大都会の代名詞・新宿。開業当時の新宿駅は町はずれの雑木林から始まった?
公開日:2019/7/20
NHK朝の連続テレビ小説『なつぞら』で、北海道から上京した主人公「なつ」は新宿で生活を始める。そこに描かれた昭和30年代の街並みは、流石NHKだと思える再現度だ。小生も上京したばかりの頃はたびたび新宿へと出向いていた。テレビでお馴染みだった新宿アルタや、歌舞伎町の雑踏、有名家電量販店が集合しているのも面白かった。しかし、『なつぞら』で描かれた新宿の光景とはやはり違うもの。どのような経緯で今の姿になっていったのだろうか?
そんな折に見つけた一冊が『新宿の迷宮を歩く 300年の歴史探検』(橋口敏男/平凡社)である。本書は新宿駅を中心に、新宿という街一帯の歴史を一挙に紹介。元は宿場町として整備された地なのだが、明治時代に駅が出来てからの発展は、都庁を抱えながらも歌舞伎町という一大繁華街があるという、雑多で混沌とした今の新宿を形づくる元となった。
まずは新宿駅の誕生から紹介したい。明治18年3月1日に日本鉄道品川線(現在のJR山手線)の駅として、当時の宿場町「内藤新宿」から離れた甲州街道と青梅街道の間にある雑木林に開設される。住民から反対の声があり、そんな場所になったのだ。当時の人々には、煙を上げて走る蒸気機関車は脅威に感じられたと聞いているが、その影響だろうか。また、今の過密ダイヤからは想像できないが、その頃は貨物輸送が主でしかも1日3往復しかなかった。現在とはまったく事情が異なる時代である。
だが明治45年に西口(現在の小田急ハルク一帯)へタバコの専売局が移転すると、通勤の女性工員が集まり、通勤ラッシュが始まる。大正時代になると乗り合いバスも登場し、市電とともに新宿を起点・終点としたため、さらに乗降客は増加した。しかし大正12年9月1日、関東大震災に襲われ都内も甚大な被害を受ける。それでも新宿のある西側は比較的被害が少なく、焼け出された人たちも集まり人口が急増。駅舎も鉄筋コンクリート製2階建てになり、ターミナル駅らしくなっていく。
駅が発展すれば、その周辺も賑わうもので、本書は代表的な3つの老舗を挙げている。まず新宿駅開業と同じ年に、果物専門店として知られる「新宿高野」が開業。当時は繭仲買と古道具を本業としており、果物販売は副業だった。大正期に入ると「紀伊國屋書店」が誕生。ここも当時は書店ではなく炭の販売を手掛けていたという。新宿を代表する老舗の両店が、共に当初は違う業種を営んでいたというのは面白い話である。
そして、カレーや中華まんでお馴染みの「中村屋」も明治の終わりに新宿へ進出。最初は都内文京区本郷でパン屋を営んでおり、移転後に菓子や缶詰なども手掛けるようになった。また、ポピュラーな菓子パンであるクリームパンは、ここが元祖だという。そして昭和2年に喫茶部レストランを開設したのだ。
先述の『なつぞら』では、主人公の「なつ」は新宿のベーカリー兼カフェ「川村屋」に住み込み、生活を始める。この「川村屋」のモデルは、やはり「中村屋」なのだろうか。NHKが公式に発表している訳ではないが、店名やインドカレーが名物という設定などを考えると、ありえそうだ。
本書は新宿駅界隈の他にも、宿場町だった頃の様子に、昭和の高度成長期における街の変遷、歌舞伎町の由来などのほか、文化的側面からも掘り下げている。また、実際に街を歩いて楽しむガイドを各章に設けているので、新宿初心者だけでなく普段から通っているという読者も、本書片手にそこを歩けば、きっとこの街への愛情が深まるだろう。
文=犬山しんのすけ