アパートの一室で貧困による凍死… 法医学解剖医が見た“死体の格差”

社会

公開日:2018/12/24

『死体格差 解剖台の上の「声なき声」より』(西尾元/双葉社)

 ユーゴスラビアには「われわれの生まれ方はひとつ。だが死に方はさまざま」ということわざがある。それをしみじみと感じさせてくれるのが、兵庫医科大学で法医学講座主任教授を務めている西尾元氏が著した『死体格差 解剖台の上の「声なき声」より』(双葉社)だ。

 私たちの人生は生まれた場所や病気の有無、生活環境などによって大きく異なるため、平等であるとは言いがたい。そしてそれは、死体になっても同じだ。

 本書には西尾氏の実体験に基づいた、嘘偽りのない死体格差のエピソードが全7章詰め込まれている。犯罪被害や自殺、孤独死など、西尾氏が目の当たりにする死の場面は“普通”ではないことがほとんど。だからこそ、西尾氏が伝える死体格差の現状は、平等ではない人生をどう生き抜いていけばよいのかを考えるきっかけをくれる。

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■街中のアパートで凍死する死体

 家庭を持ち、定職にも就いていると「死体格差」という言葉を聞いても、自分には無縁なことだと思ってしまう。だが、現在の日本には心身の調子を崩したり、リストラにあったりして、今の生活からあっという間に転落してしまう恐ろしさがある。例えば、ちょっとした言動で、世間からの風当たりが強くなることも。悲しい死体になる可能性は誰にでもあるといえるだろう。

 本書の第1章「貧困の死体」にはそんな風に、経済的な理由やひっそりと抱えていた本質的な問題によって異常死してしまった方の死にざまが収録されている。中には、家の中で凍死してしまっていた推定50代の男性もいるという。

 この男性は数年前に勤め先をリストラされた後、妻にも見捨てられ、家賃を滞納するようになり、最終的に凍死した状態で発見された。死亡当時、彼の家ではガスや電気、水道が止まっており、食べ物や所持金もほとんどない状況だったという。

 凍死は雪山などで遭難したときに起こるものだというイメージが強いかもしれないが、実はこんな風にアパートの一室でも起こり得る。西尾氏によれば、こうした人生の終わり方は珍しくなく、年間300体程度運ばれてくる遺体の内、10体程度が凍死しているのだそう。こうした現状を知ると、一体、彼らの内の何人が「自分は貧困によって凍死する」と予測できていたのか知りたくなる。

 病室で家族に看取られながら息を引き取る人がいる一方で、アパートの一室で誰にも知られず、空腹と孤独を抱えたまま、凍え死んでいる人もいる。それが今の日本で起きている死体格差の現実なのだ。

■精神疾患患者とその家族の孤立

 西尾氏は近年、精神疾患を患っている方の解剖を行うことが増えてきたと語っている。

私の法医学教室で解剖してきた遺体全体のおよそ50%が独居者であり、約20%が生活保護受給者、約10%弱が自殺者である。そして、約30%弱が精神疾患者であり、そのうちの認知症患者だけみても全体の5%以上を占めている。

 こうした背景には、精神疾患患者の家族も社会の中で孤立しやすく、治療で経済的な負担を抱えてしまうという理由が挙げられている。精神科の担当医たちも、ある日患者が通院してこなくなったからといって、ひとりひとりに連絡を入れるのは難しい。そのため、精神疾患患者は孤立状態になってしまいやすいというのだ。

 今の日本はストレス社会であり、精神を病んでしまう可能性は誰にでもあるからこそ、いざというときに周囲から温かいサポートを受けられるような仕組みが必要だ。例えば、精神疾患患者とその家族に対する社会の理解が広まっていけば、孤独死してしまう精神疾患患者も減っていくはず。全ての死体格差をゼロにすることは不可能に近いかもしれないが、人が人らしく穏やかに死ねるよう、私たちが努力していけることもまだまだ多くあるはずだ。

 最期のときを自分らしく迎える。それこそが私たちが望んでいる「幸せな死」であるように思う。死の格差は自分がどんな人生を選んでいくかによっても異なってくるからこそ、自分や大切な人が笑って息を引き取れるような生き方をしていきたいものだ。

文=古川諭香