鳥飼茜「絶望的なわかりあえなさ」と「それでもわかりあいたい切望」――傷つけあったとしても、ともに生きていくことはできる
更新日:2018/11/12
愛と理解の間で揺れ動く新作続々……4カ月連続刊行! すべてに通底するテーマとは? 鳥飼茜インタビュー
初のエッセイ『漫画みたいな恋ください』が好評の鳥飼茜さん。10月に『前略、前進の君』が刊行、11月には弊誌連載『マンダリン・ジプシーキャットの籠城』、12月には『ロマンス暴風域』の2巻も発売される。それぞれの著書をふりかえっての心境と、これまで描き続けてきたテーマについて訊いた。
鳥飼 茜
とりかい・あかね●1981年、大阪府生まれ。2010年に連載開始した『おはようおかえり』以後、青年誌を中心に活躍。「私自身は、実は流されやすくて“こうすべき”みたいな正義があまりない。でもだからこそ、社会的に課される男女の役割意識に反発を覚えることが多いのかもしれません」(鳥飼)
言葉の届かない世間を仮想敵にしていた
――『漫画みたいな恋ください』
「webちくま」で連載していた日記をまとめた『漫画みたいな恋ください』。刊行の2日後、書籍未収録の「号外」がサイトにアップされ、同書で語られていた“彼氏”が、実はマンガ家の浅野いにおさんであり、刊行直前に入籍したことが報告された。
“人気マンガ家同士の結婚”という以上に読者は大きな衝撃を受けたのではないだろうか。別れを予感させる冒頭から始まり、鳥飼さんは、彼氏との「絶望的なわかりあえなさ」と「それでもわかりあいたい切望」の狭間で常に葛藤し続けていたからだ。
「私もこの本を書き終えたときは『はい、おしまい!』って思いました。私の人生からはもう結婚という選択肢は消えたんだな、って。だから結婚しようと言われたときは、全く期待していなかった展開に正直どうしたものかと。しかも号外に書いたとおり、彼のプロポーズした理由というのがめちゃくちゃ後ろ向きで……」
自分がこの先いつ死んでも財産整理を頼めるように、と浅野さんは言ったという。
「なにこれ、私が欲しかったものじゃない、って正直思いました。こんな経緯で結婚なんて家族にも喜んでもらえないよと、めちゃくちゃ悩みました。それって、結婚したらあとはいつでも死ねる、ってことになりかねないじゃないですか。とにかく悲しくて泣きましたね。欲しかったものがようやく手に入るこのときですら、祝福を帯びてはくれないのか、とも思ったし。
だけど、みんなの『おめでとう』を聞いているうちに、そうかこれはめでたいことなんだと思えるようになってきて。向いている方向が前でも後ろでも、他人からどう思われようとも、関係なく私たちの日常は続いていく。動機がなんであれ、今ここにある結果が大事なんだ……って日記を書いたことで切り替えられました。文字化するって大事ですね。気持ちを整頓できるし、書けばそれが事実になっていく。たとえ、それがあとづけでも」
それは連載中、実感していたことでもあった。
「浅野さんと衝突したとき、感じた怒りや悲しみをそのつど日記に書いていたんですよ。文字にすると、だんだん冷静になってきて、私が今まで当然こうあるべきと思ってきたことをこれからも押し通していくメリットってなんだろう?って考えるようになった。そうしたら、私のこだわりには世間の目を気にしたものが多いと気づいたんですよね。でも世間って誰? 家族? と思って母や妹と話してみたけど、違った。家族の誰もそのこだわりを守れないからって私を責めたりしない。けっきょく私は、直接対話できない誰かの集合体を世間と呼んで気にし続けていただけだったんですよね。じゃあなぜ私は、私の言葉が届かない人たちがどう思うかを、自分の心地よさより優先しているんだろう……なんてことを考えるとき文章を書くのは役立ちました。でも自滅することも多々あったので一長一短ですね」
あとがきにもこう書いてある。〈(日記は)自分がいまどんな姿をしているかを見直す作業だった〉。だが〈日記で人づきあいは、よくはならない。正解は自分の頭の中ではなく、相手とのあいだにあるからだ〉。
「以前の私は、ゲームに出てくる好感度のハートが相手にあると想定して、頭のなかで勝手に増やしたり減らしたりして一喜一憂していたんです。だけどそんなの、なんの意味もなかった。それに気づいただけでもよかったし、私なりに地べたをぐるぐる低迷しながら、どうにか自分なりの希望にたどりつけたと思います。また同じようなことで悩むだろうし、現に今も悩んでいるけど、それでも少しずつ要らないプライドやこだわりを捨てながら進んでいると思うので、連載で脱落した方も最後まで見届けていただけたら嬉しいです」
男性は基本的に暴力をふるいかねないもの
どんなに想う相手でも、根本的には絶対にわかりあえない。だが傷つけあったとしても、それでも、ともに生きていくことはできる。同書だけでなく、鳥飼さんは作品を通じてそんな希望を描き続けてきた。
「男女のあいだにある無理解について描きたいと思っていて……というのは私が日常的に見ている“問題のある世界”と、男性の見ている世界には大きなズレがあるように感じているからなんですが、だからといって男性を敵視したいわけじゃないんです。たとえば『先生の白い噓』の早藤は、女を性暴力で支配するひどい男だったけど、ただの極悪人としては描きたくなかった。彼は、現実に私が出会い、恋人関係になる男の人たちと地続きの存在だと思うから。
よく『女性に暴力をふるったり差別的だったりする男は最低で、そんな人に関わるくらいなら一人で生きるほうがマシ』みたいな意見がありますけど、私は『男性は基本的に暴力をふるいかねないもの』だと思っているんですよ。男性は肉体的にも社会的にも女性より優位なものとして生きてきたわけで、気質や体力の差はあるとしても『何かあったとき男性に暴力をふるわれたら女性は太刀打ちできない』という認識はみんな共通して持っているはずだから。実際にふるうかふるわないかじゃないんです。『あまりに侮辱が過ぎると手を出されても仕方ないよ』みたいな空気だけで十分、暴力。だけどそういう話をすると『そんなことない、何があっても手を出さない素敵な人もいる』って言われるんですが、少なくとも私は女性に対する優位的な目線を欠片ももちあわせていない男性に出会ったことはないんですよね」
例外はもちろんある。だがどんなにリベラルな男性でも、母親が家事をするのが当たり前の家庭に生まれ、その風潮の残された社会で育ってくれば、無意識にすりこまれているものはある。
「『理解しあえない人は無視しましょう』と切り捨てていくのではなんの解決にもならないし、私はそれよりもなぜその言動をするに至ったかを突き詰めて考えたいんです。だって不愉快な差別意識と拮抗するくらいその人には魅力的な個性があるから好きになるわけでしょう。世の中には女性に理解のある人とない人、暴力をふるう人とふるわない人がいるのではなく、みんなグラデーションでつながっている。早藤は確かに極端な例ですが、決して異形の生物ではないということを描きたかった」
人妻・風俗嬢との運命の恋、その顛末――『ロマンス暴風域』
そんな鳥飼さんが初めて男性を主人公に据えたのが『ロマンス暴風域』。高校の臨時教員・佐藤民生(サトミン)が風俗嬢・芹香と運命の恋をするという、ある種男性にとっての夢物語……なのだが、恋が燃え上がるほどに芹香の“怖さ”と現実の無情さが浮かび上がってくる。
「『週刊SPA!』で連載されていたもので、『棚ぼたセックスとか特集している雑誌で、女の目線で現実的なことを描くのは斬新じゃないか』と編集者と話したところから始まりました(笑)。実際に風俗嬢に恋をした友人をモデルにしたんですが、芹香と別れて以降の2巻は完全にフィクション。サトミンはいろんな女と関係をもつようになるけれど、実際、ヤリチンと呼ばれる男性たちに話を聞いてみると、女性に裏切られたり大恋愛の果てにフラれたりした結果の穴埋めであることが案外多い。
だけどサトミンも彼らもモテるのは誰にとっても都合のいい男になれるからで、誰に対しても興味がないし自分のことをわかってほしいなんてまったく思っていないからなんですよね。それってたぶん、すごくむなしい。モテってなんだろう?ってことも含めて男性側の意識を描けたのはよかったなと思います。あと2巻で登場する風俗嬢のなっちゃんは、私がいちばんエロスを感じる女でもあるので描いていて楽しかったです(笑)」
写実的な鉛筆画で描かれる、繊細な少年少女の感情
――『前略、前進の君』
『前略、前進の君』は、制服をまとう10代の少年少女の、思春期の揺らぎを短く切り取ったオムニバス。すべて鉛筆線のみで描きこむという、これもまた初挑戦の作品だ。
「連載(掲載誌『Maybe!』は小学館発行のファッション・カルチャーマガジン。前身となった『This!』より連載開始)を依頼されたとき、編集者に言われたのが『10代の頃に触れた作品のいくつかは、ざらっとしていて呑み込めなくて、いまだに棘のように刺さり続けている。それが今の自分を作っているし、そういう雑誌を作っていきたい。鳥飼さんなら創刊にふさわしい作品を描いてくれると思った』と。
ただ、その頃は連載をいくつか抱えていてこれ以上増やしたらパンクするような状態で。鉛筆でざっと描いたような手抜きでよかったらやってもいい、と引き受けたんですが……結局いちばん時間のかかる連載になりました。緻密に描きはじめたら止まらないし、最初の頃は慣れていないからアシスタントも使えないし、仕事場での作業が終わってから自宅に持ち帰って宿題のように描いていた。年に2、3回の発行だからよかったけど、締め切りのある月はだいたい体調を崩していました。肺炎になったこともあったかな。やっと終わったので、今はほっとしています(笑)」
大きな物語があるわけではない。だが、各話約20ページの中には息のつまりそうな切迫感と性に対する困惑が凝縮して描かれている。柔らかく写実的な鉛筆画の技法によって、より少年少女の感情が繊細に浮かび上がるからだろうか。まさにざらっとしていて、簡単には呑み込めない。
「第5話の『boys』を描くちょっと前かな、女性をかわいいものとして一方的に消費する文化はけしからん、という主張を発端に論争が起きているのを見かけて。某雑誌のセックス特集では男の肉体をエロスとしてとりあげているし、男性アイドルが年配の女性芸能人を接待しているように見えるときもある。男だってやられているんだから、女だけが文句言うな、って反論が反論を呼んで乱闘みたいになっていた。こういう二極対立は本当に不毛だし、どうにかならないのかなと思っていたとき、Charli XCXの『Boys』という曲のPVを観たんです。可憐な青年、ひげもじゃの青年、小太りのおじさん。いろんなタイプの男性をときにピンクバックで、おしなべてかわいく“Boys”として撮られていることに感動してしまって。かわいいというのは、幼いとか、か弱いとかそういうことではなく、誰もが持っているものなんだということが伝わってきた。
私自身、いろいろ汚い部分や許しがたい部分を描いてはきたけれど、それでも男性にはそれぞれに美しさがあるという感覚を捨てずにいたいといつも思っているし、男の子が男の子らしくあることも否定はしたくない。その気持ちを込めて第5話は描きました。男女の無理解について描きたいというのは、できるだけわかりあえるよう寄り添いたいということで、相手を打ちのめしたいわけではないから」
内面の意識に実は男女の性差なんてない
鳥飼さんの姿勢はいつだってフェアだ。〈弱い側にいるという自覚は、そうでない側を場合によらず否定してもいいような錯覚を起こすことがある。(略)それはやってはいけないことで、された側からすれば不当な非難だ〉と『漫画みたいな~』にも綴られていたが、被害者と加害者になりうる可能性もまた、誰にとってもグラデーションなのだということを描き続けている。
「同じ日本で同じ時代を生きている以上、男も女もある程度共通した規範意識をもっているはずで、その表出の仕方が性別という器によって異なるだけだと思うんです。内面の意識に性差はきっとあまりない。女性でもグラビアを見て高揚することはあるし、結婚しない・男性経験のない女性を見下す女もいますよね。男女それぞれに社会から背負わされている役割があって、それに傷つき苦しんでいる人がいる。だけど同時に得もしている。どこからが嬉しくてどこからが悲しいのか。その境界線は、私自身とても曖昧なんです。たとえば、40代以上の男性が女性に無条件で優しいのはバブル期にレディファーストという概念が浸透したからで、それだってある意味、差別意識から生まれたもの。でも、だからといって拒絶するのではなく、私はその優しさを魅力として受けとりたい。その結果、相手の差別意識に傷つけられたとしても、異形のものとして分断するのではなく、その言動の背景を考えたうえで怒りを示していきたい。その過程で感じたことがきっと、これからも作品の端々にあらわれてくるんだろうなと思います」
取材・文:立花もも 写真:山口宏之
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