八咫烏の異界から、平成と昭和へ。阿部智里の第2章はここから始まる『発現』阿部智里インタビュー

小説・エッセイ

公開日:2019/2/19

 小学生の頃から作家を志し、史上最年少の20歳で松本清張賞を受賞。デビュー作『烏に単は似合わない』は文庫化を機に大ヒット。人にもカラスにもなれる「八咫烏」の一族を書き継いだシリーズは、100万部突破のベストセラーに。快進撃。阿部智里さんの今日までの歩みを振り返ると、そんな言葉がしっくりくる。そしてデビューから8年目を迎えた今年、「八咫烏」シリーズとはまったく異なる物語を誕生させた。タイトルは『発現』。平成と昭和、2つの時代を行き来しながら紡がれる物語だ。

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著者 阿部智里さん

阿部智里
あべ・ちさと●1991年、群馬県生まれ。2012年、早稲田大学文化構想学部在学中に史上最年少となる20歳で第19回松本清張賞を受賞。受賞作『烏に単は似合わない』がデビュー作となる。以降、「八咫烏」の世界を舞台に壮大な和風ファンタジーの世界を書き継ぎ、累計100万部を突破する人気シリーズとなる。

 

「『八咫烏』シリーズとは違う世界を描いてみたい、という強い思いがまずあって。私はファンタジーが大好きですし、今後もどんどん書いていくつもりです。それでも、初めて文藝春秋さんではない版元さんから本を出すのなら、まったく違う世界を描いてみようと思いました」

新しい版元、新しい編集者と組んで、初めての挑戦を。だが「現代」を舞台にした小説は想像以上に難産だった。構想から刊行まで3年もかかったのは、「八咫烏」シリーズと並行して執筆していたから、という理由だけではない。

「難しかった……。本当に難しかったですね。私にとってはファンタジー世界のほうが、遥かに見えやすいし書きやすいんです。最初の頃はモチーフも右往左往していましたし、ファンタジー小説の書き方で登場人物を描写してもうまくいかなくて。私、小説は情報戦だと思っているんです。でもファンタジーと同じように現実世界を描写すると、誰にとっても知っている情報しか出てこないから、読んでいて面白くないんですよ。価値のない情報ばかり積み重なっていく。だからといって情報をごそっと排してしまうと骨と皮だけになってしまうし、肉付けしすぎるとまた重くなる。そのさじ加減にはすごく苦労しました。試行錯誤を経て、最終的には読む人が『これは私のことかもしれない』と思えるくらいまでには余計な情報を削ぐ、という形に落ち着きました」

「八咫烏」シリーズで使えたカードはあえて封印した

平成30年、冬。大学で講義を受けていたさつきのもとへ、まだ幼い兄の一人娘が訪ねてくる。「パパ、もう、あやねも、ママのことも嫌いになっちゃったみたい」と小さな声で訴える姪のあやね。穏やかだった兄の身に何が起きたのか? さつき、兄、そして父が口を閉ざしてきた一家のタブーとは? 彼岸花と少女の死体の幻。生臭い血の匂い……。「平成」のパートは緊張の糸がピンと張り詰められたまま恐怖が迫ってくる。

「ホラー小説ではないのですが、なるべく怖さを感じてもらえたら、という気持ちで書いたつもりです。今回はホラーとミステリーの要素を取り入れつつ、その上である種の挑戦として、『八咫烏』シリーズでは使えていたいくつかのカードを捨てるという試みも実はしています」

奇抜なアイディア、空想力に溢れた異世界、個性豊かなキャラクター。「八咫烏」シリーズの強みであり、作家として磨きをかけてきた“武器”を今回はあえて封印した。

「登場人物たちのキャラクター性を際立たせるようなものは潔く捨てて、誰が読んでも『自分はさつきと同じかもしれない』『これは誰にでも起こり得ることかもしれない』と思わせるような表現を心がけました。この本の表紙と同じですね。極限のギリギリまでシンプルにしてやってみたらどうなるんだろう、って。意図が成功しているかどうかは、ちょっと今でもヒヤヒヤしているのですが……。内面のゆらぎみたいなものを書かれるのが得意な作家さんもいらっしゃいますが、私はどちらかというとそういうタイプではないので」

「平成」のパートと並行して、昭和40年から始まるもうひとつの物語も展開していく。尊敬していた兄が陸橋から身を投げて自殺。3年間にも及ぶシベリア抑留を経てようやく生還した後、家庭を築いて幸せに暮らしていた兄がなぜ? 不審に思った弟の省吾は、真相を探るが……。

「現代と過去を行ったり来たりしながら、最終的には振り子がピタッと止まるように2つの物語が一致する。そういった全体の構造とテーマ自体は、早い段階から決めていました。ただ、過去をどこに置くかというのが悩んだところで。いろんな遠回りをして最終的に“昭和”に設定したのは、学徒出陣を体験された方の講演を大学で聞いたことがきっかけです。ほんの数十年前に、この国には戦争があった。そこでは、ひとりの人間が次々と違う顔を見せていくような現実が数多くあった。衝撃でした。ただ、私が戦争の話をそのまま書いても、現実には絶対に勝てない。ならば、体験談を聞いた人間として、当時の話を自分の小説で再構築しなければ、と思いが湧いてきたんです」

阿部さん自身は平成3年生まれ。昭和の空気を知らない世代だ。

「昭和を知っている両親に幼い頃の思い出話を教えてもらって第一稿を仕上げたのですが、『話し方が現代っぽい』と言われてしまって。どうすれば昭和らしくなるんだろうと悩んで、松本清張原作の『霧の旗』という映画を観ながらセリフをすべて書き出す作業をやってみたんです。語学の勉強みたいに。一週間の書き直しの間、延々とその映像を流し続けているうちに、ちょっとした語尾や言い回しの違いがだんだん掴めてきました」

昭和のパートは謎解きが軸になる。優秀で誰からも慕われていた兄は、愛する妻と幼い娘を遺してなぜ死を選んだのか? その謎を追いかけるうちに、省吾は戦地で兄が遭遇した凄惨な事件を知る。そして終盤、2つの謎が交差する地点で、さつきたちの一家もついに自分たちを苦しめる幻影の正体に向き合う。「平成という時代が終焉を迎える今だからこそ、この物語を描きたかった」と阿部さんは振り返る。

「あの戦争や時代をよかったもののように描いたり、そこに救いを見出したりするフィクションが最近増えているように感じます。それを声高に批判するだけでは、もう時代に追いつけないのかもしれない。昭和という時代が残した“負の遺産”ともいうべきものに対して、どうアプローチするか、どう自分なりに一区切りをつけるのか、今それを書いておく必要があったんだろうな、と思っています。だから、ラストシーンは平成31年の初めなんですよ」

ラストの感想は人によって意見が分かれるかもしれない。仄かな希望と取るか、絶望の始まりと見るか。

「過去は変えられないし、人生にはどうしようもできないこともある。でもそれを知った後でどう生きていくか、ということだと思うんです。誰もがみんな傷を抱えていて、普段は隠していても何がきっかけでいつ“発現”するかはわからない。ただ、その発現したときにどんな反応をするかは、それまでその人が生きて積み重ねてきたものが反映されるのかな、と思っていて。私としては、ある意味での“救い”を描いたつもりです」

「真相と思しきもの」がもたらす、圧倒的な絶望。誰もが加害者にも被害者にもなり得た残酷な時代、傷跡の記憶を、今を生きる私たちはどう見つめ直すべきか。深い問いと余韻を残して、物語は静かに幕を閉じる。
年内には「八咫烏」シリーズの第二部も開幕予定。2019年は作家・阿部智里にとっての第二章の始まりといえるだろう。『発現』はきっと、その幕開けを鮮やかに告げるベルだ。

「やるべきことは変わりません。傍から見てジャンルが多少変わって見えても、私がやるべきことは本質的にはずっと変わらない。もし本が出せていなくても、それでも私はきっと小説を書いていると思います」

取材・文:阿部花恵 写真:鈴木慶子