「人殺しは何を考えているのか?」当事者に実際聞いてみた、危険思想の本質
公開日:2019/7/4
TBSの人気番組「クレイジージャーニー」で、「危険地帯ジャーナリスト」として活躍する丸山ゴンザレスは、これまで世界中のさまざまな地域の取材を通じて幾多の「違う世界」を目にしてきた。『世界の危険思想』(丸山ゴンザレス/光文社)では、危険な物事の中心に“台風の目”のようにポッカリと佇んでいる「不可解さ」について徹底的に掘り下げていく1冊だ。
著者は冒頭で「人は人をなぜ殺すのか?」という疑問を読み手に投げかける。人殺しは海外の危険地帯だけで起こっているわけではない。日本国内でもニュースを見ればそのような疑問を抱いてしまうような事件はしばしば起こっている。しかし、一般の私たちが“人殺しの素顔”を知ることができる機会は稀だ。本書で紹介されているジャマイカでの取材録からは、著者が目の前の元殺し屋からその「わからなさ」を懸命にひもとこうとしている姿がうかがえる。
“彼にとって殺すことに罪悪感はあるだろうが、それ以上に生きることに必死なんだと思う。衣食足りて初めて人生を見つめることになるのだろう。私の見た限りではあるが、彼の置かれている立場は、殺すことぐらいしかできる仕事がないと追い詰められた感じがした。”
取材中に発生したメキシコの麻薬組織とのやりとりや、フィリピンのギャング闘争の内情など、異国の危険な裏社会に潜入するような表面上のルポルタージュだけでなく、危険に対して人々がなんとなく抱えている「潜在的な不可解さ」についても本書は検証を進めていく。
例えば、犯罪者の温床と呼ばれているようなスラム街でも、治安がどこでも必ず悪いというわけではなく、時間帯などに細心の注意をすれば問題なく行動できる場合も多いそうだ。しかし、スラムという環境を100%疑ってかかった状態でそこに足を踏み入れれば、当然そこにいる全ての人は「スラムの人」と括られ、そこの誰かに常に自分が狙われているように感じてしまうだろう。ひとつの偏見があるわけだ。
欧米では、なくならないテロ行為の末にイスラムフォビア(イスラム恐怖症)が社会問題にもなっている。私たちの周りでも、「高齢だから」「引きこもりだったから」「◯◯大学の学生」のように、過去に起こった特定の事件のみで、ほかの人々もあたかも関連しているかのような扱いがなされかねない危険性を感じたことはあるだろう。
難局を越えてきた百戦錬磨の著者にとっても、こうした「心の靄(もや)」を取り除く過程は常に必須だという。「偏見」を取り払い、客観的な根拠にもとづいた「知見」に進化させることを、著者自身くり返して実行してきたのだ。
わからないことをきちんと掘り下げるには、時間と勇気が必要だ。ネットでもリアル社会でも、自分の意見やスタンスがぼやけていることはなかなか許容されにくい世の中だが、著者はタイで人気があるという元囚人映画キャストに取材した経験から、日本社会にはもう少し「曖昧さ」があってよいのではと指摘する。
“日本にはもう少しでいいので、曖昧なままの状況を許す心が必要なんじゃないだろうか。許せないとか、拒絶するという考え方は、世界で一番危ない考え方につながりかねないと思うのだ。”
人が普通の旅行では訪れないような場所への旅を数多く経験してきた著者は、単に人の不可解さを「遠い異世界」として提示するのではなく、私たちが物事を考える手がかりとして活用する術を読者に示してくれるのだ。
文=神保慶政