「セクハラ」になるのはどこから? アウトとセーフの分かれ目は?
公開日:2018/12/26
2018年の「新語・流行語大賞」を「#MeToo」は受賞できなかったものの、セクハラや性暴力について、大いに考えさせられた1年だった。同時に「何がセクハラに該当するか」で、多くの人が戸惑った1年でもあった。
セクハラの定義とは何か。厚生労働省の都道府県労働局雇用均等室による、事業主向けパンフレットに掲載されているセクハラの例は、
・性的な内容の発言(「今日生理?」「最後にセックスしたのいつ?」などと尋ねること)
・性的な行動(性的な関係を強要したり、必要なく体へ接触したりすることなど)
に大別されている。しかし大阪大学大学院教授の牟田和恵さんの『ここからセクハラ!: アウトがわからない男、もう我慢しない女』(集英社)によれば、セクハラはあからさまな強要や露骨なわいせつ行為として現れるだけではなく、そのほとんどが微妙な関係の中で起こってくる、曖昧模糊としたものだという。
確かにわかりやすく部下に向かって「今日生理?」などと聞いてくる上司は、もはや絶滅危惧種だろう。
一方、上司と出張に行き、「わかってるだろ、俺の気持ち」と言われてやむなく関係を持ったものの、その後「大人の付き合い」を続けてしまった女性は、セクハラどころか本人が責められる傾向にある。しかしこれも立派なセクハラなのだ、と牟田さんは言う。
悪代官のようなセリフを吐く人はめったにいません。そんな真っ黒なセクハラは、ほとんどマンガの世界。だからこそ、セクハラで訴えられた多くの男性は「自分はそんな脅しをかけたことはない。そんなつもりはまったくない。だからセクハラなどでは決してない」と思うわけです。
しかし、本人からすれば一般的なアプローチやデートの申し込みであっても、力関係上、下位の立場にある女性部下は「この人に従わなければまずいことになるのだろう」と不利益を恐れるもの。相手の勝手な解釈だと思うかもしれませんが、「下位のものは自ら迎合」してしまうものなのです。
つまりセクハラとは、上位にあるものが下位の異性が本心では望んでいない行為に、同意を求めることを指すことがわかる。確かにアメリカで起きた「#MeToo 」ムーブメントは、ミラマックスの創設者という、ハリウッドの超大物が女優や従業員に性的な嫌がらせをしたことで生まれた。日本での財務省の福田淳一元事務次官による「ホテル行こう」などの発言も、コメントを取って記事を書かなくてはならない、女性記者からの告発で公になった。このことからもセクハラは、不均衡な権力構造の中で生まれる、強者による弱者へのいやがらせと言えるだろう(だからもちろん、権力を持つ女性上司が男性部下に望まぬ同意を求めるケースも、立派なセクハラに該当する)。
また女性部下をイジるようなネタで上司が皆の笑いを取るのも、セクハラに当たるという。イジリ系のハラスメントも女性の意に反して行われ、職場環境を悪化させるからだ。しかし「だったら美人だねと、ほめておけばいいのか!」と言えば、話はそう単純ではない。
多くの働く女性は容姿や女らしさではなく、仕事内容や能力で評価されたいと思っています。評価されるのが容姿」「だけ」というのは不本意であり、「美人」だと評価されることは職業人として軽視されていると感じているのです。
「職業人」にとって、「美人」は決して誉め言葉にならないのです。
要するに仕事の場に、セクシャリティに関する話題を持ち込む必要はないのだ。「やっぱ美人がいると職場が華やぐなあ」「それに比べて●●さんは魔除け系だよね(筆者が以前アルバイト先で本当に言われた)」といったセリフは昭和の頃は当たり前だったのかもしれないが、平成ももうすぐ終わる今ではセクハラに該当する。いや、昭和の頃だってアウトだったのに、セクハラに対する認識が薄かったこともありスルーしたり茶化したりするのが精一杯だったに過ぎないのだ。
こういうことを書くと「もう何も言えない」「部下にどう声をかけていいのかわからなくなった」と思う人もいることだろう。それに対して牟田さんは、
「セクハラ、セクハラうるさすぎて天気の話しかできない。何を話したらいいのかわからない」なら、無理に話題を作らなくてもいいのではないでしょうか。「聴く」人になってみるのです。上司として職業人として、部下の話を敬意と興味を持って聴く。好かれる上司、デキる上司、人望のある上司、男女問わずリスペクトの対象になる上司はみな「聴く力」を持っています。
と続ける。話す自信がなければ、別に話さなくてもいい。つまらない言葉で女性部下の尊厳を傷つけるぐらいなら、黙っているほうが遥かにマシなのだ。
そしてセクハラの訴えがあったら、その訴えに基づき調査をし、しかるべき処分を下すことも大事だと牟田さんは言う。「とはいってもあいつは仕事ができるし」と、仕事面の評価が高いあまりにうやむやにするのではなく、優秀な社員なればこそ、セクハラをしない規範になるべきだと指摘している。
同書は「何がセクハラかわからない」という男性にとっては良い薬になり、自分のされていた行為がセクハラかどうかわからない女性にとっては、目を覚ますきっかけになる。知っているようで意外とわかっていないゆえにセクハラの被害者や加害者にならないためにも、誰もが目を通しておくべきだと言えるだろう。
文=玖保樹 鈴