マックス・ヴェーバーは「エディプス・コンプレックス」だった!? 社会学をドラマチックに読み解くと――
公開日:2019/3/20
「怪我の功名」というように、ピンチが一転、チャンスになることがある。人生とは、つくづく何が起こるかわからないものだ。
『社会学史(講談社現代新書)』(講談社)の著者である、社会学者の大澤真幸氏によれば、ドイツの政治学者・社会学者・経済学者であるマックス・ヴェーバー(1864~1920年)が重度の神経症になったのも、まさに怪我の功名だったかもしれないという。なぜなら、「ヴェーバーのほんとうに偉大な仕事は、ほとんど全部、神経症になった後に書かれている」からだ。
社会学という学問を広く見渡す本書には、そんなドラマチックな人生を歩んだヴェーバーのほかにも、アリストテレス、パスカル、マルクス、ヘーゲル、フロイト、デュルケーム、フーコー他、社会学の成り立ちに関わった知の巨人たちが網羅的に登場する。新書ながらも600ページ超という圧巻のボリューム。まさに著者渾身の1冊であることは、次のような著者のメッセージにも表れている。
■心理学者として知られるフロイトは社会学者だった!?
「社会学はもちろん、その周辺の学問を理解するためには、どうしても、社会学史全体を知っておく必要があります。それなのに、なぜか、社会学史の本がほとんどないのが現状です。だから、この仕事に私は、強い社会的な使命感を持っています」。
本書における「無意識の発見」というテーマで登場するフロイトは、心理学者として有名だが、著者によれば、社会学史に名を連ねるべき存在なのだそうだ。
その理由を推察する前に、「社会学とは何か」という著者の定義を紹介しておこう。社会学のテーマは、「社会秩序はいかにして可能か?」を理論化することだという。その際に、現に起きているある社会現象に対して、「現に起きているのに、どこかありそうもないという感覚」を持ちながら現象を分析し、「なぜこんなことが起きてしまったのか」と問い、その因果関係を探求する学問なのだという。
「社会秩序はいかにして可能か?」という問いは、さらに2つの部分問題に分かれる。1つは「個人と個人」の関係、つまりある行為と行為の関係、あるいはコミュニケーションとコミュニケーションの関係だ。
例えば、ヴェーバーが神経症を発症した直接的な理由は、母親をめぐる、父との対立からだったという。母親擁護のために父を罵倒し、和解しないまま父は旅先で客死。その後すぐにヴェーバーは神経症(うつ)になり、生涯治ることはなかった。
■ヴェーバーの神経症の背後にあった「エディプス・コンプレックス」
ここには、ヴェーバーと父親、ヴェーバーと母親、母親と父親(夫婦仲は良くなく、母は夫から離れたがっていた)という、それぞれ個人間の関係が成立している。その結果として、父親の死とヴェーバーの神経症の発症という現象が起こったことになる。
社会学的には、「それはどうしてか?」と考えていくことになる。著者によれば、その因果関係の説明にふさわしいのが、フロイトが唱えた「エディプス・コンプレックス」だという。エディプス・コンプレックスとは、母親を自分のものにしようと、父親に対して強い対抗心を抱く心理状態で、そのモデルはギリシア悲劇『オイディプス』だ(オイディプス王は実の親とは知らずに父王を殺し、母と親子婚する)。
もちろん、これは仮説のひとつに過ぎないが、社会学的な考察として、こうした見立てもできるということになる。また、フロイトを社会学者とする著者の理由も、ここにあるのだろう。
■社会学を振り返る歴史そのものが社会学でもある
話を戻して、もう1つの部分問題は、社会秩序の全体性と諸個人(諸行為)の関係についての問題で、わかりやすく言えば、「社会と個人」という関係だ。
この場合、要素となる行為や個人は、生成と消滅を繰り返している。例えば、自民党という政党を考えてみると、メンバーは入れ替わっても自民党は存続する。このように要素は生成と消滅を繰り返しているのに、関係の全体としての社会のアイデンティティは保たれているのはどうしてなのか? を考えるのが社会学の部分命題だ。
また著者は、「現にそれ(ある社会現象)があるのに、それが奇跡的に見える、ということが重要です」と記している。もしその社会現象が“説明を要さない”ような自明のものならば、探究の対象にはならないからだ。
現にある(あるいはすでにあった)社会秩序なのに、「それがあることが不確実だったように見える」という感覚を、社会学における重要な用語で「偶有性(contingency)」というそうだ。偶有性とは、「必然ではないが、不可能ではないこと」であり、「他でもあり得たのに」という別の可能性を有するのが、偶有性のポイントだという。
このように、私たちの時代にまで引き継がれてきた哲学、論理学、数学、心理学、政治学他、といったさまざまな学問が交差する社会学。著者によれば「社会学史そのものが社会学でもある」という。本書を片手に、社会学という名のドラマチックでダイナミックな“知の大海”に飛び込んでみてはいかがだろうか。
文=町田光