東日本大震災の避難所の小学校で起こった奇跡――ヘタレでシャイでみんなから愛された犬スヌーパーの40日

社会

更新日:2019/3/11

『スヌーパー 君がいた40日』(丹由美子/山と溪谷社)

 2011年3月11日。観測史上最大の地震と津波が東日本を襲った。東日本大震災だ。震災による死者・行方不明者は2万20000人を超え、建造物の全壊・半壊は40万戸以上。震災から8年が経つ今も、5万人以上が避難生活を送る。

 メディアで震災が取り上げられると、主に人間の防災や避難方法に注目が集まる。私たちの命を守る行動は誰もが知らなければならない。しかしなかにはペットを飼う人もいる。命の重さは、家族の一員であるペットも同じはずだ。

 けれどもいざ避難所にペットを連れていくと、肩身の狭い思いをしたり、やむなく避難所を諦めたり、悲しい思いをしかねない。ペットは非難の対象になるのだ。この現実を知る飼い主は少ない。

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 ところが、あるゴールデン・レトリバーの場合は違った。名前はスヌーパー。当時は10歳のオスだった。多くの人々がペット同伴の避難生活を諦め、数日で避難所を出ていく厳しい現実の中、スヌーパーは地震と津波を生き延びた仲間として、家族のように愛された。なぜスヌーパーは40日もの間、被災者が肩を寄せ合う避難所でともに生活できたのか。

 『スヌーパー 君がいた40日』(丹由美子/山と溪谷社)に記された、避難所で起きた小さな奇跡をご紹介したい。

■一番ヘタレで、臆病で、シャイで、どんくさい赤ちゃん

 小さな奇跡の物語は、宮城県石巻市に住む阿部さん夫婦のもとへ、1頭の赤ちゃんがやってくるところから始まる。

 夫の実さんと、妻の康子さんは、ずっと「犬を飼いたい」と考えていた。すると巡り合わせが重なり、地元のゴールデン・レトリバーのブリーダーが、赤ちゃんを譲ってくれることになった。

 6頭いた赤ちゃんの中で、一番ヘタレで、臆病で、シャイで、どんくさい赤ちゃん。阿部さん夫婦はその子を「スヌーパー」と名付け、家に連れて帰った。本書に載せられたスヌーパーの写真に、きっと読者はほほがゆるむはずだ。

■しつけの失敗、そして絆を深める康子さんとスヌーパー

 スヌーパーはご飯をペロリと平らげる、あまり手のかからないお利口な子だった。夫婦には子どもがいなかったので、スヌーパーをわが子のように愛した。

 けれども「しつけ」は大変だった。康子さんはしつけのためにインストラクターを頼ったが、その指導は厳しかった。よくないことをしたら、新聞紙をまるめた「しつけ棒」で地面を叩いて驚かせる。ときにはおしりも叩く。

 スヌーパーはやがてしつけ棒を見ると唸るようになった。「こらっ」と怒るとビクッとした。康子さんのしつけに怯えていた。そしてある日、いたずらをしでかしたスヌーパーは、康子さんに部屋の角に追い詰められて、ついに牙をむいた。きっとどうしようもなかったのかもしれない。2人の信頼関係は完全に崩れていた。

 康子さんは、別のインストラクターを頼った。その先生は「ほめて伸ばす」指導を行った。指示通りにできたら「グッド! そういい子」とほめるのだ。すると次第にスヌーパーは康子さんの言うことを聞くようになった。

 親に強制的な教育を押しつけられた子どもが間違った方向へ育つように、犬も間違ったしつけを受けると、飼い主や人間を信じられなくなる。ペットとともに生きる上で大切なことは、トイレや散歩を上手にすることではない。家族の一員として一緒に生きること。絆を深めることだ。

 先生は康子さんにこう言った。

「ほめられる喜びを知っている子は、『次はどうするの?』と自ら考え、よい行動ができるようになります。そして人間社会のルールやマナーを楽しく学んでいくんですよ。なによりもママといることがとても楽しくなり、学びながら絆を深められます」

 この言葉にスヌーパーへの後悔と喜びが重なった康子さんは、大粒の涙を流した。ここで結ばれた2人の絆が、のちに小さな奇跡を引き起こす。

■震災から助かったことに対する罪悪感に似た感情

 阿部さん夫婦は、その後もスヌーパーとの絆を深めて、幸せな日々を送った。微笑ましい家族の軌跡は本書の中盤に記されている。きっと愛犬家ならば読んでうなずくはずだ。家に犬がいると、みんな笑顔で華やぐ。ペットは大切な家族だ。かけがえのない存在だ。

 しかしあの日を境に生活が一変する。東日本大震災だ。

 震災の中心部の1つ、宮城県石巻市では、震度6強のゆれと10mを超える津波に襲われた。震災による死者・行方不明者は3900人を超え、人だけでなく、多くの動物たちも犠牲になった。石巻市に住んでいた阿部さん一家も被災した。

 大災害から難を逃れた阿部さん一家。しかし石巻市は地震で崩壊し、津波にすべてをさらわれた。街が一瞬で姿を消していた。避難所の小学校へ向かう道中、がれきに埋もれた遺体を目にして、康子さんは涙を流した。助かったことに対する罪悪感に似た感情を抱く場面もあった。その記述に心を痛める。想像もつかない辛く苦しい体験だったに違いない。

■スヌーパーは避難所の人々に受け入れられ支えられた

 避難所へ到着すると、避難者でいっぱいだった。体育館に700人以上、校舎の教室には100人以上が身を寄せていた。はじめは犬を連れた避難者もたくさんいたが、次第に数を減らした。誰かに吠える、犬同士でケンカする、飼い主が怒るなど、しつけができていないために、避難生活をともにできなかったのだ。

 けれどもスヌーパーは違った。きっと相当なストレスをためていたはずだが、決して吠えることなく、康子さんの隣でおとなしく座っていた。スヌーパーは康子さんを信頼して、お利口さんだった。人間とともに避難所生活ができた。

 避難先には大勢の人が身を寄せる。なかには犬嫌いの人、我慢を知らない人もいる。非難の対象にならないよう、康子さんは率先して避難生活に協力した。トイレの水が出なくなればプールの水をくみに行き、給水車が来れば教室のみんなのためにポリタンクに入れて配った。スヌーパーのために一生懸命努力した。

 その姿を見て、多くが康子さんの気持ちを理解し、スヌーパーを家族の一員だと認めるようになった。

 そのうちスヌーパーに心を寄せる人が現れる。ある人は重い身の上話を、いつも優しい眼差しを送るスヌーパーにだけ、こっそり打ち明けた。ある人はスヌーパーを「九死に一生を得た大切な仲間」と考え、避難所で生活できるようみんなに理解を求めた。ある人は「娘が動物アレルギーなので避難所から出て行ってもらえませんか?」という母親の申し出に、「追い出したら可哀想だよ」とかばった。

 人間とペットが避難所でともに生活するのは困難を極める。しかしスヌーパーは避難所の人々に受け入れられた。みんなから支えられた。とても辛くて苦しいけど、温かい40日間を過ごした。

 そして被災から40日後、知人の伝手を頼り、阿部さん一家は古いアパートを借りて避難所生活に区切りをつけた。

■ペットが誰からも愛される存在ならば周囲が協力的になる

 本書に記された奇跡は本当に小さなものだ。しかし避難先の人々と築いた絆にとても温かいものを感じる。

 スヌーパーが避難先でみんなから愛された理由は、彼の穏やかな性格にあった。石巻市の動物病院の先生が巻末にこんな言葉を寄せている。

「誰からも愛される犬に育てていますか?」

 被災したとき、ペットが誰からも愛される存在ならば、周囲が協力的になる。率先して守ってくれる。だから飼い主は日頃から「家族の一員」として、「社会の一員」として、正しいしつけを行いたい。愛されるわが子に育てたい。

 康子さんとスヌーパーがとても強い絆で結ばれていたからこそ、小さな奇跡が起きたのだ。

 震災から1年が過ぎた頃、スヌーパーは亡くなってしまうのだが、最期まで人間が大好きな心優しい犬だった。

 本書にはヘタレでシャイな犬が起こした小さな奇跡が記されている。読めばとても温かい気持ちになる。同じくペットを飼う人は、ぜひ読んでほしい。震災に備えて今から何をすべきか。どうあればいいのか。本書の表紙に飾られたスヌーパーの眼差しが、読者に優しく訴えかけている。

文=いのうえゆきひろ