村上春樹が翻訳を切望した作家とは? 郊外の高級住宅地を舞台にした20篇の短編集
公開日:2018/12/26
『巨大なラジオ/泳ぐ人』(ジョン・チーヴァー:著、村上春樹:訳/新潮社)は、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の作者J・D・サリンジャーと同時代に、都会派の作家として活躍した著者の短編21篇を村上春樹が翻訳したものだ。
収録されている作品は1940年代から70年代に書かれたもので、物語の多くはニューヨークやその近辺の郊外を舞台にし、ほとんどは中産階級かそれより上位の人々を主人公に展開される。
題名になっている『巨大なラジオ』は1947年に書かれた作品で、高級アパートに住むある夫婦が、他の棟でのやりとりが聞こえる歪なラジオを手に入れる、SF的な不思議さもある物語だ。『泳ぐ人』は1964年に書かれた著者の代表作の一つで、ある青年が高級住宅地のプールというプールを渡り歩き、時空までをも越えていく作品だ。
筆者が特筆したいのは、ジョン・チーヴァーのキャリア初期の1946年に書かれた『サットン・プレイス物語』だ。ニューヨークのある奔放な上流階級の夫婦は乳母のミセス・ハーレーを雇っていて、彼女は夫婦の娘でまだ3歳にもなっていないデボラを公園に連れて行く。無垢なデボラは死んだ鳥を、寝ているのだと勘違いして触ろうとする。そこで、ミセス・ハーレーはデボラにこう怒鳴る。
「いったいどうしたって言うの。あんたの部屋にある人形の乳母車は二十五ドルはしたはずだよ。それなのに死んだ鳥と遊びたがるんだからね。あっちに行って川をごらんよ。ボートをごらんよ。でも柵に上るんじゃないよ。向こう側に落っこちちゃうから。そして川の強い流れに飲み込まれたら、もう一巻の終わりだからね」。
この後、デボラの周囲にいる大人たちの世界が激しく掻き回されるような出来事が起きるが、色あせない作品というのは、未来に対する予言のような描写を含んでいることが多い。「眠った鳥と死んだ鳥を勘違いする」「柵を上る」「向こうに落っこちる」「川の流れに飲まれる」といった比喩から、皆さんは何を想像するだろうか。筆者は現代社会に溢れ返る情報の渦と、鈍っていく現代人の感覚について思わず連想してしまった。
村上春樹は、著者の作品を30年以上前から翻訳したかったという。時間が経ってもさほど価値が変わらない作品であると信じて緩やかに構えていた結果、このタイミングでの翻訳となったそうだ。巻末には雑誌『MONKEY』を編集している柴田元幸氏との解説対談が収録されていて、村上春樹は著者に関してこのように話している。
ただ小説というのは引っかかりがないとダメなんですよね。どこかで引っかかってもらわないと困るけど、引っかかりすぎてもらっても困る。チーヴァーはその辺の呼吸をすごく上手に摑んでいる人だと思います。うまいなぁと感心してしまいます。とにかくあまり難しい言葉が出てこなかった。
J・D・サリンジャーの人生を描いた『ライ麦畑の反逆児/ひとりぼっちのサリンジャー』が1月に劇場公開、村上春樹原作の映画『バーニング 劇場版』が2月に公開、『ハナレイ・ベイ』も同月にソフト化される。本書はその関連作品としてもぴったりだ。
文=神保慶政