『岳』のモデルになった救助隊員の遺したメッセージ――山の魅力にとりつかれた日々の記録
更新日:2019/5/29
映画化もされた大ヒットコミック『岳』。主人公の島崎三歩は山岳救助隊員として、要請があればどんなに危険な任務も引き受ける。遭難者には生死にかかわらず「よくがんばった」と声をかける優しい男だ。三歩は多くの読者に山の美しさと恐怖、そこに惹かれる人々の気持ちを教えてくれた。
ところで、三歩にはモデルがいたことをご存じだろうか? 穂高岳山荘のスタッフであり、遭難救助隊も務めた宮田八郎さんである。残念ながら宮田さんは2018年4月5日、海での事故によって帰らぬ人となってしまった。しかし、宮田さんが山に向き合ってきた日々は、さまざまな媒体で文章になり、発表されてきた。それらを一冊にまとめた『穂高小屋番レスキュー日記』(宮田八郎/山と渓谷社)を読めば、宮田さんの山のように大きな人間性が実感できるだろう。
宮田さんが穂高岳にやって来たのは高校卒業してすぐの頃。アニメ「アルプスの少女ハイジ」のように、ロマンティックな山の光景を想像していた宮田さんは、すぐに容赦のない自然の厳しさに直面する。山小屋の主、今田英雄さんのもと、壁一枚のみを隔てて猛烈な風雪が吹き荒れる過酷な世界の中で宮田さんは鍛えられていく。
宮田さんの初レスキューは死亡事故だった。家族の葬式以外で初めて見る遺体。周りを囲んで合掌する先輩隊員たち。何もかもが非日常的な光景だったが、不思議と宮田さんに恐怖はなかった。なぜなら、遺体を無事に山荘まで届けるという作業に死に物狂いだったからだ。それから、30年にもわたる宮田さんのレスキュー人生が始まる。
宮田さんが関わってきた遭難事故は、常識では想像できないようなものばかりだ。下山中、登山者に道を譲ろうとしたら足元が崩れ、谷底に落ちてしまった人。6人もの遭難者グループを助けるため、スタッフ総出で出勤した夜。必死の救助活動を行なったにもかかわらず息絶えた人。尊敬する先輩ですら、レスキュー中の二重遭難によって命を落としている。穂高岳は美しく気高い山だが、危険は常につきまとう。そして、「ベテランなら安全」などとは絶対に言えない。自然の脅威は、相手が誰であろうと平等に降りかかってくる。
こうした事故が多発していると、必ず沸き起こるのが「自己責任論」である。つまり、遭難は本人の責任でしかないのだから、他人がわざわざ助けに行く必要などないという考え方だ。しかし、宮田さんは自己責任論に真っ向から反論する。
たしかに山は「自己責任」。それはそうです。でも、もう自らではその「責任」を果たすことができなくなっている状態を「遭難」というのではないでしょうか。そうした人を助けるのに自己責任もクソもないやろうと。
さらに、遭難者を「救急隊に命を懸けさせて迷惑」とする意見にも宮田さんは同調しない。救急隊や警護隊、小屋番にとって遭難者救助は課せられた役目だ。だから、迷惑なんて思ったこともないという。それに、宮田さんは命を懸けてレスキューをするつもりなどなかった。プロフェッショナルとして、命を懸けなければいけない状態に自らを追い込むなどもってのほかだ。不慮のトラブルで危険な目に遭ったとしても、「命が懸かってしまった」だけにすぎない。宮田さんは、誰かを責めたり咎めたりせず、ただ自分の仕事を誇り高く遂行していた。その姿が、人々に慕われていたのである。
宮田さんの文章を読むと、どうして人が危険を冒してまで山に登るのか、根源的な理由がわかった気がした。それは、山が誰にも公平な存在だからではないだろうか。肩書きや収入、社会的評価など自然の前では一切関係ない。ただ、生と死というわかりやすい基準があるだけ。飾らない宮田さんの言葉は、現代を生きる読者の視野を広げてくれるだろう。
文=石塚就一