「あのTV番組はゴールデンに移ってつまらなくなった…」そのワケを人気番組Pが告白
公開日:2018/11/10
「コンテンツ」という言葉がいたるところで使われるようになってきた。一般的に「コンテンツ」だと認知されているのは、テレビや音楽、本、広告などだろう。だが、“誰かに向けて何かを作る”仕事ならば、それはどれも立派な“コンテンツ作り”だといえよう。本書『人がうごく コンテンツのつくり方』(高瀬敦也/クロスメディア・パブリッシング)は、世の中のものやサービス全てをコンテンツ(になり得るもの)だと語り、さまざまな商品やサービスの企画などの、幅広い場面で応用できるコンテンツ作りの極意を教えてくれる。
著者の高瀬敦也氏は、フジテレビで「逃走中」や「ノイタミナ」などの人気番組を数々企画し、近年はマンガ原作やアイドルプロデュースまで手掛けている、まさにコンテンツ作りのプロ中のプロ。そんな著者の知識や経験に裏打ちされた内容の一端を紹介したい。
■東京はマイノリティ! もっと「生活者」の気持ちに寄り添うべし
コンテンツの作り手は、しばしば自分の「想い」や境遇によるバイアスの影響を受け、ターゲット(受け取り手)となる「生活者」の意識が想像できなくなることがある。著者は、テレビ局時代に、「東京はマイノリティ」だということを常に心がけ、東京の感覚だけで物事を判断しないように気を付けていたという。
テレビ局の制作スタッフは、ほとんどが首都圏在住だが、テレビの視聴者は日本全国にいる。東京のように朝までお店が営業していて、移動は基本的に電車で…という環境で生活している人たちは、全国各地を見渡せば実は少数派なのだ。このように、コンテンツを作る際は、自分と「生活者」の感覚が異なること意識しながら、「生活者」の気持ちに寄り添うことが大切だという。
■深夜番組はイクラ丼、ゴールデンは海鮮丼
よく、「あの番組はゴールデンに行ってつまらなくなった」とか、「あのベストセラーはおもしろくない」としたり顔で語る人がいる。だが、著者によると、これは当たり前の現象なのだという。
この問題は、コンテンツ作りにおける“ニッチ”と“マス”の違いに直結する。著者は、本書において「コンテンツ化とは狭めること」だと繰り返し語っているのだが、これは「狭める」ことで余計な要素がなくなり、より満足度を高められるということ。
例えば、イクラが大好きな人がいたとしよう。この場合、他の無駄なものをそぎ落とし、その人のニーズにぴったり適応したのが“イクラ丼(=ニッチ)”だ。だが、世の中にはイクラがそこまで好きではない人や、苦手な人がたくさんいる。彼らにも食べてもらえるものを作ろうとすれば、イクラの他にもさまざまな具材を少しずつ盛った“海鮮丼(=マス)”にしなければならない。そうすると、ターゲットは圧倒的に広がる一方で、もともとイクラが大好きだった人にとっては物足りないものになってしまう…というわけだ。
このときの海鮮丼が、ゴールデンの番組やベストセラーの本なのである。ニッチとマスは、どちらが良いとか優れているというものではない。自分たちの作るコンテンツがどちらを目指しているのか常に意識しておくことが必要だ。
ライターとしてコンテンツ作りにいそしむ筆者にとっても、本書の指摘は「なんでこんなにこっちの悩みを知ってるんだ…」とびっくりするほどに、思い当たる節のあることばかりだった。「コンテンツ化とはマッチングである」「コンテンツ化は“制約”があってこそ」「既視感を利用する」「人の生理に合わせる」「半歩遅れが丁度よい」…などなど、本稿では紹介しきれなかった部分もぜひ読んでみてほしい。早速、学んだことを次の企画に生かさなくては!
文=中川 凌