極秘富裕層スワッピングパーティーを覗いて見えてきたモノ。女性視点で斬る「エロ産業」の実態
公開日:2019/4/7
私たちが「セックス」について考えたり思い浮かべたりするとき、その多くは主観だろう。なぜなら、普通の人が「他人のセックス」を眺めることはほとんどないからだ。アダルトビデオ(AV)もあるけれどそれはあくまでも作品であり、自身のセックスやその前後を含む一連の流れと比較すれば一目瞭然だが、それらの作品には生々しさというか、リアルな人生の一部としての生活感が抜けている。
『他人(ひと)のセックスを見ながら考えた』(田房永子/筑摩書房)は、『母がしんどい』などで知られる女性漫画家・ライターの著者が、エロ本の取材現場などを通じて「他人の性」を見ることで得られた考察をまとめ上げた1冊だ。密着理髪店、おっぱいパブ、乱交パーティーなど、主に性産業の現場に立ち入ることで知り得た実態が記されているが、本書は「こんな場所では、こんな性的サービスが行われています」といった表面的なルポだけでは留まらない。
性欲を満たすための性産業。エロ本もその一部だ。そんな世界で働いてきたという彼女が、現場で感じた女性としての考察や疑問が、本書ではユーモアたっぷりかつ鋭利に切り取られている。
■「女の体は男のほうが知っている」という思い込み
著者がAVの撮影現場で取材をしたときのこと。女優さんの股にローターを当てているときに、同じ女性として著者は、「その角度じゃ全然気持ち良くない」と気づいてしまったのだという。しかし、女優さんはすぐさまトローンとした表情になり喘ぎ始めた。
エロ本やAVをはじめ、セックスにまつわるコンテンツで「感じているのか、それとも演技なのか」を問われるのはいつも女性側だ。それはセックスの前提として、「男の体については、男がよく知っている」「女の体についても、男のほうがよく知っている」のような感覚、さらには「知っているということにしておきたい」という男の願望があるからではないだろうか。
性についてはなかなかオープンになれない女性。「俺のほうがよく知ってるということにしておけ」という男の無言の圧力により、女は自然と「私の体については彼のほうが知っている」かのように振る舞ってしまう。つまりは、セックスをする前から女の演技は始まっているのだと著者は説く。
■「富裕層スワッピングパーティー」の実態
カップルが集まり、各々のセックスを見せ合ったり、時には相手を交換してみたり、2つのカップルの計4人で絡み合ってみたり…。この世の中には、「スワッピング」というセックスの楽しみ方が存在する。
著者は25歳のときに男性編集者とカップルのふりをして会員制パーティーに潜入したそうだ。東京の夜景が一望できるいわゆる「億ション」の一室でそれは夜な夜な行われる。スワッピングが行われる部屋は6畳ほどで、他人の生々しいセックスが間近で見られるのだという。
スワッピングと聞くと、「自分のパートナーが他人としているところが見たい」「他のカップルと見せ合いたい」という欲求を共有するカップルたちが集う場所、というイメージが強い。しかし、著者が実際に見た現場は、すべてのカップルが社長風の60代くらいの団塊オヤジと20代の可愛い女性という組み合わせだったそうだ。
その会員制スワッピングパーティーは、お金持ちのゆとりある遊び場。「俺の女、べっぴんだろ。体の反応もスゲエんだぜ」という、みせびらかすことができるものを「持っている」者たちの集う場であった、と指摘する著者。
他の男の上玉を抱かせてもらうのだから、こちらもべっぴんを用意して行かなければ…などという男視点のルールによって成り立つその場に、本物の共有する喜びや、ましてや「女性視点の快楽や絶頂」は存在するのだろうか――。
自分も男の中のひとりとして本書を読み進めると、自分の中にはほとんど無自覚のうちに、いかにも男っぽいセックス観が根付いていることに気づかされる。男女の平等性や差異をどうとらえて扱っていくのか。その問題は、「他人のセックス」を覗いてみることでヒントを得られるのかもしれない。
文=K(稲)