想像以上に天才的。まさかの文学的。あなたの知らない数学者の美しき日常にようこそ
公開日:2019/6/19
「数学者」と聞いてどんなイメージを持ちますか? 受験勉強でやった数学は正直なところ現実世界と何がどのように関係しているのか分からない、と感じていた人は多かったでしょう。こんなことを専門的にやっている数学者とは特殊な人で、一人で退屈な数式を頭の中で考えている孤独な人に違いない、というイメージを持っているかもしれません。
ところがそんな数学者の印象を大きく変える本があります。『世にも美しき数学者たちの日常』(二宮敦人/幻冬舎)です。本書は大学教授や数学教室の講師、芸人、中学生など数学に魅せられた11人を取材して書いたノンフィクション。この本を読むと、数学者たちは想像以上に天才的で、しかも文学的な生き様を垣間見ることができます。
特に印象深かったのは、数学者の数学に対するスタンスです。日本では、文系と理系で人を分類する傾向がありますが、本書に登場する13歳で数学のおもしろさに目覚めた中学生にはそうした発想がないようです。
英語で論文を書くときに冠詞をつけるかつけないか、theをつけるかつけないか、そういうことで困っている人もいるそうですけれど。そんなところは全然本質的じゃなくて。重要なのは、自分の伝えたいことを細かく区切っていって、数学的な言葉で言えばある種、組み合わせ論的な手法によって文章を再構成して、相手に伝えることなんですよね。(中略)大切なのはむしろ言語を完全に忘却した状態で、表現しようとしている論理構造を適切に分析し、整理すること
彼は、楽譜を見ることなくピアノを弾き、音の美しさに惹かれてフィンランド語を学ぶような少年です。彼のこうした姿勢には文系や理系といった枠組みを越えた広い世界を感じます。むしろ、2つに分けて物事を考えることは世界を狭めてしまうのではないか、という気持ちにもなります。
また、文系出身者の中には、答えが1つしかない数学にはおもしろみを感じない、という人もいるかもしれません。ところが、この本を読むとその思考は不十分だったと感じるはずです。なぜなら、数学は私たちの身の回りのいろんなところに隠れているものだからです。みそ汁の対流、観光地での橋の渡り方、飲み物に砂糖を混ぜる動きなど。数学の答えが1つなのは、人に押し付けるためではなく価値観の異なる者同士が共通の答えを見出すためだ、という別の見方を得ることができます。
古くから多民族で暮らしてきた歴史のある欧米では、誰が読んでも解釈が同じになるようなルール作りを重視してきたといいます。そういわれてみると、日々海外ニュースなどを見ていても、彼らがほとんど同一民族で暮らしてきた日本人とは異なる感覚を持っているのを感じるでしょう。その意味では、同じ言語であっても読み手によって複数の解釈が可能になる文章よりも、数学の方が異なるバックグラウンドを持つ人とのコミュニケーション手段として適しているのかもしれません。
かつて、芥川龍之介は「小説家になりたいなら数学を勉強しないといけない」という趣旨の発言をしたそうです。以前それを知ったとき、この発言は、優れた小説にはしっかりとした論理構造があるという意味だと思いました。しかし、この本を読んだ後にこの言葉を思い出すと、別の意味合いがあるのではないかと思えてきます。数学は世の中のいろんなものを組み合わせて1つの世界を構築するもの。小説を書くにも同じような能力が必要だ、という趣旨なのかもしれません。
数学が苦手なそこのあなた。本書で、文学的で甘美な数学の世界をのぞいてみませんか。
文=いづつえり