恋愛もセックスも興味がないし、したくない… 見えない性的指向“アセクシュアル”とは
更新日:2019/6/1
アセクシュアリティとは、性的指向のひとつで、人口の1%に当てはまるといわれている。通常は、他者に性的に惹かれないことを指すが、「性行為や性的魅力をそれほど重要視しないこと」と定義する場合もある。
『見えない性的指向 アセクシュアルのすべて──誰にも性的魅力を感じない私たちについて』(ジュリー・ソンドラ・デッカー:著、上田勢子:訳/明石書店)は、自身もアセクシュアルな女性である著者が、「恋愛もセックスも興味がないし、したくない」という人々の基礎知識や、彼らに対する誤解、適切な接し方を書いた1冊だ。
アセクシュアルな人たちは恋愛やセックスに怯えているからしないわけではない。恋愛やセックスをする人々のことを否定しているわけでもない。ただ、それらに興味を持てないのだ。相手から求められても喜びを見出せない。「やってみないとわからないよ」と言われ応じてみても、楽しむことはできず苦痛が残ったりする。
アセクシュアルな人はたびたび以下のような誤解を受ける。
「普通じゃないよ。病院で調べてもらったら?」
「ぼくなら治せるよ。きみを助けられるよ」
「小さいときに性的虐待を受けたんじゃないの?」
「ぴったりの人に、まだ会ってないだけなのさ」
「試しても嫌いだったなら、それはやり方が間違ってたんだよ」
「アセクシュアリティはコンプレックスでも病気でもありません。トラウマによるものでもありません」と著者は断言する。性別が混乱しているわけでもなく誰にも「治してほしい」とは思っていないという。しかし、アセクシュアルであることによって周囲の話についていけなかったり、誤解を受けたりして嫌な気持ちになることもあるそうだ。
ではアセクシュアルの人にはどう接したらいいのだろうか? 本書は「周囲の人にお願いしたいこと」としてこう述べている。
通常のセックスが幸福に不可欠ではないこと、セラピーや治療が必要ではないこと、私たちが壊れているわけではないことを理解してほしいのです。(中略)自分が存在していないような気持ちにさせられるネガティブな批判と、私たちは闘っていきたいのです。
アセクシュアルの人は数が少なく、支え合う仲間になかなか出会うことができない。よって自分たちだけでなく、ほかの人たちにも理解してほしいという思いがある。他人に性的魅力を感じないことは、人生にぽっかり穴があいているわけではないという。周囲の人間ができることは、アセクシュアリティを「治すべきもの」と見なさないことだ。自分たちがそれぞれ性的指向を持っているように、彼らは「恋愛やセックスに興味がない」という性的指向で生きているに過ぎないのである。
文=ジョセート