日本に今足りないものは何か? より良い未来の創造につながる『歴史という教養』

社会

公開日:2019/2/27

『歴史という教養』(片山杜秀/河出書房新社)

 2019年2月現在、各メディアの調査によると日本の内閣支持率はほぼ横ばいで約50%だという。そんな五分五分の数字は、「美しい国」日本の先行き不透明さを象徴しているかのようだ。

 日本に今足りないものは何か? それは「歴史センス」だと『歴史という教養』(片山杜秀/河出書房新社)は主張する。「歴史は繰り返す」とよく言うが、本書は「歴史は決して繰り返さない」という立ち位置のもと書かれている。

 既に起きてしまったことを変えることはできない。唯一できるのは起きた出来事のエッセンスを学びとることで、そのために必要な感覚を、著者は「既視感」と表現している。

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いくら歴史を勉強しても、経験か想像力かその両方かに豊かさがないと、おそらく無駄です。見たことはないが見たように思える。いろいろな見たことないものが見たようにいきいきと動く。内に入ってくる。過去と現在と未来が似たものとして重なってくる。

「いい国作ろう、鎌倉幕府」など年号の語呂合わせをして、どこで誰が何をしたという詰め込み的知識を蓄積することが無駄だと著者は伝えたいわけではない。5W1HでいうWhy(なぜ)とHow(どうして)を特に追求し、物事の間に介在している因果関係の「似たもの探し」をする能力が、より良い未来の創造につながると主張しているのだ。

 そのように「歴史センス」を磨き上げていくと史観が個々に形成されていく。読者が自分なりの史観を形成できるように、著者は既存のパターンを下記のように例示している。

1 右肩下がり史観(どんどん悪くなる)
2 右肩上がり史観(どんどん良くなる)
3 「興亡」史観(盛者必衰)
4 「勢い」史観(今一番強いのは誰か)
5 「断絶」史観(あるところで全部が変わる)

 例えば、4番目の「勢い」史観は、冒頭に挙げた内閣支持率に関わりが深い。支持率のニュースが報じられると、だいたい「町の声」としてインタビューがセットで報じられ、「他に誰も思い当たらない」「ひとまず今が大丈夫だから支持する」というコメントが最近散見される。そうした風潮を「簡単で、楽」な態度と著者は警戒し、「原初的な史観」「サルでも分かる史観」と皮肉をこめて「勢い」史観を紹介している。

 著者が推奨しているのは「温故知新」史観だ。故(ふる)きを温(たず)ねて、新しきを知る。つまり、この先の「わからなさ」に、過去からの学びを以って立ち向かう姿勢だ。

歴史は偶然である。偶然は束縛ができない。ゆえに、歴史に束縛されているということは、自由だということだ。われわれは歴史内存在である限り、自由である。自由に「投企」できるという意味で自由である。

 歴史に対するロマンチシズムは学びのきっかけにはなるが、そうした憧れ・懐かしさは真に「知る」ことに対しては妨げになってしまうこともある。昔を礼賛するような過剰なロマンを拭い捨て、歴史を背負い込んで初めて見える自由な地平を本書で眺めてみてはいかがだろうか。

文=神保慶政