「ちぃたん☆」も泥だらけ!テレ東『池の水ぜんぶ抜く』の外来種問題、その真相は?
公開日:2019/2/24
テレビ東京の『池の水ぜんぶ抜く』が人気である。同番組では、放置された池の水を抜き、在来種に害を及ぼすとされる外来生物の数々を捕獲している。今までに捕獲された外来生物は、お馴染みのブルーギル、ライギョ、カミツキガメ、ワニガメ、ウチダザリガニ、アリゲーターガーなどだ。タレントらの手で捕獲された外来生物の姿を見るにつけ、いつも素朴な疑問を感じていた。「巨大怪物」「宿敵」「凶暴な外来種」「影の支配者」などと呼ばれるワニガメやウチダザリガニは、絶対に根絶しなければならないほどの「宿敵」なのだろうか。在来種を脅かすと言われているけれども、共存とか棲み分けとか、あるいは何かしら外来種根絶以外の手はないのだろうか。
なぜなら、もうすでに凄い数が日本全国に定着している外来生物をいなかった状態に戻し、絶滅寸前の在来種を復活させ、あるべき昔ながらの「自然」の状態に戻すってのは、コストや色んな意味で気が遠くなりそうだし、今となってはそちらの方が「不自然」な気がするからだ。
『なぜわれわれは外来生物を受け入れる必要があるのか』(クリス・D・トマス:著、上原ゆうこ:訳/原書房)では、生物学上のロスとゲインで考えた場合、外来生物をロスをもたらす迷惑な存在や「宿敵」と見做すのではなく、ゲインをもたらす存在としての側面から論じている。外来生物は新たな進化を促し、地域の生物多様性を増加させ、将来的には交雑によって新種をもたらす進化の立役者だというのだ。
そのエビデンスとして挙げられているのがイエスズメだ。日本でもよく見かけるあの平凡な鳥スズメよりやや大きい鳥類である。今では全世界に5億羽もいるイエスズメの故郷は、アジアのバクトリアン平原あたり。そこから徐々に生息域を広げ、数千年前にはアジアとヨーロッパ全域に広がり、19世紀には、人間の手でアメリカ大陸に放たれた。イエスズメと呼ばれるその種はヨーロッパで別のスズメと交雑し、イタリアスズメという新しい種が誕生した。生物学の常識では、新種の誕生には数十万年から数百年かかるという。
が、その常識を超え、イタリアスズメは最初の雑種形成から分離まで数百世代で完了したらしい。凄い進化のスピードである。その進化を促したのは、言うまでもなくバクトリアン平原からやって来た地味な鳥だ。交雑で新種が誕生するだけでなく、在来種が外来種を利用することで環境の変化に適応した例も挙げられている。
アメリカのネバダ州では、気候変動の影響で砂漠化が進み、在来種の植物は夏の乾燥した気候に耐えられず枯れ始めた。ヒョウモンモドキという種類のチョウは、通常は在来種のオオバコに産卵していたが、それでは夏に幼虫が食べる葉がなくて死んでしまう。そこで、夏の乾燥に強い外来種のオオバコに産卵するようになり、わずか1世紀足らずで産卵先は外来種へと完全にシフトした。逞しいと言うか何と言うか、進化のフィールドで起こる出来事は、外来種・在来種という人間目線のカテゴライズを超えて、生命力のタフさ、したたかさを突き付けてくる。
もちろん、進化の過程で生き残る勝者だけに目を向けるのは不十分だけれども、「生命の歴史は、成功する遺伝子と種がゲームに勝つ、多様化と刷新の歴史である」という著者の指摘は、「本来あるべき自然」という概念に楔を打つだろう。
そして、「特定の生物学的な変化と戦わなければいけないという衝動に駆られるときは、次の3つの問いについて考えてみるべきである」とも付け加える。1つ目の問いは「その努力は、今から数百年後に大きな違いをもたらしているかどうか? そうでないなら、必ず負ける戦いをしているということだ」と。
残りの2つの問いは本書を読んでもらうとして、再び『池の水ぜんぶ抜く』に戻りたい。同番組は確かに面白い。でもその面白さには慎重にならざるを得ない。池の水を抜くのは、大掛かりなスペクタクルとして目を奪うし、タレントによる外来生物ハンティングのドラマ展開も勧善懲悪的に盛り上がる。が、それはあくまでエンターテインメントとして見た場合の話だ。外来種問題について考えるならば、こういう面白い枠組みは抜きにして考えた方がいい。『なぜわれわれは外来生物を受け入れる必要があるのか』を読んで改めて自戒した次第である。
文=ガンガーラ田津美