進化する「全巻一冊」はマンガの一気読みを変えるか?

マンガ

公開日:2019/1/5

一気読みがさらに快適に

 小説よりもビジュアルに訴求し、映画のように「尺」の制約も少ない。「誰かの人生」を追体験できるエンターテインメントとしてマンガは秀逸なコンテンツだ。この年末年始、たまたま読み始めた名作マンガを気がついたら全巻読んでしまっていたという読者も少なくないはずだ。電子書籍の普及のお陰で(せいで?)何十巻もあるマンガでも気軽に読み切ってしまうことができるようになった。

 そんな「一気読み」というマンガ体験をさらに快適にしようという意欲的なガジェットが「全巻一冊」だ。昨年9月に突如現れたこのデバイスは、2枚の電子ペーパーを搭載し端末というよりも「本」と呼ぶのが相応しい。電池駆動で操作もシンプルな「一冊」に『北斗の拳』を収録し、クラウドファンディング「Kickstarter」の日本ローンチプロジェクトとしても、注目をあつめた。その際ダ・ヴィンチニュースでは開発リーダーの小西氏へのインタビューも行っている。

 スマホで読まれることを前提とした最近のマンガは2ページを用いた「見開き」表現を用いないことも多い。しかし、いま名作と呼ばれるようになった作品ではここぞという場面で見開きが多用される。スマホや通常の電子書籍端末では肝心の見開きが片方ずつしか見られない。これでは感動も半減してしまうというものだ。iPadのような10インチ以上の画面を持つタブレットであれば横表示にして見開きを再現することができるのだが、そこにも実は盲点がある。

 見開きは紙の本では「のど」と呼ばれる綴じの部分を前提に描かれている。ページとページの間が綴じられているので、絵がズレていたり途切れていたりしても気になることはない。しかし、紙をスキャンしてデータ化している電子書籍では、そのズレや途切れがくっきりと見えてしまうことがあるのだ。ほんの数ミリという次元の話なのだが、物語に没入していればいるほど、興ざめしてしまうきっかけともなってしまう。

「全巻一冊」は電子ペーパーを2枚置しているため、中央部分――紙の本で呼ぶところの「のど」――にマージンがある。そのため、見開きがぴったりつながることもないのだが、この見開きのズレ問題も意識されることがない。

 さらに、これまでの電子書籍では、通常1巻毎に購入の必要があったり、たとえまとめ買いをしておいても切り替え作業が必要だ。

(iPadのKindleアプリで『東京トイボックス』第1巻を読み終えたところ。続きを読むにはいったんこの画面を閉じて一覧画面から第2巻を選ぶ必要がある。もし購入していなければ、iPadアプリではAppleの制限によってKindleストアが開けないため、さらにブラウザでストアにアクセスするといった手間が必要だ)

 紙のマンガであれば、積んである続きの巻を手に取って開くという動作を無意識のうちに行える。しかし電子書籍では、明らかにそこに「操作」が求められ、やはり没入感を阻害してしまうのだ。予め「全巻」が収録されている「全巻一冊」はその点でも有利だと言えるだろう。

SDカード化でさらに進化

(全巻一冊ホームページより)

「マンガ読み」の理想を形にしたような全巻一冊だが弱点がないわけではなかった。最も大きな問題は価格だ。作品を収録する形では、他の作品を入手しようとすると改めてデバイスも丸ごと購入しなければならない。電子ペーパー自体がまだまだ高止まりしている(関連記事)なか、3万円以上する端末をその都度買うのはおいそれとは難しい。

 今回、全巻一冊は「コンテンツカセット」と呼ぶ作品を収録したSDカードを本体とは別に販売することで、この問題を解決しようとしている。電子辞書などでもみられた販売形式だが、これが定着するかどうかが全巻一冊の今後を左右することになるだろう。

(全巻一冊ホームページより)

 このコンテンツカセットがお値打ちと感じられるかどうか、がキモだ。電子書店でもよく読まれることで有名な『ミナミの帝王』は、現在150巻まで発売されている。Kindleストアではこれを全て購入すると4万円以上するが、全巻一冊(『ミナミの帝王』は100巻+特別編3巻分)では1万円程度と、かなり意欲的な価格設定となっている。他の作品も割安、もしくは同等の価格設定だ。

 さらに、コンテンツがSDカード化されたことで、友人同士での貸し借りが紙のマンガや、昔のファミコンカセットなどと同じように気軽にできるようになったのも大きな利点だ。TSUTAYAの実店舗でも購入ができるようになったため、「本を買っている」感覚で手に取れるようになったのも、マンガ世代のユーザーからは受け入れやすいものではないだろうか。

 このように登場から1年が経ち全巻一冊は弱点をカバーする形で進化していると言える。個人的な希望を言えば、デバイスの側にもう一段階の進化を期待したいところだ。カラー対応は電子ペーパーの方の進化を待たなければならないが、デバイスそのものは電池ではなくバッテリー対応とすることでもっと薄型にしたり、「のど」の部分もさらに小さくできるはずだ。現状の「全巻一冊」はたしかにマンガを全巻持ち歩いているという感覚は得られる厚さなのだが、やはり気軽に持ち歩くのにはスマートとは言えない。せっかくSDカードに対応したのだから、コンパクトな端末の登場にも期待したい。

文=まつもとあつし

<プロフィール>
まつもとあつし/研究者(敬和学園大学人文学部准教授/法政大学社会学部/専修大学ネットワーク情報学部講師)フリージャーナリスト・コンテンツプロデューサー。電子書籍やアニメなどデジタルコンテンツの動向に詳しい。atsushi-matsumoto.jp