「泣いたり笑ったりしながら生きて…」末期がんの母親と娘が長崎のホスピスで体験した“看取り”

暮らし

公開日:2018/11/24

『シスター・ヒロ子の看取りのレッスン』(小出美樹/KADOKAWA)

 人はいずれ亡くなる。親も友達もパートナーも自分だって、みんなやがていなくなる。大切な誰かが最期を迎えるとき、私たちはその瞬間をどう看取ればいいだろう。死ぬことが怖くて、悲しくて、本人も周りもどうしていいか分からないとき、後悔なくお別れするにはどうすればいいだろうか。

 長崎県の聖フランシスコ病院には、ホスピスがある。末期がんなど治る見込みのない患者たちを受け入れ、人としての尊厳を保ちながら、死の恐怖や苦痛を和らげるケアを行う場所だ。ホスピスに入院した多くの患者にとって、ここが人生最後の場所となる。

『シスター・ヒロ子の看取りのレッスン』(KADOKAWA)の著者・小出美樹さんの母親も聖フランシスコ病院のホスピスに入院した。悲しい別れになることを想定していたが、あるひとりの女性、シスター・ヒロ子さんの存在が親子の最期を変えた。

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 本書は、シスター・ヒロ子さんから教わった「看取りのレッスン」を記した1冊だ。

■末期がんになった母親に後悔する父と娘

 私たちは生きている者に対してとても鈍感だ。育ててくれたことを感謝すべき親、思い出をいつまでも共有できる友達、共にかけがえのない時間を過ごしてきたパートナー。彼らなくして人生は成り立たないのに、彼らが元気な間はどうも邪険に扱う。ときにはひどい言葉でなじる。

 やがて彼らと過ごせる時間が着々と減っていることに気づく。しかしその頃には、恩を返すチャンスも、あの頃を思い出しながら一緒に遊ぶ元気も、優しい言葉をかける余裕もなくなっているのだ。

 母親が末期がんを患ったことを知って慌てて長崎の実家に帰り、父親と在宅医が母親を介護ホームに入れる相談を交わす光景を目にしたとき、小出さんは泣きたくなったそうだ。母親の容態が思わしくないことを知りながら、なぜすべて父親に任せて自宅に帰ってしまったのか。弱々しく横たわる母親の姿に、後悔の念がわいたという。

 父親は昔から遊び人で、仕事と遊びを優先して家庭を顧みなかった。しかし妻が末期がんになった今では、必死に介護をしている。消えない後悔と悲しみが、ぶっきらぼうな家事になって表れる。小さなミスをした娘を怒鳴りつける。そしてその光景をみて母親は繊細な心を痛める。

 本書を読むと感じる。人は不器用だな、と。私たちは後悔するべく生きているのだろうか。この親子の姿を責められる人は少ないはずだ。

 そんなとき長崎市の高台にある聖フランシスコ病院の存在を知る。本来ならば満床で1ヶ月以上の入院待ちを余儀なくされるのだが、運が味方したのか、母親はホスピスに入院できた。

 そしてそこで出会ったのが、少女のような笑顔と表情で会う人の心を和らげる、シスター・ヒロ子さんだった。

■シスターの姿そのものが「看取りのレッスン」

 修道着で身を包むシスターはとても小柄で、70歳を超えているのに肌がつやつやしている。個室に入院する母親を何度も訪れ、「ご気分はいかが?」と声をかける。彼女の仕事は患者とおしゃべりをすることだ。だから母親といくつか会話をして笑ったあと、別の患者のもとへ行く。

 本書は、看取りのレッスンを記した1冊だ。しかしレッスンらしい手順やコツは一切書かれていない。本書から感じるのは、ビジネス書にあるような方法論ではなく、大切な誰かを看取るとき、最期の瞬間を後悔なく見送るための心の在り方だ。

 ある日、母親がうとうと眠ったとき、天国に行く夢を見たという。それをシスターに話すと夢見るような顔で胸の前で手を合わせ、「素敵ねえ、もうすぐ神様に会えるのねえ」と本気でうらやましがった。母親が「船に乗っていく気がするの」と言えば、シスターは「好きなものに乗って行っていいのよ」と励ます。

 これだけじゃない。ホスピスには他の宗教を信仰する人も入院するので、シスターに来てほしくないと言い切られることもある。しかし彼女は一味違う。「俺は極楽浄土へ行くんだからあんたが来ても無駄だ」と言い放つ患者さんを「あら、天国も極楽浄土も隣の座敷みたいなもんですよ」と諭してしまう。これには患者さんも笑い声をあげたそうだ。

 患者たちは死を受け入れようと必死だ。恐怖と悲しさと不安で心が悲鳴をあげている。シスターは、死を受け入れようと闘う彼らを、受け入れようとしているのではないか。だからこのような言葉が出てくるのかもしれない。本書に描かれたシスターの姿こそ、「看取りのレッスン」そのもののように感じる。

■人の笑顔に救われなさい。泣いたり笑ったりしながら生きていきなさい。

 大切な人との別れだけじゃない。人は生きていると、どうしても後悔がつきまとう。今を苦しみながら過ごす人がいる。だから本書よりシスターの言葉を2つご紹介したい。

後悔ばかりしていたって先へは進めないでしょう。そんなときは漢字を変えて後悔を航海にすればいいのよ。本当に旅に出なくても、新しい方向に向いてみることはできるでしょう。(中略)一つの思いに囚われていたら、いつまでたっても便秘気味で気持ち悪いものねえ。囚われるっているのも、人を囲むって書くでしょう。囲いを取らないとね。

いろんなことがあるけど、いろんなことがないと人生はつまらないのよ。波がないと楽しめないサーフィンと一緒。(中略)神様はね、人を用いて人を助けるのよ。人の笑顔に救われなさい。泣いたり笑ったりしながら生きていきなさい。

 シスターの心温まる言葉の数々に、小出さんは救われ余裕を取り戻し、そして母親の最期をしっかりと見届けることができた。

 小出さんと母親のように、私たちもいずれは誰かを見送り、そして見送られる存在だ。そのとき後悔なくお別れができるだろうか。たとえ後悔しても、気持ちを別の方向へ航海させられるだろうか。本書はそのヒントを与えてくれる。

文=いのうえゆきひろ