誰だって“酒の力”を借りたい日もある――酒を片手に読みたい『酒呑みに与ふる書』
公開日:2019/3/30
「酒呑み」という言葉にはどこか郷愁を感じる。私自身、決して大酒飲みというわけではないが、酒のある時間は大好きだ。友人と一緒にワイワイと、また自宅で夕食後に一人で嗜む程度に酒を楽しんでいる。かつて、日本を代表する文豪たちの中には酒豪も多かったとか。酒にまつわる逸話も多数残されていて、酒が原因で体を壊した人も多かったという。そんな文豪や作家たちの酒にまつわる小作品が読めるのが『酒呑みに与ふる書』(キノブックス)だ。本書は、エッセイや詩、俳句、漫画など、ジャンルの垣根を越えて過去のさまざまな作品が収録されている。一貫しているのは、すべて酒に関する作品だということ。酒好きの人たちにぜひとも手にとってもらいたい本だ。
まず目次を開いて驚くのは、そのそうそうたるメンバーだろう。冒頭部分には、現代作家として人気の村上春樹や川上未映子、角田光代諸氏の短いエッセイが掲載されている。おいしいカクテルについてや、ノンアルコールビールの魅力などテーマはさまざま。自身の経験に基づく酒エッセイは作家たちの生活を垣間見るようで興味深い。
中でも印象に残ったのが角田氏のエッセイ「酔っ払い電車」だ。ある12月最後の金曜日、酒好きの彼女にしては珍しく素面で終電間際の電車に乗ったとき、車内の光景に大変驚いたという。その理由は、車内が酔っ払いだらけだったこと。
いつもは自分も酔っ払っているから気づかなかったが、つり革につかまり立ったまま寝ている人、座席で知らない人に寄りかかって寝ている人、電車を降りて千鳥足でホームへ向かう人など、みんな「静かな」酔っ払いばかりだったのだ。そこで彼女は人間とはすごい生きものだと感じることになる。
酔っ払っていても、知らない人にもたれて眠りこけていても、自分の降りるべき駅では目覚めて下りて、改札を目指し、切符や定期を律儀に探し、きちんと改札を出て、自宅に帰るのだ。(中略)帰巣本能とはものすごい能力である。
この後、電車で帰らなければいけないとき、角田氏が深酒をしないようになったのはいうまでもない。
本書を読んでいて気づいたのは、「酒を何のために呑むのか?」と自問している人の多いことだった。毎日酒を呑んで二日酔いに悩まされながら、それでも酒を呑み続けてしまう理由は一体どこにあるのだろうか。伊集院静氏の「大人はなぜ酒を飲むのか」というエッセイにその答えが隠されているように感じた。
彼は歯医者で麻酔をされたことから、当日は一切酒を呑んではいけないと医者から釘を刺されていた。しかし、知り合いと焼き鳥屋に行くことになり「つい」酒を口にしてしまう。軽く一杯のはずが酒量はどんどん増え、なんとハシゴまでしてしまう始末。
翌朝目覚めると左の頬は腫れ上がり、医者の言葉の意味がやっと理解できたという。そんな思いまでして酒を呑むのはなぜだろうと彼は自身に問いかけるのだ。若い頃は毎晩のようにハシゴ酒をし、明け方に自宅へ帰りつくという生活を送っていた伊集院氏。気づいたら公園のベンチや墓所で寝ていたこともあるそうだ。そんな彼の考える理由とは以下のようなものだった。
私が酒を覚えていたことで一番助かったのは、どうしようもない辛苦を味わわなくてはならなかった時、酒で救われたことだ。
眠れない夜もどうにか横になれた。(中略)人間は強くて、弱い生きものだ。そんな時、酒は友となる。
人生は楽しいことばかりではなく、落ち込んでいるときなど人と会いたくない場面だってある。そんなときにもそっとそばに寄り添って気分を落ち着かせてくれる酒の力を借りたいと思う人は実際のところ多いのではないだろうか。
しかし、もちろん楽しい酒もある。ほろ酔い気分で気分が高揚し、饒舌にさせてくれる力が酒にはあるのだ。また、酒には料理の味をさらにおいしくしてくれる効果だってある。酒器にこだわり、酒の産地をめぐってまだ出会っていない酒を探す旅なんてのもオツだろう。大人数で、一人きりで、また時には昼酒だっていいではないか。それぞれの楽しみ方で自由に酒を呑みたいものだ。
文=トキタリコ