当たり前だった家族の食卓が消えてしまう…? 親の死と向き合う、号泣必至の母娘エッセイ

マンガ

公開日:2019/1/14

『さよならわたしのおかあさん』(吉川景都/新潮社)

 年末年始に帰省すると、いつでも温かく迎えてくれる両親。その優しさに私たち子どもは甘え、頼り、そして思う。“自分の親だけはいつまでも健康で生きていてくれるものだ”と。

 もちろん、人の命に限りがあることは分かっているし、背中が年々丸まっていく親の姿を見て老いを感じることもある。それでも、自分の親だけはまるで例外であるかのように思ってしまう。

 だが、もし大切な存在である親が病気で余命宣告され、残り少ない命だとしたなら、私たちはどんな風に死と向き合えばいいのだろうか。

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『さよならわたしのおかあさん』(吉川景都/新潮社)は、そんな親の命について考えさせてくれるコミックエッセイだ。SNSで発信され号泣必至と話題になった本作は、著者とお母さんの絆の深さが伝わる作品だ。

■自分の親だけはきっと長生きしてくれるはず、という願いは…

 吉川氏のお母さんは末期の肝臓がんとなり、入退院を繰り返しながらも懸命に病気と闘っていた。しかし、余命宣告を受け、ホスピスで最期の時を迎え、天国へと旅立っていく。

 がん治療は心身に想像を絶するほどの苦痛を与えるともいわれているが、吉川氏のお母さんはこうした状況の中でも弱音を吐かず、逆に吉川氏の愚痴や涙を受け止めてくれていた。吉川氏が出産した時は病気であるにもかかわらず、快く里帰りを承諾してくれるほどだったという。そのため、吉川氏は最期の瞬間まで“母の死”を現実的に受け止められなかった。

“そんなはずがない そんなはずがない こんなにも元気なおかあさんが あと2週間とか そんなはずがない”

 お母さんは吉川氏や他の家族に心配をかけまいと、明るく闘病生活を送っていたため、吉川氏はこんな思いを抱きながら、祈るように現実逃避をしていた。そして、逃避をしながらお母さんの生き様から、母の強さや子どもを想う深い愛も感じ取っていた。

“おかあさん 私もおかあさんになったから おかあさんが娘に「大丈夫」と言い続けた気持ちがわかる 本当は大丈夫じゃなかったことも”

 自身もひとりの母親である吉川氏は、現在子育てを通し、亡き母の温かさや自分の中に潜む母の影を噛みしめながら、親の死という現実と少しずつ向き合いはじめている。

■親子で一緒に過ごせる時間には、限りがある――

 私たちは子どもの頃は当たり前のように、今日起きた出来事やうれしかったこと、悲しかったことなどを親に話していた。しかし、大人になると、自分の日々のことを親に伝えなくなり、親が過ごしている日々を知る機会も減っていく。そうして毎日を過ごしているうちに、「親孝行したいときには親はなし」ということわざが現実味を帯びてきてしまうのだ。

 きっと、どんな過ごし方をしても、親が亡くなったときは「もっと○○すればよかった…」という後悔の念は押し寄せてくるだろう。だが、いつか迎える“さよならの日”が、それほど遠い未来ではないかもしれないという覚悟を持ちながら親と接してみると、真の親孝行ができるかもしれない。

 親と一緒に過ごせる時間や親の命には、限りがある。だからこそ、限りある中で無条件の愛情をくれた大切な人に、私たち子どもは何ができるのかを考えていきたいものだ。

文=古川諭香