“AiLARA”ビール瓶投擲事件の真相!それは中上健次の「ボブ・マーリーをかけろよ、コージ!」のひと言が始まりだった
公開日:2019/7/5
【謝罪座談会】中上紀×「AiLARA」DJコージ・古田そのみ・泉美木蘭
それは唐突に始まった。
梁石日との共著『タクシーガール』を上梓したばかりの作家・中上紀は、あるパーティーで親しい人たちと談笑していた。するとその場にいた人から「そういえば中上健次さん、新宿二丁目にある『AiLARA(アイララ)』で……」という話が飛び出した。父で作家の中上健次が新宿界隈の酒場という酒場で喧嘩をしまくっていた話は知っていたが、「AiLARA」の名はこれまでに聞いたことがない。中上が「父が何かしました?」と聞くと「ビール瓶を投げて、お店の人にケガをさせたことがあるらしいよ」と…。初めてその話を耳にした中上は「それはなんとしてでも謝りに行きたい!」という強い思いを抱いた。
程なくして、中上はようやく現場となった「AiLARA」の扉を開いた……
■中上健次は「バッファロー・ソルジャー」がかかっていればご機嫌だった
中上紀氏(以下、中上):あの、中上健次(※1)がご迷惑おかけしまして申し訳ありません。今日はよろしくお願いします。すごく緊張してます……
笑顔で出迎えてくれたのは「AiLARA」二代目ママの古田そのみ、同店の歴史を紐解いた本『AiLARA「ナジャ」と「アイララ」の半世紀』をまとめた作家の泉美木蘭、そしてビール瓶を投げられた張本人で「AiLARA」の名物DJであるコージ。
DJコージ氏(以下、コージ):今さら来て謝られても(笑)。中上健次さん本人が謝ってくれたので十分ですよ。もともと仲悪いわけじゃないからね。
事の顛末はこうだ。店が閉店した朝方のこと。AiLARAへ飲みに来ていた中上健次はかなり酔っており、店の席にまだ座っていた。そして突然、DJブースにいたコージに「ボブ・マーリーをかけろよ、コージ!」と言うが、店はもう閉店しているので聞き入れてもらえなかった。すると中上はカウンターに置いてあった空のビール瓶を投げた。瓶はクルクルクルと放物線を描いて飛んでいき、とっさのことで逃げられなかったコージの頭に当たった。コージは転倒、何をするんだと言おうと立ち上がると、なんとまさかの2本目が飛んできて、見事おでこに命中してしまった!
古田そのみ氏(以下、古田):コージさんも酔ってるから、血が噴き出してね。しかも派手なアクションで「うわあああ、死ぬううぅ!」なんて言って(笑)。それで慌てて近所の救急病院へ連れて行って。
コージ:5針縫ったから。
中上:すみません……そのとき、父は帰ってしまったんですか?
古田:もう帰っちゃってた(笑)。それで次の日に私が電話したら「申し訳ない、僕が治療費など全部責任持つから」と言ってもらって。
中上:父は酔っ払って家に帰ってきて、母に暴力を振るったりしていたんです。でも次の日、酔いが覚めると後悔するらしく、しゅんとしていました。しかし家でやるだけだったらまだしも、外でもそんなこと……
泉美木蘭(以下、泉美):中上さんがこの界隈でよく喧嘩してたのは有名だったんですよね。
コージ:うん、場所は知らないけど、そういうことを頻繁にやってたことは有名だったみたい。俺は中上さんと仲良かったの。音楽の話も共通してたしね。彼はレゲエ、特にボブ・マーリーが好きで。中上さんはボブ・マーリーの姿勢が好きだったんだ。それで意気投合してたんです。中上さんが来ると、そんなに長い時間ではないけど、ちょぼちょぼ話してたね。
中上:どんな曲が好きだったんですか?
コージ:「バッファロー・ソルジャー」(※2)が好きでね。これをかけておけばご機嫌だったよ。
※1 中上健次(なかがみ・けんじ)1946(昭和21)年、和歌山県出身。新宮高校卒業後に上京、『文芸首都』の同人となる。肉体労働に従事しながら『俺、十八歳』でデビュー。第一作品集『十九歳の地図』で注目され、1976(昭和51)年『岬』で芥川賞を受賞。代表作に『枯木灘』『鳳仙花』『千年の愉楽』『奇蹟』など。1992(平成4)年8月、腎臓がんで46歳の若さで急逝。
※2 「バッファロー・ソルジャー」はボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズが1983年にリリースしたアルバム『コンフロンテイション』に収録されている。中上健次は『バッファロー・ソルジャー』というタイトルのエッセイ集を書いている。
■数多の有名人が集い、数々の伝説が残る店「AiLARA」
中上:ビール瓶事件、いつぐらいの話でしたか? 父が亡くなったのが1992年なんですが。
古田: 1983、4年頃? 中上さんは古くからお店に来てたよね。
コージ:そうだね。
中上:1984年頃、父は新宿の西口にあったマンションを仕事場として借りたんです。それからは家に帰らずに、そこで寝泊まりするようになって。じゃあその頃かもしれませんね。
古田:西口の高層ビルのそばだよね。何回か行った覚えがある。
中上:そこから歩いて来てたんですかね。そうそう、『AiLARA「ナジャ」と「アイララ」の半世紀』を拝読したんですけど、すごい面白くて! この時代に、こんな人たちが集まってこんなことをしていたんだ、という時代の流れを読み取れる、日本のカルチャー史ですよね。
泉美:もともとはポラロイドの写真のアルバムが何冊もあって、それを50周年にあたって本にしてまとめようという話だったんです。でも載せられない赤裸々な写真が多くて。赤塚不二夫(※3)さんなんて、ほぼ全部フルチンで(笑)。中上さんはネクタイをして、きちんとしてらっしゃいました。
中上:ああ、懐かしいです。この頃はまだ太ってたんですね。この後、肝臓を悪くしたことでダイエットをしたんです。亡くなる前はけっこう痩せてしまったので。
古田:脱ぐ人は決まってたの、クマちゃん(篠原勝之 ※4)とかね(笑)。お店で撮ったポラロイド写真がたくさん残っててね、それをスキャンしたんだけど、お店の歴史も残しておいた方がいいよね、となって。そうしたら当時の関係者が久しぶりに来たり、そこからいろんな人に話がつながって。それで「赤塚先生の話や漫画も載せたいよね」と話していたら、田村セツコ(※5)さんと赤塚さんの娘さんの赤塚りえ子さんが一緒にいらしたり。なんだか不思議な力を感じましたよ。
AiLARAがオープンしたのは1968年。近くにあったバー「NADJA(ナジャ)」を営んでいた真理子ママが2店目としてオープンした、ラテン音楽を流す賑やかなバーだ。ここへ美術家、映画・舞台関係者、芸能人、漫画家、作家、デザイナー、ミュージシャン、編集者などのクリエイターやその卵たちが集まるようになる。漫画家の赤塚不二夫が、まだデビュー前のタモリ(※6)と一緒に、今では伝説となっている「SMショー」を夜な夜なやっていたのもAiLARAだ。
中上:父は内田裕也(※7)さんと仲が良かったんですけど、そういう方とどうやって知り合うのかな、と私いつも思ってたんです。ここだったんですね。
古田:ここでしょうね(笑)。
中上:父が小説家だったのはご存じだったんですか?
コージ:うん。でも中上さんとは物書きの話はしなかったんですよ。音楽の話ばっかりだったから。そしてあまり家族の話はしなかったねぇ。
古田:娘さんがいるなんて思わなかった。
中上:両親は若くして結婚したんですよね、23、4歳くらいで。それで亡くなったのが私が21歳のときで、お酒を飲める年齢になってすぐだったので、父と一緒に飲みに行ってないんです。なので私が知らない面を知りたいと思っていて。小説のことだったら本を読めばわかるんですけど、こういう「人間・中上健次」のことは本の中にないですから。だから今日はとても嬉しいんです。
泉美:中上さんの『タクシーガール』はどんなお話なんですか?
中上:梁石日先生には以前からお世話になっていて、先生の作品が原作の映画『月はどっちに出ている』のプロデューサーの李鳳宇さんから、『タクシー狂躁曲』『タクシードライバー日誌』につながる作品を2人のコラボという形で、女性を主人公に作ろうというお話をいただいて。小説は全編私が書きました。先生からは「好きなように書いてよ」とおっしゃっていただいて。シングルマザーが主人公で、タクシー運転手として様々な人間と出会い、母親との確執があったり、貧困であったりなどがあるけれど、抱えているものをすべて振り切って前へ前へとひた走る彼女の強さに共感してもらうにはどうしたらよいか、私にとって初めてのエンターテインメント小説だったのでいろいろと悩みましたね。だって未来は明るくなければなりませんからね。
古田:小説のカバー、絵が宇野亞喜良さんなのね。宇野さんはよく「NADJA」にいらしてた。「NADJA」のロゴとコースターは宇野さんがデザインしたものなの。
中上:そうなんです、本を拝読したら宇野さんのことがあったので、その偶然にびっくりして。
泉美:AiLARAのロゴは浅葉克己(※8)さんがデザインしたんですけど、浅葉さんも中上さんと仲が良かったっておっしゃってましたよ。映画を一緒にやったとかで。熊野にある中上さんのお墓へ行ったら名刺入れがあって、そこに名刺を入れたという話をされてました。
中上:なぜかお墓に名刺入れがあるんですよ。父が亡くなったときに、祖父母がまだ存命だったので、お墓のことは全部お願いしたんです。でもなかなかお墓へ行けなくて、久しぶりに名刺入れを開けると虫とかが入ってて(笑)。熊野には、たくさんの方に来ていただいています。
※3 赤塚不二夫(あかつか・ふじお)1935(昭和10)年、旧満州国出身。漫画家。代表作に『天才バカボン』『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』『もーれつア太郎』など。2008年、逝去。
※4 篠原勝之(しのはら・かつゆき)1942(昭和17)年、北海道出身。芸術家・作家・タレント。自らを「ゲージツ家」と称し、鉄を使った溶接オブジェを得意としている。愛称はクマさん。
※5 田村セツコ(たむら・せつこ)1938(昭和13)年、東京都出身。イラストレーター。少女向け雑誌で作品を発表、サンリオ「いちご新聞」に創刊時からエッセイを連載中。女性イラストレーターの草分け的存在。
※6 タモリ(たもり)1945(昭和20)年、福岡県出身。タレント。ジャズピアニストの山下洋輔に見出され、赤塚不二夫らの後押しで30歳を超えてから芸能界入りした。
※7 内田裕也(うちだ・ゆうや)1939(昭和14)年、兵庫県出身。ミュージシャン・俳優。日劇ウエスタンカーニバルで本格的にデビュー。日本のロックの首領(ドン)と呼ばれる。数々の映画にも出演。2019年、逝去。
※8 浅葉克己(あさば・かつみ)1940(昭和15)年、神奈川県出身。アートディレクター。中上健次が脚本を担当した『火まつり』(監督:柳町光男、音楽:武満徹、出演:北大路欣也、太地喜和子 1985年公開)で浅葉はタイトルデザインを手がけた。また1987年に出た同名小説のカバーデザインも担当。
■ここだけ時が止まったような場所
中上:父が行っていたお店にはぜんぶ訪れてみたいと思っていましたが、ここのことは初めて知ったんです。しかもお店のイメージって話だけではわからなくて、実際に来てみないとわからないので、今回AiLARAに来られてとても感動しているんです。AiLARAは皆さんにとって、どんなお店なんですか?
泉美:どう言ったらいいんでしょうね……不思議な引力がありますよね。来てる方もいろんな人がいて、普通の人も、普通じゃなくなっちゃいますよね、ここにいる間に。平凡だった人が、お店に来ている間に人生が変わっちゃうような、そんなブラックホールみたいなところは今でもありますよね。
古田:そう、それはある。そしてこの中だけ時間が止まってるみたいな感じね。昔来ていた人がフラッと来ても、何も変わってない。時が止まってるという感じかな。コージさんはお店ができたときからいるのよね?
コージ:そう。難しいなぁ……いろんな人が来る。まあ、いろんな人が来るに決まってるけどさ(笑)。
古田:いろんな人が来ないと、店はやってられないから(笑)。
中上:私は初めてですけど、その感じわかります。ふとタイムスリップするような感覚がありますね。
古田:そうね、中上健次さんの香りもちゃんと残ってる。
中上:その後、父はお店に来たんですよね? 普通は「出禁」でしょうけど(笑)。
古田:ちゃんと仲直りしてたよね?
コージ:うん、まあなんていうことはないけど……子どもじゃないからね。悪かった、というようなことを。お互いに根に持ってるわけじゃなかったから。
中上:お話を伺っていると、ここは本当に父にとって仕事抜きの、プライベートなところだったんじゃないかって気がしますね。いろんな方がいらしてたそうですけど、父は話をしたりしてたんでしょうか?
古田:そういうのはいっぱいある。村上龍(※9)さんが来てたりとかね。いろんな人がいたし、いろんなパターンのいろんな出会いがここにはあったから。それ言ってたらもうキリがないくらいで、中上さんもその中のひとりだったの。
中上:でも本を読むとヤバい人は父だけじゃなかったんだな、父があんまり目立ってないな、と安心しました(笑)。
古田:もっと怖そうなのがいっぱいいたから。喧嘩してたのはね、長谷川和彦(※10)さんとか、内田裕也さんね。唐十郎(※11)さんもそう。中上さんはコージさんと仲良すぎてビール瓶を投げちゃった(笑)。
中上:甘えてしまったんでしょうね……。父はいつもどこに座っていたんでしょう?
コージ:今座ってるところが指定席だったよ。ここだったねぇ、いつも。バーボンのボトルを何本も置いて飲んでたよ。とにかく量を飲んでたな。ときどき「コージ、◯◯かけろ!」って言ってさ。
古田:そうね、音楽の話ばっかりしてた。あとはお酒ね。
中上:家族の話も、仕事の話もしないで、自分の好きな音楽の話をして、仲良しがいて。そういう私の知らない、いくつもの世界を持っていたんだなって思います。ちなみにコージさん、おいくつなんですか?
コージ:俺は74歳。昭和20年生まれ。
中上:父が昭和21年なので、ひとつ違いなんですね。ちょうど同じくらいの歳で、小説を書いているってことも話さないで、音楽のこととお酒を楽しんでたんですね。本当に父にとって大事な場所だったんですね。私、AiLARAのことを他の方から聞いたことがないんですよ。ゴールデン街や二丁目での話は聞いたことがあるんですけど……そう考えると、ここは誰にも教えたくない隠れ家だったんですね。
古田:歳が近くて、音楽のことが話せる相手って、もしかしたら中上さんにとっては珍しい存在だったのかもしれない。だから、好きだったんじゃないかな。中上さんは、お酒は飲まれるんですか?
中上:普通くらいですね。ビール瓶は投げませんので(笑)。
古田:(笑) 実は7月7日でAiLARAが51周年なの。でもお店は日曜日がお休みなので、5日と6日でパーティーをやるので、ぜひ来てください!
中上:はい、ありがとうございます。ぜひ伺いたいです!
※9 村上龍(むらかみ・りゅう)1952(昭和27)年、長崎県出身。作家。武蔵野美術大学在学中にデビュー作『限りなく透明に近いブルー』で群像新人文学賞と芥川賞を受賞。代表作に『コインロッカー・ベイビーズ』『愛と幻想のファシズム』『希望の国のエクソダス』『半島を出よ』など。
※10 長谷川和彦(はせがわ・かずひこ)1946(昭和21)年、広島県出身。映画監督。愛称はゴジ。中上健次の短編小説『蛇淫』を脚色した『青春の殺人者』で監督デビュー。代表作に『太陽を盗んだ男』がある。
※11 唐十郎(から・じゅうろう)1940(昭和15)年、東京府出身。劇作家、作家、演出家、俳優。劇団「状況劇場」の主宰として、新宿の花園神社境内に紅テントを建てて活動するなど演劇界を牽引。小説『佐川君からの手紙』では芥川賞を受賞。俳優大鶴義丹の父。
中上紀(なかがみ・のり)
1971(昭和46)年、東京都生まれ。作家。父は作家の中上健次、母は作家の紀和鏡。1999(平成11)年『イラワジの赤い花 ミャンマーの旅』を上梓し、同年『彼女のプレンカ』ですばる文学賞を受賞。著書に『夢の船旅―父中上健次と熊野』『いつか物語になるまで』『熊野物語』『天狗の回路』など。
古田そのみ(ふるた・そのみ)
「AiLARA」二代目ママ。初代ママ・真理子さんの娘。日本大学芸術学部映画学科シナリオコース卒業。大学の卒業論文は、AiLARAの常連だった唐十郎と野田秀樹に添削してもらったという。
DJコージ(古田晃二 ふるた・こうじ)
「AiLARA」DJ。ラテン音楽を中心に幅広い選曲を行う。初代ママ・真理子さんの弟。現在も愛犬ブラッキーと一緒に、毎週金曜日はDJブースでレコードやCDをスピンしている。
泉美木蘭(いずみ・もくれん)
1977(昭和52)年、三重県出身。小説家、ライターとして活躍。著書に『オンナ部』『会社ごっこ』『エム女の手帖』など。DJとしても活動。
http://diary.onna-boo.com
AiLARA(アイララ)
東京都新宿区新宿2-15-11 信田ビル1F
電話 03-3352-3535
営業時間 19:00~26:00(日祝休)
http://ailara.blog24.fc2.com
https://ja-jp.facebook.com/AiLARASAUDADE/
取材・文=成田全
読者プレゼントキャンペーン
2019年7月7日(日)の「AiLARA」51周年を記念して、中上紀さんの『タクシーガール』と『AiLARA「ナジャ」と「アイララ」の半世紀』の2冊セットをプレゼント! 応募方法はダ・ヴィンチニュースのTwitter公式アカウントをフォローし、該当のツイートをRTするだけ!
(1)Twitterでダ・ヴィンチニュースアカウント(@d_davinci)をフォロー
(2)本記事を紹介したツイートをRT
(3)RTした方の中から抽選で2名様に2冊セットをプレゼント!
【応募締め切り】
7/月10日(水)23:59まで