「頑張れば叶う!」にうんざり…。そんなあなたは森博嗣流「悲観力」で生き残れ!

暮らし

公開日:2019/2/26

『悲観する力』(森博嗣/幻冬舎)

 ペットを見ているとわかることがある。「こうすれば、ああなる」と学習していることである。それは人間にも同じことがいえるだろう。しかし、人間にはひとつ違うところがある。それは「こうしても、ああならない場合もある」「ああならなかったら、どうしよう」と考えて対策を打つところだ。「未来を予測して心配すること」は人間の賢さを表している点といっていいだろう。

 ところであなたは「くよくよするな」「悪いことを考えるとろくなことはない」「勝利を信じて進め」という言葉をどう受け取るだろうか? これらの「精神論」は時に人を励まし、時にうんざりさせる。綺麗事の定型文で、軽薄な言葉に聞こえるからだ。人間は悲観をする。そして「いつも楽観的に考えられる人間だったらどんなにいいことか」と考える。

『悲観する力』(幻冬舎)の著者は、有名小説家の森博嗣氏。工学博士でもある氏は多様な視点から人の社会的行動を読みとく。本書は、「悲観」が持つ力について考察した1冊だ。著者は「全ての人が悲観的であるべき」とは言わない。楽観的に生きることも構わないが、楽観的がゆえに予測が甘くトラブルや難題に対応できなかったりする。

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 楽観的であることの弱点は「思考停止になってしまうこと」である。「信じているからうまくいく」「ツキは回ってくるから大丈夫」「頑張れば達成できる」といった言葉だけに頼っていると、物事の本質に目を向けることができない。それはつまり、難しい状況に直面したり問題が起こったりしたときに、適切な対処や解決ができないということだ。「気合いが足りなかったせいだ」「今回は運が悪かっただけ」などと解決させたつもりでも、それではそのうち同じ問題が起こってしまう。物事の根本の部分を見ようとしていないと、そうなってしまう。

 悲観することで、十分に対策でき、結果的に良い結果をもたらすことがある。著者は大学時代に家庭教師をしていたが、担当する子どもに「受験の半年以上前には歯医者に行き、虫歯を治しておくこと」と教えた。悲観して心配することで、いろいろな対策ができるようになる。悲観が結果的に無駄になることも当然あるが、そこから得るものがある。それは「自信」だ。楽観的な人にも自信というものはあるのだろうが、悲観してあらゆる準備をして挑むと「これだけ準備したから安心して取り組める」と思うことができ、もっと確証のある自信が生まれる。

 悲観には大事な姿勢というものがある。

・AならばBといった決まりごとが絶対ではない、と疑う
・見込める効果を小さめに評価し、それでも全体が成立するか検討する
・都合の悪い事態ほど優先して考える

 これらは、物事を達成するために必要な悲観的姿勢ということだ。ただ楽観的でいるよりも、こういったふうに悲観的に物事を見られるほうが成功に繋がっていくこともあるだろう。本書は「みんな悲観して閉じこもろう」という話ではない。悲観によって生まれたシステムが個人の未来を保証し、果ては世の中の安全を保ったり、皆が快適に生きられたりするという話だ。

 著者はこう語る。「明日にも死ぬかもしれないという悲観と、まだしばらくは大丈夫だろうという楽観の間(はざま)で、人は揺れ動く。生きるとは、考えるとは、つまりはこの揺らぎのことである」。何かに取り組む際は、悲観して多角的に物事を見ることによって、足元をしっかりと固めていけるのではないだろうか。

文=ジョセート