『働くおっぱい』「ワンナイトお酒ラブ」/紗倉まな
公開日:2018/12/10
朝、寒くて飛び起きてみると、全身裸だった。隣にはもちろん、誰もいない。
所謂「ワンナイトラブ」を経て迎えた情緒的な朝ではなく、一人で毛布にしがみついていた。思考停止のまま、這うように浴室に向かう。
すると、今度は隅の方に、獣のような黒い塊を発見した。塊は濡れていた。持ち上げてみると、モフモフしたグレーのワンピースと、穴の開いたストッキングが水気を帯びて固く絡まり合っているのがわかって、解体するのも面倒くさくなり、そのまま洗濯機に放り投げる。
なんで、服が濡れているんだろう。なんで、私はこんな寒い朝に、裸なのだろう。
真実はただ、一つ。私は、「泥酔して服を着たままシャワーを浴びた」のだ(事実は判明したけど理由は全くわからない)。
玄関にブーツが片足だけ転がっていたので、更に疑問に押しつぶされそうになった。右足のブーツはいったい、どこに置いてきたの? 外でブーツを脱ぐタイミングってあったの? 記憶の断片を探ろうとしても、頭が痛すぎて詮索の邪魔をする……というか、もはや考えたくもないし、誰かに電話をして事情聴取をする勇気だってない。体と一緒に豆腐メンタルも揺れる。
湯船に浸かり、湯気で顔を加湿してみても、膨らんだ金玉のようなむくみが一向にとれなくて白目を剥いた。自分という人間と、右足のブーツの捜索願はどこに届けたらいいのだろうか。いろいろと最悪な朝だった。
*
私は対人関係を築くのが苦手どころか、酒との付き合い方もこのように超絶下手くそである。嗜むように飲んでいたはずが、自分の酔いの低容量ぶりを甘く見て、いつのまにか水を飲むようなハイスピードへと化してしまうので要注意だったりする。
酒が入ると気分が高揚し、高揚しすぎたせいで情熱的に話してしまい、情熱的に話しているうちに号泣し、最終的には怒っていたりもする。それでもって、いきなり「ミノムシになりたい」「イルカになりたい」など、やたらファンシーな宣言をし始めるらしい(マネージャー説)。
ひとり劇場が始まり、大いに体力を使うので、翌朝へとへとになる。ネット掲示板ではアル中という評判が広がっているらしい。たしかに、酒乱の権化だとも思う。
そんな経緯もあり、禁酒を努めるようになった私が、“酒繋がり”でここ数か月はまっているものがあるのでご紹介したい。それが、「ボードウォーク・エンパイア」という海外ドラマだ。内容をザックリ話すと、1920年に制定されたアメリカの禁酒法を地軸に繰り広げられるハードボイルドなドラマで、主に、暴利をむさぼるギャングや為政者たち(ナッキー・トンプソン)が主人公となり、激しい抗争を繰り広げていく、という流れだ。
当時、「高貴な実験」といわれた禁酒法は、酒の製造や販売や輸送・輸入が禁止されたものの、それも名ばかりで(というのも、“家の中では酒を飲んでいい”などの曖昧な規定だったりするからである)、結果、その施行によって秩序が保たれるどころか、密造酒や密輸入が横行して状況が悪化していくという、矛盾な流れすらもこのドラマで分かりやすく描かれているのだ。
ドラマの中では、そんな「高貴な実験」をあざわらうかのように、セレブリティな人たちがワインやシャンパンやウイスキーをゴブゴブ飲みまくり、毎晩派手にどんちゃん騒ぎをしてなんとも華やかである。密造酒の味の酷さを少しでも和らげるために、ジュースや他の飲料を加えて飲んでいたりするシーンでは、カクテルの起源を垣間見たような気分になり(昔からカクテルは作られていたが、実際に禁酒法の時代にも何種類かのカクテルが生まれたという説があるらしい)、“ジャズ・エイジ”とも言われているこの時代のアメリカの文化は、観ていても「へえ~おもろ!」の連呼である。
「えっ、主要人物だったのに!?今死ぬの!?」という“海外ドラマあるある”もあって、話もテンポよく進むので、興味がなかった題材だったのに、気が付いたらシーズン4に突入した。よりボードウォーク・エンパイアを深く楽しみたいという一心で、いろんな関連書物を読み漁るところにまで、私の心を強く惹き付けているドラマでもある。
冒頭で話したように酒の失敗で猛省し、そして今度はアメリカの禁酒法の流れを知ったのだから、“酒の自粛”という共通の抑制テーマを通じて(かなり大雑把な括りだけど)、お酒そのものに対して考える時間も増えた。
“人を狂わせる”ほどの偉大な燃料。自由に堂々と飲むことができる現代に置かれた私は、それをどう消費していけばいいのか。まぁ、とりあえず「泥酔するな」というのが一番最初に思いつく扱い方であるに違いないけれど……。正しい使い方をすれば自身の心を労わることができ、「杯を交わす」という液体共有でもって他者の深部に入り込むこともできるという、素晴らしい“道具”であるはずなのだから、もう少し丁寧に、そして合理的に愛でていきたい。
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私の心の中で「もう飲みすぎない(どうしてもの時以外は)」という緩慢な禁酒法を制定した矢先。久しぶりに学生の頃の親友と飲みに行くことになり、《どうしてもの時》が光の速さで訪れた。もうこの時点で不安しかない。
変な話かもしれないけど、私はどれほど親しい人と飲むとしても、ものすごく緊張するタチである。店に向かうまでの道中、話すシチュエーションを思い浮かべてみても、緊張を緩和させるためにとりあえず酒を入れて、普段の自分を破壊していく様だけが鮮明に再生される。ただでさえお互いの共通項も以前に比べれば減ってしまっているのだから、話題はなかなか盛り上がらないのではないだろうか。
エロ村に所属する私は、エロ村に所属していることを追及してこない彼女に、どこまでの自分の内情を話すことが適切なのだろうか。考えすぎのような気もするけれど、本音はこんな感じである。働くおっぱいの禁酒法は、制定してから半年強になる。……これ、今宵で大いに違反する疑惑、浮上。
他者から不思議がられることの一つでもあるのだけれど、私は親友に、自分の恋愛の話を殆どしたことがなかった。在学中に私が今の仕事を始めたときだって、一番身近な存在であったのに興味本位であれこれ聞いてくることもなく、いつだって彼女の中で「これ以上は踏み込んではならない」という境界線が明確にひかれているような、不思議な距離感を保ちながら友情関係を育んできた。
「聞きにくいことは聞かない」「聞きたくないから聞かない」「そもそも興味がない」。そんな気持ちが混じっている可能性もあるけれど、“働くおっぱい”への強烈な転身を遂げる前から、「恋愛や性などのプライベートなことは敢えて聞かない」という暗黙のルールを15歳の時からずっと守り続け、それでもものすごく仲が良いと感じていたので、これが正確な“友情”という形なのだと思って生きてきた。
どうしてこの関係に落ち着いたのかと言えば、私たちが置かれていた環境が大きく作用しているのかもしれない。
というのも、私が当時いた学校は男子生徒の比率が多く、圧倒的に少ない女子生徒に対して、アプローチや選ぶ言葉は人によって違うものの、過度なセクハラビーム的なものを集中砲火される状況であった。同性が多くなると集団化して強気になり、特に何も思っていないのに、目についた少数派の異性に対して、暇つぶしも兼ねた陰湿でしつこい冷やかしや、からかいをする連中であるとカテゴライズしている。
彼らが性的なことを想起させる言葉や所作は全て幼稚で、煩わしく思っていた女子生徒は多かったのではないだろうか。親友もその一人だった。
「男子って本当に嫌い」が口癖だった。
ただでさえ彼女はべっぴんさんだったから、まだ土埃がついている作物のような私なんかよりも、当然ながら、数百倍嫌におもうことはあったのだと思う。私が呑気に「くだらないなぁ」と心の中で笑いながら見ている一方で、彼女が溜息をつきながら発するこの一言はあまりにも対照的で、痛く心に刺さった。
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そんな状況の学校生活を送っていたからこそ、私も自らの性にまつわる話は伏せる傾向に走った。さらに、初体験を済ませたときや、恋人とデートに行ったとしても、そういった話はなるべく出さないようにしていた。彼女が嫌う“性的な匂いを出す男子”の一人と付き合って、さらに“性的なことをしていた”というのは、絶対に言わないほうがいいだろうという自己判断だった。
彼女が選ぶ交際相手は、きっと、まったく性の匂いを出さない、紳士的なひとであると勝手に思っていたし、そんな彼女の価値観と足並みを合わせて思考の領域を共有したかったし、何より、彼女に幻滅されたくなかったのだと思う。それに思わぬところに不快に思わせる地雷を置いてしまったとして、それを踏んだ彼女を見て、自分がうまく回収できる自信もなかった。
だから、私が恋人とモーテルに行ったときにうっかり爆睡してしまい、寮の点呼に間に合わず、先輩にこっぴどく怒られ、そのあと先輩の夜食の為にから揚げをせっせと揚げていたせいで寝不足であっても、最初のモーテルのくだりは彼女には告げない。「寮生活で受ける先輩からの洗礼はなかなかに理不尽なものである」という落としどころで終えるのだ。
そんな私たちの関係性の中で、ただですら恋愛の話をしないのに、その延長線上にあるもの、例えば、結婚や出産に至る機会がどちらかに訪れたとき、どんなふうに報告し、どんな話をするのか。当時はまったく頭に浮かばなかった。
そんな彼女と先日、数年ぶりに会うことになったのだから、そりゃあ、いつになく緊張した。
私たちもそろそろ二十代後半にさしかかろうとしているし、周りの女の子たちは結婚とか出産のことを話したりしているけれど、こうしたことも含めた女性の生き方については、やっぱり、あまり触れないほうがいいのかなぁ。そんなことを考えながら、お酒を一杯、二杯と、なるべく品よく、彼女のペースに合わせてゆっくり飲んでいた。
しばらくすると、変化が訪れた。お酒を飲んでいた彼女から、自然と恋愛というテーマに舵が切られ、いつの間にか盛り上がっていたのだ。
今まで一ミクロンも話していなかったことばかりだった。過去の恋愛のことや今現在の話、どんな人が好きになるのかといったことまで、自然に互いの口が動き、発せられていたことが何よりも不思議だった。恋愛の話なんてきっと、もしかしたらもっとスムーズにできたことだったのかもしれないけれど、時を経て、酌み交わすことで、つまずくことなく、円滑に、自然に執り行われていた。どんな人が好きになり、どんなデートをして、どんな恋愛関係を構築してきたのか。アウストラロピテクスから新人類に辿り着いたくらいの進化に感じた。知らなかった断片を拾うたびに、「あぁ、本当は互いにちゃんと興味をもっていたんだな」と、静かに感動してしまったのである。
酒というのが道具として、はじめて有効に使えた瞬間だった。気が大きくなり、酔いが自分の本性を少しずつ暴き始め、相手がそれを受容しようとしてくれたとき、頭の中で利益と損失の天秤がどうしてもぐらぐら揺れる。ぐいっと飲めば、そんな天秤を叩き割っても気にしなくなる心地よさが訪れるけれど、大人になってその心地よさに浸ることだけが酒の役目ではないような気もして、結果、心から楽しみながら飲むという活用方法をとれずにいた。
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毒にも薬にもなる酒の使い方は、本当に様々だ。友人との空白を満たす話の潤滑剤にもなれば、会話が苦手な自分にとっては、適度であればもちろん商談などで味方についてくれることもある。酔いが深まり、脳はぼんやりとしているのに舌が勝手に動き始めてしまえば、うっかり信頼を落とすようなことだってあるのだから、同時に緊張も付きまとう。「ビジネスの場において、もしくは、ネガティブな事柄から目を背けたいという心理状態であれば、少量の酒を利用するのを許可する」という紗倉禁酒法の条項に、「友人との時間を掘り下げるための飲酒も許可する」という項を追加しよう、と決めた。
そうともなれば、残す課題は、翌朝のふくらんだ金玉顔を見て幻滅することを避けるという一点のみだ。加えて、顔の色も、表情も、土偶そっくりになっている。酒の飲み方は学んだけど、未だ飲んだ後の朝のケアが追いついていない。家電量販店の美顔器コーナーに長居しながら、現代技術でどうにか補おうと検討している次第である。
バナーイラスト=スケラッコ
さくら・まな●1993年3月23日、千葉県生まれ。工業高等専門学校在学中の2012年にSODクリエイトの専属女優としてAVデビュー。15年にはスカパー! アダルト放送大賞で史上初の三冠を達成する。著書に瀬々敬久監督により映画化された初小説『最低。』、『凹凸』、エッセイ集『高専生だった私が出会った世界でたった一つの天職』、スタイルブック『MANA』がある。
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