青鬼・赤鬼・黒鬼の違いって? 「実在しないのに実在する」生物の事典
公開日:2019/2/22
節分に豆まきをした人は多かっただろう。日本人にとって豆まきは重要なイベントの一つとして定着している。そして、豆まきで欠かせない存在が「鬼」だ。この鬼、そもそもなぜ、肌が赤かったり青かったりするのだろうか。どのような存在なのだろうか。次回2020年の節分は2月3日(月)だ。かなり先取りだが、例えば子どもに「なぜ?」と聞かれたときのために知っておいても損はない。
『図説 日本未確認生物事典(角川ソフィア文庫)』(笹間良彦/KADOKAWA)は、日本の民衆史に登場する幻人・幻獣・幻霊と呼ばれる「実在しないのに実在する」不可思議な生物たち114種について、歴史文献を用いて解説した本だ。歴史文献からの引用文や絵図がふんだんに用いられ、重厚さを感じる内容となっている。
不可思議な生物の代表的存在だからだろう、鬼に関してはそこそこの紙幅が割かれている。
本書によると、もともと鬼とは、人が死んで神となったものを指していた。江戸時代後期の考証学者・狩谷棭斎(かりや・えきさい)の『箋注倭名類聚抄(せんちゅうわみょうるいじゅうしょう)』の引用からわかるのは、「おに」は「隠」の音の訛りであるということ。「隠」は漢音では「イン」と発音するが、呉音では「オン」と発音する。オン→オヌ→オニと発音を変えていったようだ。「隠」は現世から隠れた者、つまり現世から去った者である、ということだ。
オニは怨念の能力をもって変化して“様々な姿”になって、人々を悩ましてきた。つまり、初めからツノを生やして棍棒を振り回すという、私たちがもっているスタンダードな「鬼」のイメージではなかったのだ。
では、いつ頃から、鬼のイメージが定着したのか。本書によると、『今昔物語』第十染殿后為天狗被嬈乱語第七にある、次の記述が示唆してくれる。
…聖人は山に戻ったが恋慕の執念強く、絶食して死んで鬼となって宮中に現れて明子に付きまとった。その姿は赤い褌に漆を塗った如き真黒の裸体。髪はざんばらで目は金碗の如く、剣のような牙を生やして丈は約三メートル、槌を腰に挿した、まるで地獄の獄卒のような姿であった。…
『今昔物語』が成立したのは平安時代の末期。この頃に、ふんどしを穿き、ざんばら髪、目が金色にランランとしており、牙を生やした大男、というイメージが定着した。裸体の異国人がモチーフと見られる。平安時代の次にやってくる鎌倉時代に編まれた『古今著聞集』巻第十七に、次の記述がある。これは、伊豆国奥の島に船が一艘漂流し、それに乗っていた「鬼」を描写したものだ。
そのかたち身は八九尺(約三メートル)ばかりにて髪は夜叉の如し、身の色赤黒く眼まろくして猿の目のごとし。みなはだかなり。
鬼のイメージが形成されたのは、このような経緯であることはわかった。しかし、肌が赤かったり青かったりするのは、どうしてだろうか。先の記述では、黒あるいは赤黒としか出てきていない。
鬼には、青鬼と赤鬼、そして黒鬼がある。黒鬼については、先の明子(文徳天皇の御后・藤原明子)の前に現れた。本書は、色素が強い人種は裸体生活であると黒っぽい皮膚色になることを述べている。そして、青鬼と赤鬼は、仏教の地獄思想の影響を受けているようだ。『源平盛衰記』には、平清盛が熱病にかかり苦しんでいるときに、傍らに侍していた女房が、夢で赤鬼と青鬼を見た、という記述がある。
本書は、色素が強い人種は黒っぽい皮膚色になるが、黒さに青味を帯びることと、色素が薄い人種は裸体生活によって赤っぽい皮膚色になることを述べている。裸体生活をしていた当時の異国人の姿と、仏教思想の定着が相まって、黒・青・赤の色をした鬼が誕生したのだと考えられる。このイメージを伴った鬼物語は次第におとぎ話化し、やがては桃太郎の鬼が島退治が登場する。
ところで、節分豆知識。地獄の鬼は、地獄にいるばかりではない。閻魔大王の命令で、悪さを働いた者を、「火車」という「火焔燃えさかる車」を引いて駆け足で迎えに来ることがある。もしあなたが赤い車を用意できるなら、次の節分では、よりリアルな鬼を演じることができるかもしれない。
文=ルートつつみ