「同性婚が変なら、異性婚も同じくらい不自然」 フランスはどうして愛の先進国になれたのか?
公開日:2019/3/20
先日テレビを見ていたら、制服の多様化が話題になっていた。そして取り上げられたのが、東京・中野区の小学6年生が区長に送った要望書。「中学校制服で女子もスラックスを選択できるようにしてほしい」というものだった。友人たちにもリサーチしたという、なかなかしっかりした内容で、スラックスの良い点として、暖かい、動きやすい、などの理由が挙げられるとともに「性的マイノリティーの人も着られる」という一言が。なんと!? ジェンダーに関わる問題が、ここまで世の中に広く浸透していることに、ちょっと驚いた。男性同士、女性同士のカップルが「婚姻届」の受理を求めて、訴えを起こしたことがニュースになっているし、LGBTがお茶の間の話題になりつつあるということだろう。
とはいえ、私自身にとって「LGBT」はまだまだ遠い存在。あまり触れてはいけない気がして、話題にするのは気後れするし、そもそもジェンダーということ自体、フェミニズムと混じってあやふや…。そんなとき目に留まったのが、この『フランスの同性婚と親子関係』(明石書店)だ。本棚でひときわ目立つ、くっきりと鮮やかなフクシアローズの表紙。光沢を抑えた紙の質感もいい感じ。タイトルは堅そうだけど、小ぶりだしソフトカバーだし、持ったときの感触もいいし…。手頃な参考書を見つけたような気持ちで、手に取った。そして…。
フランスで、2013年に成立した「みんなのための結婚法」。「愛の国」なればこその画期的な法律だから、賛成の大合唱のうちに成立したのかと思ったらとんでもなかった。
結婚に性別を問わないということは、もう男性と女性に差はない、ということ? 父親と母親の概念もなくなってしまうの?と、世間が混乱。さまざまな反対論が唱えられ、強硬派の中には「人間世界とのあらゆる象徴的かつ道徳的絆から解き放たれた社会を待ち受けているのは、近親姦と獣姦の未来だ」(!)という者さえいたそうだ。この法案が何かを変更したり、削除したりするものではなく、ただ、「同性にも結婚を認める」ことを付け加えるだけなのに。もしも日本でこの法案が提出されたら…。同じような混乱状態の中、どちらとも決められないまま審議打ち切りとなってしまいそう。が、フランスでは成立した。それはなぜか?
著者のイレーヌ・テリーはフランス・ジェンダー研究の第一人者。ジェンダーの定義やアプローチについて、2つの異なる捉え方を解き明かし、それぞれの歴史的意味を丁寧に解説する。そして結論として述べられるのは「一方の性と他方の性との共同生活は自然に組織されることなどない」。同性婚を不自然というけれど、異性同士の結婚も、自然に生まれるものではない、ということだ。
そして、この視点からフランスにおける法的、社会的な「結婚の歴史」が紐解かれる。フランス革命直後に成立した民事婚が、男性メインの「父の権利と義務を確立する制度」から「カップル関係の制度」へと変化していく。「結婚」と「親子」ということが別の次元の問題になり、「カップル」という言葉が「愛し合い生活を共にするふたり」を指すものとなった。異性だけでなく同性でも、だ。その流れにはまったく無理がなく、深く納得。LGBTは遠い異国の人々ではないのだ。同じように相手を愛する「カップル」なのである。男性の権利のための結婚が、男女に平等の権利になったように、すべての人に平等であるために、法案は通ったのである。
平等に結婚の権利を認められた同性カップルが、養子縁組は認められているのに、なぜ生殖補助医療を使って血の繋がった我が子を授かれないのか(フランスでもまだこの権利は認められていないそう)。その矛盾も本書は鋭く指摘する。そこに出てくる「反対派」の意見には、思わず共感してしまうものも。それを著者にみごとに看破されると、いかに自分が「慣習」のワナにはまりこみ、偏見のかたまりとなっているか思い知らされて、思わずため息…。これからの「愛」、「結婚」そして「家族の形」について深く考えさせられる1冊だ。
文=川嶋 由香里