「散らかった部屋」を片付けるには「きれいな部屋」の真似をしてはダメ!?
公開日:2019/2/19
先日、母親の一周忌で帰省した折に遺品整理も兼ねた片付けをすることに。私自身もそうだが、どうやら片付けが苦手なのは血筋であるらしく部屋は我が家族の持ち物で溢れていた。母親の遺品どころか、自分の私物に父や兄の所有物が混在しており、どこから手をつけていいかわからない状態。とりあえず自分の持ち物だけでもまとめようと奮闘した結果、なんとか帰京までにいち段落つけることができた。とはいえ、以前から気になっていたこの『「ちゃんとしなきゃ!」をやめたら 二度と散らからない部屋になりました』(なぎまゆ/KADOKAWA)を読んでみて、「片付ける前にコレを読んでいれば、少しは違ったかもしれない」と思ってしまった。
元々、本書の作者も「片付けられない」側の人だった。しかし「あること」に気づいてから、普通に片付けられるようになったという。その「あること」とは、「几帳面な人と同じことをしようとしてもダメ」ということだ。作者は几帳面な友人の家を訪ねたとき、物を出しては片付ける丁寧な所作に大きな衝撃を受けた。同じことをしようと何度もトライして失敗し、ようやく「大雑把な自分にはムリ」ということを理解。必要なのは「大雑把な自分でも片付いていられる『工夫』」だという考えに至ったのである。本書では作者が友人たちの部屋を片付けたときの顛末を再現しながら、片付けのポイントを解説。多くのポイントが挙げられているが、私が「なるほど」と感じたものをピックアップしてみたい。
●物の「住所」を決める
「住所」を決めるとは、持ち物に対し「所定の置き場所を決める」こと。「そんなのはあたりまえだろう」と思う人も多いだろうが、部屋が散らかる人は意外とできていないのだ。他にも買ったと思ったものが見当たらず、再び買ったあとで見つかる「ダブリ買い」が発生するのも物の「住所」が決まっていないことに起因する。本書では友人の家を片付けていたとき、ホチキスなど文房具が大量に出てきたエピソードが語られているが、これは「住所」不定のために在庫が把握できていないからだ。そうなると当然、文房具をその場に置きっぱなしにするから部屋は散らかっていくことになる。心当たりがあるという人は、まず持ち物の「住所」をしっかりと決めてみよう。考えなくても片付けられる場所が決まっていれば、部屋は劇的にキレイになるはずだ。
●片付けが終わるまでその場から動かない
片付けは非常に面倒な作業であり、人間はそういうものから逃げたくなるのが常。だから一度でも片付けを中断してしまうと、なかなか復帰できないのである。片付けに限定せずとも勉強などに置き換えれば、ほとんどの人が思い当たるのではないか。ゆえに一度始めたら、最後までその場を動かずに「同じ作業」を終わらせなければならない。「同じ作業」というのもポイント。違うことを始めると気がそちらに向かってしまい、元の作業へ戻りづらくなるからだ。私も片付けの際、母親の遺品から多くの資格免状が出てきてその多芸さに感心したが、遺品整理としては正しくとも片付けとしては間違いだった。免状を読み込むのに夢中となり、すっかり片付けが手付かずに。実体験から考えても、一度始めた作業を最後までやりきることは重要だと感じた。
そして作者は本書で「『この漫画のやり方を真似ても私の部屋は片付かない』と思われた方、それは正しいです」と記している。そう、片付けには人それぞれに「向き、不向き」があるのだ。今ハヤリの「片付け動画」を参考にしても、それを実行できるかは別問題。自分に合った片付けスタイルを模索していくしかない。「片付けの道は一日にしてならず」なのである。
文=木谷誠