ローレンス・ブロック「オートマットの秋」――愛する人を失い、ある計画を試みようとする女…『短編画廊 絵から生まれた17の物語』③
公開日:2019/6/21
ローレンス・ブロック「オートマットの秋」(訳:田口俊樹)
ミステリー小説家ローレンス・ブロックの「オートマットの秋」は、2017 年 MWA 賞最優秀短篇賞受賞作。自動販売機を利用したレストラン、オートマットで物憂げにコーヒーをすする女性。ローレンス・ブロックは、愛する人を失い、とある計画を試みようとする女性の物語を描き出す。物語は、最初「きみ」という二人称で紡がれ始め、読者は否が応でも物語の中に引きずり込まれる。なかなか明かされない彼女の計画。クライマックスにかけてはまるでトリックが明かされた時のような快感が。一度読んだら、この絵画にはこの物語しかありえないような気がしてくる。ローレンス・ブロックのストーリーテリングに圧倒させられる作品。
帽子が決め手になる。
着るものを慎重に選び、その場に求められるより少しだけ洒落た恰好をすれば、それで気分がよくなる。四十二丁目通りのカフェテリアにはいるのに、帽子とコートがあれば、まわりの眼にはレディに映る。たぶんきみは〈ロンシャン〉よりこの店のコーヒーが気に入っているのだろう。それとも豆のスープか。この店の豆のスープは〈デルモニコズ〉の同じ料理にも引けを取らない。
〈ホーン&ハーダート〉の両替窓口にきみが向かうのは、何もみじめったらしい理由からではない。一ドル札を取り出そうと、ワニ革のハンドバッグに手を入れるきみを見て、誰もそんなことは思わない。一瞬たりとも。
窓口でくずされた五セント硬貨を受け取る。五枚まとまったものが四つ。わざわざ枚数を数えることはない。両替窓口の店員は一日じゅうこればかりやっているのだから。一ドル札を受け取り、五セント硬貨を渡すという仕事を。ここは自販機食堂(オートマット)だ。窓口のこの気の毒な女の子は機械人形(オートマトン)と変わらない。
五セント硬貨を受け取ったら、きみは献立を考える。料理を選び、五セント硬貨を投入口に入れ、ハンドルをまわし、小窓を開け、料理を取り出す。五セント硬貨一枚でコーヒー一杯が手にはいる。もう三枚でボウルにはいった伝説の豆のスープを買い、もう一枚でシード・ロールパン一個とバター一切れののった小皿も買う。
そして、どこまでも慎重な動きで、トレイをカウンターに持っていくと、金属の仕切りにナイフとフォークとスプーンが分けて置かれたまえに立つ。
坐りたい席は店にはいったときから決めてある。そこに誰かが坐っていることももちろんあるが、今日は誰も坐っていない。ここまでけっこう時間がかかる。きみはようやくその席まで自分のトレイを持っていく。
彼女はゆっくり食べた。豆のスープを一匙ずつ味わった。そして、五セントを節約するのに、スープをボウルではなくカップにしなかったことを喜んだ。もっとも、節約することを考えなかったわけではないが。五セントというのは大した額ではない。それでも一日に二回節約すれば、そう、ひと月で三ドルになる。もっと増やすこともできる。一年なら三十六ドル五十セント。これはなかなかの額だ。
しかし、ああ、彼女には節約することができない。いや、できなくはない。実際のところ、節約する必要がある。それでも食事のこととなると無理だ。アルフレッドはそのことをなんて言ってたっけ?
キシュケ・ゲルト――お腹のお金。自分の胃袋をだまして節約したお金。アルフレッドがこのことばを口にするのが今も聞こえた。眼にも見えた。彼が唇を歪めてそう言うところが。
五セントを余分に使えればそれはいいに決まっている。
と言って、彼女はアルフレッドに軽蔑されることを恐れていたわけではなかった。彼女が何を食べ、食べものにいくら使うか。そういうことを知ることも気にかけることも、彼にはもうできないのだから。
彼の知覚力が彼の人生の終わりとともに消滅していなければ、話は別だが。彼女はそんなことを時々考える。それを希望を持って考えることもあれば、恐怖を覚えながら考えることもある。彼のあの繊細な思考、あの鋭い知性、あの皮肉なユーモア。彼の肉体はすべて土に還っても、それらは存在のどこかの地平に残っている、などということはないだろうか?
彼女も本気でそんなことを考えているわけではない。それでも時々、そんな考えが彼女を喜ばせる。彼に話しかけたりもする。実際に声に出してみることも。誰にも邪魔されない頭の中で話しかけるほうがずっと多いが。人生で彼と共有できなかったものなど彼女にはほとんどなかったが、彼が死んだ今ではもう、会話するときに感じていたほんのわずかな恥ずかしさもなくなっていた。今はなんでも彼に話せた。気が向けば、彼の答を自分でつくることもできた。実際にその答が聞こえたかのように思うこともあった。
彼の答があまりに早く聞こえ、しかもそれが手厳しく率直な答だと、いったいどこから聞こえてくるのかと、自ら驚く。今のこの答はほんとうにわたしがつくったのだろうか? それとも、わたしの人生からいなくなっても彼の存在は少しも薄れていないということなのだろうか?
たぶん、彼は眼には見えないところに浮いているのだろう。実体のない守護天使。わたしを見下ろして、わたしを守ってくれているのだろう。
そんなことを思うと、すぐにまた彼の声が聞こえてくる。見守ってるだけだよ、愛しい人。自分の世話はやっぱり自分でやらないと。
彼女はロールパンをふたつに割ると、小ぶりのナイフでバターを塗った。そして、バターを塗ったロールパンを皿に置くと、スプーンを手に取ってスープを一口飲んだ。もう一口飲んでからロールパンを食べた。
ゆっくり咀嚼しながら、ゆっくり店内を見まわした。テーブルは半分ちょっとが埋まっていた。こっちに女性がふたり、あっちに男性がふたり。夫婦らしい男女。もう一組の男女ははしゃぎながらも同時に落ち着かないふうだった。初めてのデートか、あるいは二回目か。
彼らの物語を勝手につくって愉しむこともできなくはなかった。が、彼女は注意をほかに移した。
ほかのテーブルはひとり客ばかりだった。女性より男性が多く、そのほとんどが新聞を読んでいた。外にいるよりここのほうがいいのだろう。市はますます秋が深まり、ハドソン川から風が吹いている。コーヒーを飲みながら、それぞれ〈デイリー・ニューズ〉か〈デイリー・ミラー〉を読んで時間をつぶしている……