『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』を読んで、やさしく漂わせてくれる海を知る
更新日:2019/6/3
小説は、ときに私たちの夜をゆったりとほぐしてくれる。
日中に歩く街の喧騒、次から次へと届くメール、謝りたくないけど謝る時間……そんなふだんの自分や騒がしさを、小説を読むあいだだけは、忘れられる。
「泳ぐのに、安全でも適切でもありません。
私たちみんなの人生に、立てておいてほしい看板ではないか。」(『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』より)
夜ひとりでいるとき、騒がしくて忙しい人生についてこんな言葉をくれるのは、小説だけだ。と、私は思う。
江國香織さんの『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』(集英社)という短編小説集は、根無し草の女たちの恋愛――底なしの海とでもいうべき人生を送るひとびとの物語だ。でも登場人物のシビアな境遇とは裏腹に、小説の読後感はまるで潮の香りをかぎながら味わうウイスキーのように、じんわりと泣きたくなる。
たとえば表題作。母と娘ふたりが海辺のレストランで食事する場面が描かれる。彼女たちが食べるオニオンリングや白ワインは、小説を読む私のお腹すらぐうぐうと鳴らすくらいおいしそうだ。しかしこの場面、ただのおいしい食事シーンでは終わらない。彼女たちは、ある家族のひとつの危機――というか、重要な一場面に差し掛かっている。
だけど、騒がずに彼女たちは食事を愉しむ。そしていつしか読者は気づく。人生って安全でも適切でもないのに、かなしみだけは波みたいに襲ってきて、それをこんなふうにお酒を飲んだりお喋りしたりデートしたり小説を読んだりしてやりすごすものなんだなあ、と。
小説の読者である私たちの日常だって、昼間は騒がしい。考えなきゃいけないことや見通しを立てなきゃいけないことの連続だ。ほんとうにこのつらい人生の海を渡ってゆけるのかしら、と心配にもなる。
だけど、海も危険なときばかりではない。たとえば夜に甘い香りを漂わせるウイスキーみたいに、やさしくていとおしい江國香織さんの小説みたいに、ほうっと一息つかせてくれる夜の海も、たしかにあるのだ。
この小説について、作者の江國さんは語る。
「瞬間の集積が時間であり、時間の集積が人生であるならば、私はやっぱり瞬間を信じたい。SAFEでもSUITABLEでもない人生で、長期展望にどんな意味があるのでしょうか」(あとがきより)
ウイスキーを飲んだり、小説を読んだりする、その一瞬こそが、私たちの人生のやさしい海の一滴になってくれるのだと、私は信じている。
文=三宅香帆
【ダ・ヴィンチニュース編集部/PR】