蟲番との黄昏どきの面接。そしてついに時空を超える…! 絶対に泣けるダークファンタジー/『黄昏出張所』⑤
公開日:2019/6/23
もし、人生をリセットできるなら――。不遇の青年・遠野ハジメ。彼の目の前に現れたのは、歴史上の人物の意識を喰い、過去を変えてしまう「蟲」から歴史を守る「蟲番」だった。蟲番からの3つのミッションに成功し、ハジメは報酬をもらえるのか――? 感涙のラストが待つ、ダーク・ファンタジー!
公園の前に立つ。
あの男は現れるのだろうか。空は夕焼けに染まり、黄昏が近づいて来る。朝見えたのはいったいなんだったのか。
(オレがおかしくなっているか、そうでもないのか)
それがこれからはっきりする筈だ。
果たして彼は実在するのだろうか。確かめようと思っていた。公園はまだ子供連れや老人や学生などが歩いている。黄昏までには減るだろう。
「お母さん、お腹すいた」
「晩ご飯はお父さんが帰ってきてからね」
そんな会話をしながら母と子が公園から帰っていく。昨日と同じような風景だ。
(親なんて簡単に裏切るんだぞ)
子供に教えてやりたかった。
だが、きっとあの子の親は違うのだろう。人は親から生まれる。驚異的な偶然の産物。ならば、自分には他の人生などなかったのだ。
「今日の日本史は最悪だったな」
「わかる、江田だろ。あいつすぐハイテンションで自分の思想押しつけてくるから気持ち悪いんだよな。それ勉強じゃなくて洗脳だろって」
高校生二人が通り過ぎていった。
(そういえば歴史関係の修復だったな)
高校の時、日本史を選択しなかった。できるだろうか。急に心配になってきた。
オレンジ色の空は少しずつ暗さを増していって、夜に変わろうとしていた。公園の中に一歩踏み込み、ハジメは約束のベンチに座った。
変化はない。
まだ明るいからなのか。本当に幻だったのか。
心臓の重い音が体の中から耳に伝わってきた。自分は期待している。幻を見たんじゃないと思いたかった。
世の中さほど景気は悪くない。就職さえできればとは思うものの、実際働いて感じたことは自分のコミュニケーション能力の低さだった。同僚にはモラハラ上司の懐に飛び込んで味方につけるだけの力のある者もいたのだ。
ハジメは人が怖かった。怖がられていることを他者はなんとなく感じ取る。子供ならともかく、成人した男に誰も手は差し伸べてくれない。
黄昏に会いましょう──あの男は最後にそう言った。現れるのか。
どんな莫迦みたいなことでもすがりつきたかった。こんな弱い奴だから、詐欺の片棒担ごうなんて思ったのだ。年寄りですら騙せないのだ。
ベンチに座り、うつむいた。
「……来るわけないか」
汚れたスニーカーのつま先を見つめながら、ハジメは待った。辺りが暗くなっていくのが伝わってくる。
「お待たせしました。どうぞ」
その声に顔を上げると、ハジメは昨日の長椅子に座っていた。田舎の古い村役場のような小さな建物にいる。
「印鑑はお持ちですか」
カウンターの向こうにあの職員がいた。やはり彼しかいない。
「はい、ここに」
「おかけになってください。仕事についてある程度説明させていただきます」
採用されたと思っていいのだろうか。ハジメは職員の前に座った。
「一人……ですか」
「はい。原則一人採用です」
「いえ、あの、この出張所には他には人がいないようなので」
「ああ、そういうことでしたか。はい、ここの職員は私だけです」
思い切ってもう少し突っ込んで訊いてみることにした。
「あの……これはもしかして心霊現象などではないですよね?」
笑われるかと思ったが、職員の表情はぴくりとも動かなかった。
「今朝方もここで見たんです。職員さん一人で立っていて……消えました」
「見えたのですか。そうですね、かはたれ時ならそれもありうる」
……カワタレドキ?
「夜と朝の狭間です」
「あ、じゃ、マガトキってのは?」
「夕焼けの赤みが消えた夜の手前の一瞬。西の空が藍色に染まっているとき。うちではそれを禍時と言います。ちなみに私は幽霊ではありません。時ノ庁歴史修復官、蟲番です」
「ムシバン……?」
カブト虫の幼虫でも飼育しているのだろうか。いや、虫喰いによる破損とか言っていたから、そのことだろうか。
「じゃ、オレは虫番さんの助手ということでしょうか」
「いえ、仕事はほとんど一人でやってもらいます」
簡単な仕事なのだろうか。文化財保護じゃなくて害虫駆除だったのかもしれない。
「具体的な内容は?」
「現地に行ってみればわかりますが、いわば別の人生を体験することです。それでは私が案内します」
急かされてハジメは慌てた。このあと工事現場のバイトが入っている。
「え、あの、別の人生って? 待って、オレ今夜工事のバイトがあって」
「問題ありません。すぐ戻ってきますから」
今日は軽い下見だけということだろうか。別の人生とはそれほど変わった仕事という意味なのか。
「待遇とか報酬とかの話は?」
「三つの仕事を終えたところで報酬が得られます。それは臨時職員の裁量次第ということです──黄昏は短い。出発いたします」
この近くなのか。慌てるハジメを後目に蟲番は立ち上がった。座っているところしか見ていないので気付かなかったが、けっこう長身だ。百七十あるかないかのハジメより十センチ近くは高いだろう。
「む……虫番さん、どこへ?」
「注意しておきますが、虫が三つある蟲です」
虫じゃなくて、蟲? それってかなりおどろおどろしい漢字ではなかろうか。ツッコミを入れる前に額をコツンとされたような感覚があった。体が浮く。
(地震?)
そう思ったが、浮遊感は一瞬だけだった。
●中村 ふみ:
秋田県生まれ。2010年『裏閻魔』で第1回ゴールデン・エレファント賞大賞を受賞し、デビュー。他の著作に、『魔女か天女か』『冬青寺奇譚帖』『なぞとき紙芝居』『夜見師』『死神憑きの浮世堂』『天下四国』シリーズなどがある。