“いないけど、幸せ”に寄り添った子供を持たない5つの“家族”の物語『いるいないみらい』窪 美澄インタビュー

小説・エッセイ

公開日:2019/7/6

 ふくふく太った夫婦は、行列のできる近所のパン屋のメロンパンをふくふくと頬張る。“十分幸せじゃないか”。冒頭の一編「1DKとメロンパン」の主人公、35歳の知佳は心からそう思っている。ささやかな借り住まいでも、夫の年収が自分の半分ほどでも、それから――。

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著者 窪 美澄さん

窪 美澄
くぼ・みすみ●1965年、東京都生まれ。2009年「ミクマリ」で女による女のためのR-18文学賞大賞を受賞。受賞作を所収した『ふがいない僕は空を見た』で山本周五郎賞、12年『晴天の迷いクジラ』で山田風太郎賞受賞。著作に『さよなら、ニルヴァーナ』『やめるときも、すこやかなるときも』『じっと手を見る』『トリニティ』など多数。

 

「この短編集のなかにいる人たちは、今の段階で、わりと満ち足りている人が多いですね。何か事情を抱えているということのない、いわゆる“そこにいる人”たち。私の書く小説に多くいただく感想でもある“心抉るもの”も、何か訳ありの登場人物も、今回はなしにしようと書き進めていきました」

「すごく書きやすかった」。執筆中、窪さんが感じていたという気持ち良さは、収められた5編のなかの人々、各々が抱く、“今いるところがきっと今の自分の正解なんだろう”という潔さに続いている気がする。5編を包む題名が指し示すものも含めて。

「5年前、上梓した短編集『水やりはいつも深夜だけど』では、子供のいるごく普通の家族をテーマに書いたのですが、本作では、妊娠、出産を含め、“それ以前”のところにいる人々に光を当てました。たとえば子供を持っていないカップル、子供を持てなかった、あるいは持つことを考えなかったという人々に」

 子供が嫌いなわけではないが、今の生活を乱されることが嫌な知佳。けれど子供を持つ人生か、持たない人生か、選ぶ期限の迫ってきた自分の年齢には、ぐらつく。妹の妊娠、母からの“早く早く”。でも彼女は小気味よいほど淡々としている。

「子供のいる方が幸せ、というマウントの物語にはしたくなかったんです。いても、いなくても、そして“いないけど幸せ”ということを書きたかった。知佳のような人が出て来たのはそのせいでしょうね」

 だが妹の出産を機に夫の様子が変わり、対峙する“いるいないみらい”。妻の発する“妊活”という言葉の響きに慣れない「無花果のレジデンス」の会社員・睦生もそうだ。食物も、セックスも、意識のすべてが子作りへ集約される日々。ついに本格的な不妊治療へ踏み込んだが……。

「取材もさせていただいたのですが、やっぱり相当にデリケートな話なんです。世間では、女性の不妊生活のつらさって、わりと声高に語られるけど、男性側はまだ広まっていない気がして。むしろ口を閉ざしている感じがする。口を閉ざしてしまうほどに、彼らにとってつらいことなんじゃないかなと」

書いてみたかったのは大人のフラットな気持ち

「書くときは、“その人になって、なって”考える」。殊に想像しかできない男性の気持ちは。本作に登場する男性たちは、睦生をはじめ、どこか可愛らしい。ちょっと情けないんじゃないか?と言ってしまえばそれまでだけど、その情けなさから心に落ちてくるものに安堵する。“いいんだよ、みんなそれぞれだから”と。真ん中の一編では、それが軽やかに語られる。「私は子どもが大嫌い」という、語呂のいい題名で。

「ちょっと言ってみたかったんです(笑)。“子供が大嫌い”なんて、なかなか言えない世知辛い世の中じゃないですか。よくSNSで、子供の写真が、ばぁーっとあがってきますよね。あれ、過剰すぎると“ちょっとね”と思うところがありまして。子供がいることが良き、とする世間にもちょっとNOを突きつけてみたかった」

 老いた両親が経営するマンションの最上階に住む36歳の独身OL・茂斗子も、友人からのLINEにげんなりしている。バンバン送られてくる赤ん坊の写真になんて返せばいいのか? 不妊治療をしている友人の愚痴にどう応えればいいのか? 自分は子供が大嫌いなのに。

「“嫌い”というより、皆がそんなに子供に興味があるわけじゃないという気持ちをここでは書きたかったんです。困っている子連れのお母さんがいたら、みんな手伝うだろうけど、それは子供が大好き!だから、というものでもない。子供に対する、もうちょっとフラットな大人の気持ちを書いてみたかったんです」

 少子化による、産めよ、増やせよ、の声なき声が高まるなか、世間で一番、つつかれるのは茂斗子のような立場の人だ。しかし彼女はどこ吹く風。茂斗子には、ぶれない想いがあるから。

「こういうキャラクターを書いたのは初めてのこと。楽しかったですね。この話には世の中を茶化す気持ちもちょっと入れたかった。茂斗子と同僚の会話に出てくる、何歳になったら結婚率がどうのっていう扇情的な話題、テレビ番組などでよくやっていますよね。そんなこと言っても、どうしようもないのにって思うんですけど、焦る人は焦ってしまう。でも意外と多くの人が、茂斗子みたいな反応なんじゃないかなって気がする。“ふーん”みたいな(笑)」

 そこにふと現れるのが、ひとりの子供。その報われない境遇の子を通し、茂斗子のなかに、これまでになかった温度が入り込む。

「子供ってなかなか自分からは“つらい”と言えないじゃないですか。そうした子たちを可視化するのも小説の仕事であると私は思っているんです。悩んでいるとか、こんな目に遭っているという人たちを認めるために書くものなんじゃないかと。“あなたはそこにいていいんだよ”って」

いろんなことが重なって“今”なのだから

“生きていたらあのくらいの年だろう”。23年前、生後3カ月の娘を亡くし、定年が見えてきた今も、その姿を追い求めてしまう自分に戸惑う会社員の勝俣。その1編は、どうしても書きたかった話だという。

「同じ経験をされた方はたくさんいらっしゃると思うのですが、私、最初の子供を亡くしているんですね。その経験と想いを可視化したかったんです。同年代の主人公を通し、そういう人もいるよって」

 娘の死が原因となり、離婚し、ずっとひとりで暮らす彼が、夜の公園で偶然出会った不思議な風俗嬢。彼女はそこでほおずきを鳴らしていた。

「ほおずきは鳴らすようにするためには手間もかかるし、そのわりに良い音が出るわけでもない。私が覚えているのは、幼い日、祖母か母が、茫然とほおずきを鳴らしていた姿なんです。それがあんまり幸せそうには見えなくて」

「その記憶から、人には言えない気持ちや事情が、ほおずきに重ねられたのかもしれない」。それは、書き終えてから気付いたことだという。施設で育った主人公が、必死で技術を身に付け、良き伴侶を得、2人で念願のパン屋を開き、その成功に幸せを噛みしめ……という年月を描いた最後の1編にも、今、43歳となった女性の、人には言えない気持ちが込められている。なぜ子供を持てなかったのか、と言われても……と。

「生物学的に言えば、子供は早く産んだ方がいいのかもしれない。でも社会にいる女性は、いろんな要因を受けて産めないということがあるわけですよね。仕事、お金、周りの状況……いろんなことが重なって“今”なのに、すべてその人自身の責任みたいになってしまっている風潮を感じるんです。いや、いや、そうではないでしょう、ということを、ひとりの女性が重ねていく年月のなかで淡々と描きたかった」

 機微に触れる、というのは、きっとこういうことなのだろう。そんな5つの物語はセンシティブなテーマを孕みつつも、誰も傷つけぬ、心穏やかなところへ連れていってくれる。

「さらっと読んでいただけたら。“あ、これ、わかる”という気持ちが、ぱっと光って飛び出してくるような一冊かもしれません」

取材・文:河村道子 写真:干川 修