「昔はよかった~」なんて言うけど……日本は昔も今もたいして変わらない!?
公開日:2018/11/5
テレビや新聞などから聞こえてくる、現代社会を嘆く大人たちの声。「昔は子どもを地域で見守ってきたものなのに」「最近の学生は遊んでばかりだ」「近頃の新入社員は給料や待遇の話しかしない」といった意見がたくさんだ。どうやら、世間は良くない方向に進んでいると感じている人が多いらしい。しかし、本当に世の中はそんなに悪くなっているのだろうか。
実は、今も昔もそんなに変わっていない。『歴史の「普通」ってなんですか?』(パオロ・マッツァリーノ/ベストセラーズ)では、今の日本人が「伝統」だと思っているものは、およそ勘違いだと指摘する。たとえば、保育園の騒音問題について、「子どもの声が騒音だなんて言う人はいなかった」と振り返る人がいるが、これは大きな間違いだという。保育園の騒音どころか、「保育園に子どもを預けるなんて親として失格!」という声が、社会的な意見だったからだ。
では、どうしてこんな的外れな話が出てくるのか。ここには、もう1つの「勘違い」が絡んでくる。保育園に子どもを預ける親の多くは「共働き」だろう。近年よく耳にする「共働きの家庭が増えてきた」という話も、実は真実ではない。正確には、「1980年以降、共働きが増えてきた」のである。では、1980年以前はどうだったのか。相当数の家庭が共働きで生計を成り立たせていた。専業主婦というのは、サラリーマン家庭のなかでも、特別裕福な家のみの「贅沢品」だった。多くの家庭では家計を支えるために、両親共働きが一般的だったのだ。ところが、「贅沢である専業主婦」への憧れが過ぎるあまり、あるいは裕福な専業主婦家庭の声が大きかったために、「子どもを保育園に預ける家庭は悪である」と決めつけられてしまった。
さらに厄介だったのは、「素行の悪い子どもが増えている」という言説が現れたことも、保育園批判や共働き批判につながった。つまり、「共働き家庭はまともな教育ができないから子どもが不良になる」という「定説」が出来上がったのだ。ちなみに、この定説は近年の研究で完全に否定されている。
勘違いを重ねた「むかし話」の事例は、挙げ始めるとキリがない。「子どもはみんな祭りが好きという思い込み」「江戸時代の人々は時代劇みたいに礼儀正しくなかった」「初詣は毎年違う神社に行くものだった」「黒髪ストレートの日本人は昔から少数派だった」などなど……。多くの日本人が「伝統」だと感じているものは、日本の正しい歴史から見れば、ほとんどが間違いだらけだ。ところが、その間違った「むかし話」を引き合いに出して、現代の問題を語ってしまう。すると、問題の本質が見えなくなってしまうのだ。
本書では、「データや証拠に基づいて思考する」ことの大切さを訴えている。何となく印象で「昔はよかった」と考えるのは、本人の気持ちが慰められるという以外に大した意味はない。きちんと、「昔の日本」を見てみれば、安易に「よかった」と言えるような世の中ではなかったはずだという。著者は決して、昔から続いているもの――「伝統」を劣ったものだと言っているわけではない。ただ、「伝統」という言葉で美化されたり肯定されたりする「偽物」が多すぎると危惧しているのだ。そもそも「伝統」はローカルなものである。「我が家の伝統」として美味しいカレーライスの作り方が伝わるように、「地域の伝統」としてみそ汁の味付けが伝わるように。しかも、それでさえ世代ごとに微妙に変化していく。その時代を生きる人の感覚に合うよう改良されていくものである。頑なに「変わらないこと」を選んだものは、伝統になる前に消えてなくなっていったのだ。
もしも「昔はよかった」と語る上の世代を前に、言葉にできない違和感を覚えたことがある人がいるなら、本書を手に取ってみるべきだ。今も昔も、「昔はよかった」と語る大人はいたというのがわかる。そして本当の歴史を振り返り、「昔よりよくなっている」と実感してこそ、「未来をよくしていこう」という気概も生まれてくるはずだ。
文=方山敏彦