母を失った“その後”――『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』
更新日:2019/2/18
身近な人を“死”という形で失ったとき、いつか来るものだと割り切ろうとするか、ずっと自分の中にとどめておこうとするか、その向き合い方は人それぞれ。とくに、自分が生まれたときに最初に出会った人・母親との別れは、特別な意味を持っているはず。
2月22日から全国順次ロードショーとなる映画『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』もまた、ひとりの男性とその母の別れを描いた作品。原作は、宮川サトシ先生(以下、サッサン)の同名自伝エッセイ漫画だ。
同作は、胃がんを患った母・明子さんの闘病と幼い頃の母との思い出が綴られている。なかでも、大切な人を失った“その後”を丁寧に描く構成が印象的だった。
第1話では、単行本のタイトルにもなっている「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」のエピソードが描かれている。言葉のインパクトは強く、作者のサッサンは比喩でもなんでもなく、火葬が終わって遺骨となった母を見たときに「その瞬間 僕は母親を自分の身体の一部にしたいと 強く願いました」と語った。
母と別れたあとの自分を「僕の体はいつまでも風邪をひいたように気だるく重い…」と語り、母のいない世界を生きる意味を考えるようになる。それだけではない。彼はスマホに登録された母のケータイ番号やアドレスを1年経っても消すことができず、実家のいたるところに残る「母が生きていた痕跡」を見つけるたびに涙を流す。せわしかった葬儀が終わって日常に戻るほど、つい母の面影を追ってしまうサッサンの心情が切なく描かれている。
言葉にできない“大切な人を失ったあとの景色”を、押し付けるでもなくそっと寄り添うように描写しているのが、同作最大の魅力のように感じた。
もちろん、明子さんとお別れをしたのはサッサンだけではない。彼の父は、人生の伴侶を失ってからというもの、酒浸りの日々を過ごすようになった。そして、涙ながらにこうこぼすのだ。
「夢になぁ… 毎晩お母さんが出てくるんやわ…」
「え…」
「朝起きてもなぁ…隣の布団の中を探すんやけどなぁ… お母さんどんだけ探してもおらへんのやわぁ…」
葬儀のときは「遅かれ早かれ人はいずれ死ぬ」と話していた父が、母の痕跡が残る家の中で悲しみに暮れる姿に驚くサッサン。母を失うこと、妻を失うこと、どちらも愛する人を失った事実は同じでも、その意味は違うのかもしれない。
大切な人を失っても人生は続く……サッサンと彼の兄、実家にひとり残された父、それぞれが悲しみ、もがきながら前に進む姿が丁寧に描かれている。
文=真島加代(清談社)