これから大きな社会問題になる「中高年引きこもり」――矛盾を感じる社会問題の背景にあるものは?

社会

更新日:2018/12/28

『矛盾社会序説』(御田寺圭/イースト・プレス)

「目に見えない透明な人」ことを知っているだろうか。SF映画に登場するような、物理的に見えない人間のことではない。社会的に不可視化された、誰からも相手にされない人々のことである。それは、これまでの社会が追い求めてきた「自由」の影に追い込まれ、今も追い立てられ続けている人々でもある。そして、彼らの「叛乱」はすでに社会問題として表面化し、やがては社会そのものを根底から覆すかもしれない。

『矛盾社会序説』(御田寺圭/イースト・プレス)は、現代社会が追い求めてきた「自由」が生み出す影について鋭く切り込む一冊だ。メディアなどでまともに取り上げられることがない「見えない人」の存在を浮き彫りにする。そして、そうした人々が生まれる背景に、社会が築き上げてきた「かわいそうランキング」の存在があるというのだ。

「弱い人には手を差し伸べよう」という言葉を否定する人は少ないだろう。「社会的弱者」というワードが一般化して久しいなかで、助けを必要としている人々のために行動を起こそうという意見は素晴らしいものだ。しかし、弱者と呼ばれる人々に注がれる「優しさ」は無限ではない。弱者と呼ばれる人々のなかでも、早期に助けを与えられる人と、いつまでも救われないままになる人がいる。そして、それは「どちらのほうがかわいそうなのか」という基準で決められてきた。なぜなら、助けを与える人々には「誰を助けるか」を決める自由があるからだ。多くの人が「かわいそうだ」と感じるものは救われ、そう思われないものは救われない。弱者でありながら、追い詰められた存在でありながら、それでも顧みられることのない「不可視な人々」に光を当てるのが本書のテーマである。

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 たとえば、本書には過労自殺に関する話がある。とある広告代理店で働いていた女性社員が自殺した事件は、過労に原因があったとしてニュースでも大きく取り上げられた。それ自体は大切なことだが、疑問が残る。「どうしてこれまで過労自殺は見過ごされてきたのか」という疑問だ。日本における自殺者の割合はあらゆる年代において、女性よりも男性のほうが高い。しかし、女性社員の自殺のように大々的に取り上げられることはなかった。その理由を著者は「男性の自殺者はかわいそうではないから」だったというのだ。「男性は仕事ができて当然、稼げて当然」という風潮は今も厳然と残っている。そんななかで、仕事の忙しさを苦にして自殺した男性は負け組であり、自己責任として片付けられてしまう。自ら命を絶たなければならないほど追い込まれた「弱者」のはずなのに、ただ「かわいそうではない」という理由だけで同情さえされないのである。

 また、これから顕在化するだろう問題への警告として、「中高年引きこもり」の問題にも言及している。40歳を超えた引きこもりは、これから大きな社会問題になるというのだ。彼らは、バブル崩壊直後の「就職氷河期」世代であり、引きこもりになったきっかけの多くは就労問題だという。つまり時代の趨勢によって、引きこもりになってしまったともいえる。ところが、彼らが直面した「就職氷河期」の問題を当時の大人たちは無視した。「就職できないのは本人の努力が足りないからだ」という無理な自己責任論を押し付けて。ところが、それは問題の先送りに過ぎなかった。仕事がなく経験もない「中高年引きこもり」は、たとえ無視したとしても消えるわけではない。これまでは親世代の財産によって食いつないできたが、それも限界である。彼らに対し、社会が向き合うべき時が来たというのだ。

「こんな人たちの世話をどうして我々がしてやらないといけないのか」と憤る人もいるかもしれない。その答えは、本書のなかにある。端的にいえば、「彼らが自由の代償を背負う存在だから」だ。

 現代社会は自由を尊ぶ。誰もが自由に生きていける。けれども、自由とは「何を選ぶか」を決めることだけではない。それと同時に「何を選ばないか」を決めることでもあるのだ。人々が好きなものを選び続けるなかで、選ばれないまま「見えない人」になった彼らは、自由な社会を維持するための生贄だ。そんな彼らの実像を描いた本書は、多くの社会問題に通じる根源的な要因を知るきっかけを与えてくれるだろう。

文=方山敏彦