サッカーで出会う、ヨーロッパの街と地元の穴場グルメの幸せな関係
公開日:2019/6/22
是非は置いといて――偶然、拾ったスマホの画像を見てしまったら、そこには知らない外国人がたくさん写っていた。皆、楽しそうに酒を飲み、美味そうな料理を食べている。動画には、大盛り上がりの男たちが肩を組んで歌う姿がある。
そのどれにも共通しているのが――フットボール。ある人はユニフォームをまとい、ある人はマフラーを掲げ、店の壁にはご当地のクラブチームのフラッグや写真が貼ってある。
インスタ映えするようなものは何も写っていないが、皆が群がる映えスポットなんかよりずっと魅力的で羨ましくなってしまうような、「ヨーロッパの街の素顔」がそこにはあった。
『欧州 旅するフットボール』(豊福晋/双葉社)は、そういう本だ。
バルセロナ在住の日本人サッカーライター・豊福晋さんが、雑誌等で発表してきた「サッカー紀行」文をまとめたのが、本書である。サッカーの本ではあるが、その主役は試合や選手ではない。「フットボールのある街」そのものが主役なのだ。
ともすると、著者の顔や狙いが見えてしまうような、感動への筋道を立ててケレン味ばかりが濃い、湿気の多い日本のサッカー本と比べ、本書は実に淡白だ。
数ページほどのコラムから浮かび上がるのは書き手の顔や主張ではなく、サッカーのある街のなにげない瞬間――名もなき客や住人たちの言葉、パエリアやパスタからのぼる香ばしい湯気、ビールの香り、バルやカフェの喧騒。
気がつくと、店内のマンUファンとソシエダ・ファンが一緒に歌っていた。(中略)知らない者同士がつながる瞬間。そんな風景を見るために、人は見知らぬ遠くの場所までサッカーを追いかけていくのだ。
名前も知らない、揺れるサポーターたちを見ながら、店主はその日数百杯目の林檎酒を静かに注ぎ続けていた。(「そこにしかない風景」より)
主観でありながら、特定の個人の存在を感じさせない描写は逆に、読者をその世界へ引き込んでいく。カメラマンではなく、カメラ本体が語りかけてくるような、どこか乾いた文章が、「フットボールのある街と人」を眼の前に浮かび上がらせる。
そして、どの文章からも感じるのは――寂しさ、切なさ。
欧州には、どんな小さな街にもフットボールクラブがあり、それが世界的に有名なリーグであろうと、地方リーグであろうと、人々は「おらが街のクラブ」を応援する。結果に一喜一憂し、次の試合まで、酒場で道端でフットボール談義を繰り広げる。
どんなにきらめきを持った選手やチームでも、永遠に続くことはなく、時の移ろいとともに、入れ替わり、盛衰を繰り返す。そして、栄光の瞬間に立ち会ったサポーターや街の人々もまた、永遠にはそこにはいられない。
「僕らがエウロパに入るときに教えられることがあるんです。(中略)1部リーグ創設直後の栄光の時代の話です。戦前の話ですから、当時を実際に見た人はほとんどいません。それでも1920年代の話は10代の若手にまでしっかりと伝えられるんです」(「サグラダ・ファミリアと4部リーグのトルティージャ」より)
街に残るのは「語り継がれたクラブの歴史」「あの日、あの試合の記憶」。たとえクラブチームがなくなっても、街からフットボールが消えることはない。「フットボール」だけが永遠であり、熱狂する人々は通り過ぎる存在でしかないのだ。
だから、フットボールは寂しく、切ない。
それが、フットボールの魅力の正体なのだと、私は思う。
イギリスのジャーナリスト、サイモン・クーパーを思わせる豊福さんのコラムを読んで、ようやく日本にも「本場のフットボールライター」が現れたのだと、私は嬉しくなった。クーパーほど皮肉混じりではないのは、豊福さんの優しさだ。
豊福さんの著書には、本書以外にも、幼少時代のメッシのチームメイトたちのその後を追った『カンプノウの灯火 メッシになれなかった少年たち』(洋泉社)があるが、こちらも併せて読むと、より豊福さんの視点の置き所がわかるだろう。
そして、本書のもうひとつの主役が「グルメ」だ。普通の観光旅行に飽きてしまったあなたには、少しディープでネイティブな情報をオススメしたい。
(マドリードの)マヨール広場の裏にキノコを売りにする飲み屋「メゾン・チャンピニオン」がある。肉厚のマッシュルームにチョリソーをひとかけら乗せ、その上に濃いオリーブオイルを振りかけ鉄板でじゅっと焼く。(「航海士が運ぶ夢」より)
●イタリア
トスカーナ州、中央広場近くの「トラットリア・マリオ」のビステッカ、チマトーリ広場の「ランティコ・トリッパイオ」のランプレドット(モツ煮込みサンド)、フィレンツェで一番のパニーノの店「イ・フラテッリーニ」の生サルシッチャのパニーノ。
●ポルトガル
ポルティマオの食堂「タベルナ・ダ・マレ」の魚料理。
●スペイン
セビージャの大聖堂近くの老舗バル「ボデガ・サンタクルス」、バスク地方ビルバオのバル「ラ・ビーニャ・デル・エンサンチェ」、ガルシア・リベロ通りの「プエルティート」ではカンタブリアの海の牡蠣。バスク名物のチュレトンを食べたいなら「アサドール・ケルン」へ行けばいい。
この店で焼き加減を聞かれたことは一度もない。肉を焼くことにその生涯のほとんどを捧げてきた熟練の職人が、繊細な豪快さで火を通した美しい赤身肉が運ばれてくる。(「バスクを愉しむ。」より)
ガイドブックには載っていないけれど、同じ街へ取材で通い、サッカーファンと触れ合うことで知り得た、街の雰囲気やグルメスポット、人々の魅力が、本書には溢れている。
欧州でフットボールのある場所へ向かうと、想像すらできなかった出会いがある。
私はこれから、欧州へ向かう飛行機に乗るところだ。1998年フランスワールドカップの際に、急行列車の車内で出会い、20年来の親友となったセルビア人に会うために。
時間があれば、豊福さんが訪れたという、セルビアの首都ベオグラードのカフェバー「Leila」にも行ってみたいと思っている。
文=水陶マコト