めでたいからってパンダの交尾を延々OAするのは普通? 世の中の違和感を喝破する痛快エッセイ

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公開日:2019/3/14

『違和感のススメ』(松尾貴史/毎日新聞出版)

 違和感という言葉を「日本一売れている」という『新明解国語辞典』の第六版(現在第七版まで刊行中・三省堂)で調べてみた。すると

(1)生理的(心理的)にしっくり来ないという感覚や、周囲の雰囲気や人間関係とどことなくそぐわないという判断
(2)その人の理想像や価値観から見て、どこかしら食い違っている印象

 と書かれていた。この説明のとおり、タレントの松尾貴史さんによる『違和感のススメ』(毎日新聞出版)は、松尾さんの価値観からズレたものに対する違和感がテーマになっている。

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■気になりだすと「違和感」だらけの報道やメディア用語

 同書は、毎日新聞東京版夕刊で2012年4月から2013年3月まで、以降は別刷「日曜くらぶ」で連載されたコラムを再編集したものだが、松尾さんは日頃SNSでも、政権などに対する違和感を大いにつぶやいている。そのことから「反日」と攻撃を受けることもあるが、それを逆手にとり、

“だいたい、芸人が体制側に立ってものごとを表現するわけがなく、中世ヨーロッパの宮廷道化師であっても、唯一、権力者に対して失礼な言動が許された者だったろう。
ましてや、現代の芸人は政権党に養ってもらっているわけでも何でもない。庶民が疑問に思ったり、ストレスを感じていたりする浮世のアラを擬人化、デフォルメして、茶化すのが役割であると言ってもいいだろう。
私は、誰にも負けないとまでは言わないが、人一倍の愛国者だと思っている。
世間一般のイメージとは少し違うかもしれないが、日本が安全で暮らしやすい平和な国として栄えることが最上であると思っているし、その理想に少しでも近づくような願いを込めて述べているつもりだ”

と、自身を「反日」扱いする相手に強力な違和感を表明している。

 しかし、この本の妙味が感じられるのは、政治や政治家に関して以上に、松尾さんが長らく関わってきたメディアや言葉に対する違和感の数々だ。

 たとえば最近では「子ども目線で」「国民目線で」のように、当たり前のように使われるようになった「〇〇目線」という言葉があるが、

「国民視点」ではいけないのだろうか。「子供と同じ目線」は、子供の質を画一化しているような気がして不快だ。個人的には「子供と同じ目の高さで」のほうがしっくりくる気がする。

と喝破し、数年前に「おめでたいことだから」と延々放送されたパンダの交尾動画に爆笑したことを告白し、ニュースでしか聞かない「バールのようなもの」に対しては、「バールではないのか」と疑問を呈している。

■ウーロンハイの“ハイ”はどこから?

 そして巷にあふれるウーロンハイだが、松尾さんが若い時分はチューハイをウーロン茶で割ったものだから「ウーロンチュー」と言っていたそうだ。それがいつ頃からか、ウィスキーを炭酸で割ったハイボールの「ハイ」とミックスされて「ウーロンハイ」と飛ばれるようになった。しかしウーロンハイにはハイボールに付き物の“炭酸”は入っていない…ということを連載1回分かけて触れている。うーん、言われてみれば確かに

その通り。なのに炭酸のない焼酎のウーロン茶割りを、我々は当たり前のように「ウーロンハイ」と呼んでしまっている…。

 松尾さんが指摘するこれらの違和感を、オジサンのいちゃもんと言ってしまえばそこまでだ。しかし多くの人が違和を感じることをせずスルーし、受け入れてしまったことから、今日もどこかのカフェでは「こちら、ホットコーヒーになります」という言葉が繰り返され、巷には〇〇目線で作られたものがあふれ、仕事帰りの人たちはウーロンハイを飲み続けている。

 こういった「そういえば変だ」の違和感たちは、スルーしてもおそらく生きるのに支障はない。しかし巻末に収録された松尾さんと立川志の輔さんの対談で2人は、

松尾:僕は違和感って哲学のもとだと思うんです。何かに疑念や問いを持たないと哲学って始まらない。だから違和感を持たないと思考が進まない。「こんなもんでしょ」って言ってる人に、未来はないような気がするんです。

志の輔:そういう違和感がだんだんなくなっていく、「人生ってこんなもんだよ」とか「そんなことをこだわってちゃいかんよ」とかって思うのが大人になることだと思っているのならば、それは間違いだと思いますよ。

志の輔:何か留飲が下がるというのは、落語の役割のひとつなんです。皆の違和感を見事に共感に変え、笑いがあるから、寄席が何百年も続いているんでしょうね。

と、違和感は、人間の思考や笑いと繋がるものだと語っている。

 ただ生きるだけなら別に気にしなくてもいい。でも気にした方がより人生は、深くおもしろくなる。それが違和感なのだということを、この本は教えてくれるのだ。

文=霧隠彩子