に出てきた河童の看板もみたし、駅からちょっと歩くと流れているきれいな川の風景とか、角田が聴いていた音楽とか、そういうものを僕の中に沁みこませるのが大事かなって。

――角田のように、伝説になりたいと思ったことはありますか?

渡部 ありますよ。でも、伝説って街にあふれているじゃないですか。あそこの病院にはすごい名医がいるとか、あの飲み屋にはとんでもない常連がいたとか。持っているエネルギーの強さが、名を轟かせる。それがマスに浸透しているかどうかは別として、人間は生命をまっとうすればそれだけで伝説になりうるんじゃないかなと思います。

丸尾 小説のラストにも書いたけれど、伝説ってたぶん、人の記憶に残ることで。時の流れに抗い続け、それでもなおとどまり続ける何か、だと思うんです。僕が好きな言葉に、唐十郎さんの「演劇というのは何人に何を見せるかじゃなくて、何人の心に残るかだ」というのがあるんですけど、人生もそうなんじゃないかと僕も思います。多くの人に影響を与えることだけが正解ではないし、わずかでも誰かの記憶に残ることなら、僕にもできるんじゃないかな、と。

――作中で角田は自分たちを「伝説になろうとする凡人」としながら決して夢をあきらめませんよね。チョビンの「僕らにはフレディのような歌声や名曲を生み出す才能は無い。ならば自分を磨いて、少しずつでも何かで武装してゆくしかあるまい?」ってセリフも、とても響きました。

丸尾 もちろん芸術家肌で才能あふれる人への憧れは今もあるけれど、でもそれを言っていても仕方がなくて。やっぱり、今の自分たちが持っているもので勝負するしかない。それは何かというと、凡人であるがゆえに多くの人と同じ感覚を持てている、ということ。特別な感覚がないからこそ、普通の人が何を思って生きているかを知ることができるんだと思います。その人たちに何を伝えたらいいか、才能のない僕らだからこそ考えて作っていくことができるんだ、と。映画『トキワ荘の青春』みたいに、仲間との絆や葛藤、届かない自分へのあがきが描かれているものが僕自身好きなので、『さよなら鹿ハウス』もそういう小説として読者に届けば嬉しいなと思います。

取材・文=立花もも 撮影=内海裕之