総理大臣視察中の高校を武装勢力が占拠! JKが日本を救う!? 『高校事変』/連載第1回
更新日:2019/6/12
超ベストセラ―作家が放つ衝撃のアクション巨編!
平成最大のテロ事件を起こし死刑となった男の娘・優莉結衣(ゆうり・ゆい)の通う高校に、総理大臣が訪問。
そこに突如武装勢力が侵入し、総理が人質にとられそうになる。
結衣が化学や銃器の知識を使って武装勢力に対抗するが…。
武装勢力の真の目的、そして事件の裏に潜む驚愕の真実とは…?
総理大臣の最後の日課は、午前零時すぎ、私設秘書への電話だった。おやすみ、ひとことだけそう告げる。これで公邸にいる秘書が、番記者らに総理の就寝を伝えてくれる。せわしない一日はいつもこうして終わる。
昭和三十年生まれ、六十四歳の矢幡嘉寿郎(やはた・かずお)総理は毎晩、渋谷区松濤にある私邸に帰宅している。官邸に隣接する公邸にいれば、出勤が楽になるのにとよくいわれる。矢幡は公邸を好まなかった。いつ来客があるかとびくつきながらの熟睡は難しい。結果、終日をぼうっとして過ごす羽目になる。
内閣府は総理の激務をアピールしたがるが、実のところ睡眠時間は充分にあった。国会会期中で朝が早かろうと、官邸への出発は午前時ときまっている。いまのように休会中なら九時半までのんびりできる。五十五歳になる妻の美咲と朝食をとり、NHKニュースを最後まで観る。自分が映っているあいだ、夫婦の会話は途絶える。政局以外の報道になっても、やはり互いに言葉を発しない。子供のいない家庭はずっとこんな感じだった。若いころから老夫婦然としたもの静かな暮らし。総理大臣になって以降も変わる気配すらない。
鏡に向かい身だしなみを整える。銀座英國屋で仕立てたスーツに、美咲の選んだネクタイをあわせる。いまだ五十代の見た目ですね、方々でそんな世辞を受けながら、さすがに老けてきたと自覚する。テレビでは気にならなかったが、肉眼では頭髪の生えぎわの白さが目につく。
これから8K時代でしょう、毎朝の白髪染めを欠かすべきではありませんよ。美咲の勧めで通いだした近所の美容室で、そう忠告を受けたのを思いだす。そのときは商魂たくましいと感じただけだが、的を射たアドバイスだったかもしれない。
妻と使用人に見送られ、いつもどおり玄関をでる。ほの明るい視野が目にやさしい。秋の脆い陽射しが、住宅街をうっすらとオレンジいろに染めあげる。アスファルトにおちた薄い影、明暗の落差も曖昧だった。待機する黒塗りの専用車はセンチュリーからレクサスLSに変わっている。顔なじみのSPには、あえて声をかけない。いかに平和な街なかだろうと、彼らの注意を逸らすべきではなかった。運転手が後部ドアを開け、かしこまってたたずむ。矢幡は車内に乗りこんだ。
助手席の男が振りかえった。眼鏡に細面、三十歳の政務秘書官、池崎芳雄があいさつする。「おはようございます」
「おはよう」矢幡は応じた。「きょうの予定は?」
「十時四分に閣議開始です」池崎は手帳を片手にいった。「二十六分に諮問機関会議、けさは働き方改革実現会議になります。十一時三十四分に憲政記念館へ移動、特別展示見学。十二時五分から官邸で全国知事会会長と懇親会。午後一時三十三分から、選挙の立候補者らと会い、公認証を渡します。二時三十二分から国民栄誉賞授与式。スピーチ原稿も用意しました」
もやっとしたものが胸のうちにひろがる。矢幡はつぶやいた。「国民栄誉賞、やはり田代勇次(たしろ・ゆうじ)君にしておくべきだったか」
「熟慮に熟慮を重ねたうえでの判断です」池崎が眼鏡の眉間を指で押さえた。「いまさら記者の問いかけに迷いなどしめされませぬよう」
そうだな。矢幡はため息とともにうなずいた。
田代勇次は日本に帰化した高校二年生だった。ベトナム籍だったころの名はグエン・ヴァン・チェット。通常、未成年者の帰化は認められないが、彼は日本国内で両親と同居しているため、家族そろって帰化申請が通った。
少年の帰化は日本の国益につながった。あとでわかったことだが、チェットはバドミントンの天才でもあった。彼を受けいれた神奈川県立武蔵小杉高校バドミントン部は、まさしく彼ひとりの活躍により、全国高等学校選抜大会で優勝をおさめた。むろん来年の東京オリンピックでも活躍が期待されている。
田代勇次という日本名が広まるとともに、彼の入学を認めた武蔵小杉高校の寛容さも評判になった。ベトナムからの帰化少年というだけで敬遠する名門校が多かったなか、人権に篤いところをしめした。おかげで貴重な原石を拾った。マスコミは校長らの判断を賞賛した。
ハンサムですなおな人柄、ルックスのよさがメディアで紹介されたせいで、田代勇次の人気はうなぎのぼりだった。流行は極端な世論を生み、常識では考えられない熱に浮かされたような現象につながる。ごく一部から、国民栄誉賞を田代勇次にという声もあがった。じつは国民栄誉賞の決定は、総理大臣に一任されている。だが矢幡は当然、時期尚早と見送った。高校全国大会優勝だけでは授与できない。
ところがある与党議員の勝手な憶測が新聞に載り、物議を醸してしまった。武蔵小杉高校の偏差値は五十二、女子生徒にメイクやアクセサリーもめだつとの報告があった。そのあたりも総理の判断に影響をおよぼしたのではないか、記事内で議員はそうコメントしていた。
大衆はにわかに反発しだした。矢幡総理自身は東大出でもなく、都内私立校を小学校から大学までエスカレーター式に進学したにすぎない。厳しい受験戦争を耐え抜いたわけでもないのに、高校の偏差値を持ちだすのは滑稽だ。マイノリティの意見にすぎないと思いきや、意外にも野党ばかりか与党支持者までが同調し始めている。
いつしかクルマは井ノ頭通りを走っていた。朝の混雑を眺めながら矢幡はぼやいた。「なにをやっても揚げ足をとられる」
「総裁任期を連続二期六年から、連続三期九年に改正し、総理はいま三期めです。ほかの人間を総理大臣候補に推したがる連中からは、やっかみがあって当然でしょう」
「治安が守られている国でよかったな。吞気な自宅通勤も許されるんだから」
矢幡は池崎と笑いあった。微妙な問題発言はすぐ槍玉にあがる。軽口をたたけるのも車内ぐらいだった。
総理専用車は防弾ガラス仕様だと、まことしやかに喧伝される。現実にはロケット弾を食らえばひとたまりもない、そんな実情をきかされていた。そもそも防弾ガラスとは、被弾時にプラスチック膜が衝撃を拡散するにすぎない。確実に遮断できるのは小口径の弾数発にかぎられる。どの国の首脳も事実を把握しながら、けっして口外しない。当然といえば当然だった。このクルマにおいて、特殊装備と公言できるのは、せいぜいLED光源の青灯ぐらいだろう。
官邸まで首都高速三号渋谷線ではなく、一般道を利用する。遠隔操作で信号を青に変えたりはしない。そんな処置は緊急時のみだ。毎朝ルートが変わるのに、ラッシュ時間帯の複雑な制御など可能なはずがなかった。制限速度も守られる。それでも毎朝十五分ほどで、難なく走破できる。永田町二丁目三番一号の総理官邸には、いつも予定時刻に到着する。
地上五階、地下一階の鉄骨鉄筋コンクリート造。ガラス張りを強調した瀟洒なデザインだが、すっかり見慣れたいまは新鮮さもない。傾斜地に建っているため、東に面する正面玄関は三階だった。おかげで記者クラブのある一階を通らずにすむ。むろん玄関を入ると、そこには報道陣が詰めかけているのだが、彼らの巣窟を抜けるよりはましだった。
組閣時、閣僚がそろって記念撮影に臨むのは、ここから二階へ下りる階段だ。朝方はそちらに向かうことがない。矢幡はいつものように四階へと足を運んだ。大臣が一堂に会する定例閣議は、火曜と金曜。きょうは火曜だった。
国会会期中なら、国会議事堂内の閣議室を使う。その場合、前室で大臣らとソファに並んで座り、報道陣に写真を撮らせる。テレビのニュースでは、それが閣議のもようと紹介される。事実はちがう。本当の閣議は非公開だった。官邸においてもそれは変わらない。マスコミをシャットアウトしたうえで、閣議室の巨大な円卓を囲む。
大臣以外の出席者となると、三人の官房副長官のほか、内閣法制局長官のみ。彼らは円卓から離れた長方形のテーブルにつき、議案や人事について読みあげる。たいてい議論し尽くされたことばかりなので、異論は唱えられない。閣僚らが書類に毛筆で署名していく。定例閣議とはそれだけの行事でしかない。
閣議室をあとにし、淡々と職務をこなす。昼食すら息抜きにはならない、懇親会を兼ねている。午後には来日中のアメリカ国務副長官が訪問。次いで日銀総裁を迎え、月例経済報告等に関する関係閣僚会議。夕方五時すぎに散会した。
官邸の総理執務室に戻ると、臼井庄司文部科学大臣がまっていた。六人の秘書官とともに面会する。
昭和四十年生まれ、五十四歳の臼井は、矢幡の目にずいぶん若々しく映った。むろん白髪を黒く染めているのは同じだが、毛の量がちがう。肌艶もいい。働き方改革では教員の残業が問題視されているが、大臣はすこぶる健康のようだった。
会議よりは気さくな雰囲気のなか、臼井大臣が軽い口調でいった。「リオのオリンピック閉会式で、矢幡総理がマリオの扮装をなさったとき、任天堂の許可を得ておいてよかった。渋谷でマリオカートらしきものをレンタルしてる中国人業者が、総理もやってたからと言いわけする事態を防げました」