昭和の空気漂う全国の「ドライブイン」! そこで見た人々の生活とは? 【著者インタビュー】
公開日:2019/4/20
昭和に子ども時代を過ごした者にとって、「ドライブイン」はどこかノスタルジックな響きに聞こえる。休日に家族でドライブに出かけるものの、高速道路が整備されきっていなかったから、車は国道をずっと走る。その道すがら目に付いたドライブインでラーメンなどを食べ、目的地に向かう、といった具合だ。
しかし、『ドライブイン探訪』(筑摩書房)の著者で現在36歳の橋本倫史さんには、ドライブインの思い出は全然ないそうだ。橋本さんは、大人になるまで意識したことがなかったドライブインを廻り、1冊の本にまとめた。なぜ自身の記憶と紐づかないながら、全国のドライブインを取材しようと思ったのか。早速話を伺った。
■日本には「ドライブインの時代」があった
橋本さんがドライブインを気になりだしたのは2009年のこと。原付バイクであちこちを巡っていた頃、鹿児島である種異様な風景を目にしたのがきっかけだったと語る。
「錦江湾を眺めながら原付を走らせていたら、カーブを曲がったところに奇抜な建物が見えてきて。『おっ』と思って近づいたのですが、人の気配がない。なんだろうと思ってよく見てみると、隅のほうに『ドライブイン』と書いてあったんです。それで、ドライブインって今まで気にしたことがなかったけど、全国に結構あるのかもと思ったんです。
その後、鹿児島から宮崎、大分、長崎と九州を廻って東京に戻ってきたんですけど、廃墟のようになった店も含めてかなりの数のドライブインがありました。今まで全然見えてなかったけどこんなにあったんだってことにびっくりしたし、同じ時代にできたと思しき店も多かったので、きっと日本には『ドライブインの時代』があったんだろうと思ったんですね。
誰かがドライブインの歴史を振り返ってまとめてくれていれば僕が取材することもなかったと思うんですが、誰もしてなかったので取材することにしました。」
まず2011年にドライブインを何軒か訪ね、話が聞けるところは聞いていたという。しかし、最初に「おっ」と思った「ドライブイン薩摩隼人」は、1件目の取材先ではなく本書ではエピローグに登場する。
驚きの理由は、このドライブインの脇に、戦時中の軍服や武器を展示した「歴史館」が併設されていることだという。実際どんな場所なのかはぜひ本書で確認していただきたいが、ここは珍スポットとして知られている場所なのだ。
「珍スポットをおもしろがるとか、そういう意図で書くつもりは全然なかったです。『ドライブイン薩摩隼人』を取材しても、果たしてうまく書けるのかなという気持ちがずっとあって。ただ、ここは最初に気に留めた場所ということもあったので、あえて最後に訪ねることにしました。
取材を始めたのは2011年ですが、その時には熊本県の阿蘇にある「城山ドライブイン」にはお話を聞けていました。他のお客さんがあまりいない中でコーヒーを飲んでいたら、『もう一杯飲んでく? どこから来たの?』と話しかけてくださったので、「ドライブインがあったら立ち寄るようにしてるんです」と答えたらびっくりされました。その時に、「うちはね…」とお話を聞かせていただいたので、本書第1章の冒頭に収録しました。」
■本にまとまるまで待っていたら、ドライブインはなくなってしまう…?
同書は、橋本さんが2017年4月から2018年6月にかけて発行していた、『月刊ドライブイン』というリトルプレス(自費出版)を再構成したものだ。2011年時点で「ドライブインの取材を本格的に行いたい」と思っていたものの、掲載する媒体を探す手立てがわからない。そこで選んだのがリトルプレスだった。
「2017年の正月に、『以前行ったドライブインはどうなってるかな』と思って調べてみたら、結構な数が閉店していて…。いつかまとめようと待っていたら店が先になくなってしまう、と思って、まずは取材して話を聞かせてもらおうと決めました。その時点では出版社に企画を持ち込むことをしたことがなかったので、リトルプレスで発行しようと思ったんです。」
自販機オンリーの無人店やインスタ映えを狙った平成世代がやってくるドライブインなど、かつての「広い駐車場があってお土産コーナーと食堂が並ぶ」というイメージとはかけ離れた店も、いくつか掲載されている。なかでも栃木県益子町にある「大川戸ドライブイン」には、橋本さんも驚いたそうだ。
「ドライブインって、トラックが多く走る幹線道路とか、観光バスが通る国道沿いにあるイメージがありますよね。でも大川戸ドライブインは、すごく細い道路沿いの『本当にこんなところにドライブインがあるのかな?』と思うようなところにあって。ここは流しそうめんで有名で、わざわざ人が来るんです。旅の途中で立ち寄るのではなく。目的地として賑わうドライブインというところが、とても印象的でした。」
パーキングエリアや道の駅は盛況だが、ドライブインは、全国各地で閉店が進んでいる。
「僕が子どもの頃は、次の連休はあそこの湖に行こうとか、GWは家族で藤棚を見に行こう、のように割と近場に出かけることが多かったと思うんです。でも、最近は遠出をする人が増えているからか、身近な景勝地の近くにあるドライブインは、お客さんが減っている気がしますね。
また、車を走らせていてきれいな海辺が目に入ったら、『あそこのドライブインでお茶して海を眺めよう』みたいに、旅の途中で予定変更することが以前はもっとあったと思います。でも今は、先に予定を組んで立ち寄る店も決めてあり、目的地に直行してしまう人が多い。日本の観光スタイルが変わったことも、ドライブインが下火になった理由のひとつだと思います。」
■自分が知らない景色の中にも、誰かの生活がある
橋本さんがあるドライブインの取材で、「俺自身の話を聞かれたのは初めてだよ」と言われたように、同書は単なる旅行ガイドではなく、そこで働く人たちの人生と店の軌跡が描かれている。これまでにないテーマゆえに、店の人からの反響も大きかったのではないだろうか。
「2012年に閉店した岡山県の『ドライブインつぼい』の方から、本書出版後すぐにメールをいただきました。昭和4年生まれだというお母さんは取材時はお元気だったのですが、今は体調を悪くされているそうです。『記憶もおぼろげな母が、嫁が語る文章を聞いて遠い昔を思い出しているのか涙を流していました』とありました。『そこまで深く受け取っていただけるものを取材していたんだ』と実感しましたね。」
「また、本書に関連するテレビ取材を受けた際に、千葉県の『なぎさドライブイン』を再訪しました。その時にご主人がカメラクルーに向かって、『俺と橋本さんとは一生の付き合いだよな』と言ってくれました。ここには3回取材に行きましたが、よく考えれば『たった3回』ですよね。それを一生の付き合いだと言ってくれたのはとても大きく重いことです。東京から近い場所なので直接本を届けようと思っていたのですが、僕が取材で不在にしているうちにご家族の不幸があったそうで、急に閉店してしまったと聞きました…どうしてもっと早く訪ねなかったんだろうと、今でも後悔しています。」
「僕が、世の中で起きた出来事で何を最初に覚えているかと言うと、小渕元総理(当時は官房長官)が『平成』という元号を掲げた映像なんです。当時小学校にあがるぐらいで、「へいせい」って音がおもしろく感じたのは覚えていますが、昭和のニュースはほとんど記憶になくて。だから、僕は知らない時代のことをもっと知りたいという気持ちから、全国のドライブインを取材しました。この本が、読む人にとって、『今まで気にも留めていなかった風景にも、そこには人の生活がある』ということに気づくきっかけになればいいなと思っています。」
取材・文=朴順梨