平成のスポーツ「番狂わせ」を総ざらい! サッカーW杯、甲子園…あなたの覚えている波乱劇は?
公開日:2019/4/30
元号は、平成から令和へ。時代の大きな節目を迎える今、過去を振り返るようなさまざまな情報が、いたるところで流されている。『スポーツ世紀の番狂わせ 世界が驚愕したまさかの88試合』(鉄人ノンフィクション編集部/鉄人社)も、これまでの歴史をたどれる1冊。世界中のスポーツ界で起きた“波乱劇”を、思い出と共にたどることができる。
■史上まれに見る“番狂わせ”となった2014年W杯準決勝
世界中のサッカーファンに衝撃を与えたのが、2014年に開催されたFIFAワールドカップ・ブラジル大会の準決勝。のちに「ミネイロンの惨劇」と名付けられた、ブラジル対ドイツ戦だった。
多くの国民が自国開催での“セレソン(ブラジル代表の愛称)”の優勝を願っていたブラジル。歴史をさかのぼれば、初の自国開催であった1950年の大会でもウルグアイに逆転を喫して、優勝を逃すという「マラカナンの悲劇」を味わっていた。そして、時が経ちようやく巡ってきた2度目のチャンス。忌々しい記憶を払拭するには、優勝する以外の選択肢はなかった。
同大会でブラジルは、クロアチア、メキシコ、カメルーンと同組のグループAを2勝1分で1位通過。決勝トーナメントでは、1回戦のチリをPK戦で制し、準々決勝ではコロンビアを2対1で打ち破った。その末にたどり着いた準決勝の相手こそ、大会直前のFIFAランキングで2位だったドイツで、同ランキング3位であったブラジルとの対戦は「事実上の決勝戦」とみられていた。
しかし、現実は残酷だった。前半11分にドイツが先制点を奪い、23分に追加点を挙げられたところでブラジルの守備は一気に崩壊。その後、わずか6分間でドイツに3ゴールを奪われ、前半だけで0対5の大差に。後半もさらにドイツが2点を決め、試合終了寸前にブラジルのオスカルが1ゴールを挙げるも、時すでに遅しで、1対7という屈辱的なスコアのまま試合は幕を閉じた。
試合後、ブラジルのメディアは選手の採点に10点満点でゼロを付け、一部のメディアは監督にマイナス10点と前代未聞の評価をくだす結末に。ただ、このときはまだ、次の2018年のFIFAワールドカップ・ロシア大会で前回優勝国のドイツがグループリーグで敗退するとは、誰も知るよしがなかった…。
■北の大地へ史上初の優勝旗をもたらした駒大苫小牧の快進撃
甲子園にもさまざまなドラマがある。今でこそ、東北や北海道勢の上位進出も当たり前となったが、わずか十数年前まで、甲子園の勢力図は「西高東低」だといわれていた。とりわけ福島よりも北の地域にある高校は多くが準々決勝を前に涙をのむことが多く、かつては「東北・北海道勢=弱小」というイメージすらあったのだ。
その常識を2004年夏の甲子園で覆したのが、のちに田中将大投手を送り出した駒大苫小牧高校であった。2003年までは計4回出場するも、すべて初戦敗退。同大会でも当初は注目されておらず、ダルビッシュ有を擁した東北高校、横浜高校、明徳義塾高校などの優勝を期待する声が多かった。
しかし、大会が始まるやいなや、駒大苫小牧高校の打撃力が爆発した。初戦となった2回戦の佐世保実業高校戦で15安打を放ち7対3と快勝。3回戦ではPL学園に打ち勝った日大三高を7対6の接戦で制し、7番の林裕也選手が史上5人目となるサイクル安打を達成した横浜高校戦では6対1の快勝をみせて、1928年以来“76年ぶり”となる北海道勢としてのベスト4入りを達成した。
そして迎えた準決勝では、5回までに10点の猛攻をみせて東海大甲府を10対8で制し、いよいよ決勝へ。優勝候補の一角とされていた済美との試合は、準決勝を上回る乱打戦となった。2回を終わって1対5と劣勢を強いられた駒大苫小牧高校であったが、3回に2点、4回に3点を返して逆転に成功。結果、13対10で済美を破り北の大地へ史上初の優勝旗をもたらした。
さて、一部を紹介してきたが、本書の内容はとにかく熱くて濃い。まるで目の前で試合を見ているかと思えるほど、充実した情報や書き手の情熱がびしびしと伝わってくることも魅力なので、時代の切り替わるタイミングである今、いま一度スポーツ界に起きた波乱劇をあなたの目で確認してほしい。
文=カネコシュウヘイ