郵便物に交じった謎の写真…これってトラブルの前触れ?/『おいしいベランダ。 午前1時のお隣ごはん』②
更新日:2019/7/28
進学を機に一人暮らしを始めた大学生の栗坂まもりは、お隣住まいのスーツの似合うイケメンデザイナー亜潟葉二に憧れていた。
ある時ひょんな事からまもりは葉二に危機を救ってもらうのだが、それは憧れとはほど遠い、彼の真の姿を知る始まりで……!?
ベランダ菜園男子&野菜クッキングで繋がる、園芸ライフラブストーリー。
最寄りの練馬駅から池袋まで、快速で十分足らず。
ラッシュはさすがに窮屈だが、駅から歩いている時間の方が、長いぐらいだ。
練馬区は戦後になって板橋区から独立した、二十三番目の特別区だ。俗に言う東京二十三区の、一番最後の区ということになる。
当時の土地の七割は農地だったそうで、今でこそ私鉄に加えて地下鉄の乗り入れで、都心部への通勤通学は格段に便利になったが、のんびりした緑の多い街という印象はそのままだ。
駅の周辺を離れてちょっと奥に行けば、公園どころか現役の農家の畑にお目にかかれる。このあたり、川崎の重工業地帯で育ったまもりにしてみれば、ずいぶんと意外で息のしやすい環境だった。
しかしまだなんにも、この街の探検ができていない。
先月末にはじめた書店バイトのお給料がたまったら、可愛い自転車でも買って、通学やポタリングをしてみるのも手かなと思っている。
「――野菜食べてるかって?」
「うん。湊ちゃんはどうしてる? 料理とかしてる?」
一限目の語学の授業には、大学で最初に仲良くなった友人、具志堅湊がいる。
湊は目鼻立ちがはっきりした沖縄美女で、最近ようやく電車で移動する生活に慣れてきたらしい。学部も同じ文学部だ。
まもりと同じく親元を離れ、寮暮らしの身。何か参考にできることはあるかと思ったのだが。
「そーんなの、無理言わないでって感じさねー」
彼女は南国出身らしいおおらかさで、ケラケラと笑った。
「あ、無理は無理なんだ」
「無理だって。うちの部屋のちっちゃいIHのコンロ一個じゃ、お湯わかすので精一杯」
「だよねえ」
「おじいやおばあと一緒に暮らしてた頃ならともかくさ。無理してキャベツとか買っても、食べきれないし。バイトとか歓迎会が続いて、久しぶりになんか作ろうかって冷蔵庫開けたら、奥でしなしなになってるの見つけて萎えたり」
「わかるわかる! そうなのよ!」
「だからもうだめだー、お肌カサカサで栄養足りてないさーって思った時は、できるだけバイトの賄いで補充することにしてる。あとは野菜ジュース?」
「……う。うちのバイトは賄いもないや……」
職の選択を誤っただろうか。
「ビタミンのサプリとかあるけど、あれって何をどんくらい飲めばいいの?」
「さあ。というか高いでしょ、サプリ。野菜買った方がよっぽどまし」
「でも腐るんだよ」
「そうそう持てあますさー」
そして当初の問題に立ち返るのである。
「なんかしけたこと話してんなー、具志堅も栗坂も」
まとめて笑い飛ばしてくれたのは、後ろの席にいた男子学生だった。
この授業ではよく顔を合わせる、法学部一年の小沼周だ。
お隣にいる眼鏡男子の、佐倉井真也とよく連んでいて、周の方はとにかく陽気でよく喋る。
「野菜が腐ってもったいないって言うなら、俺に食わせてくれよ。弁当とか。俺いつでも待ってるから。カモーン」
「図々しいさあ、実家暮らしが一人暮らしにたかろうっての?」
「ひでー。差別だ」
なんでも高校時代は、放送部に在籍していたそうで、比較的がっしりとした体格も相まって、ライブ用のアンプかスピーカーが、そのまま喋っているようなイメージだ。
今は湊と同じ映画鑑賞サークルに入っているらしく、その周と湊が、遠慮なく言葉のボールを投げ合っている横で、まもりは真也に聞いた。
「佐倉井君は、自炊とかする? 野菜食べてる?」
確か彼も、仙台から出て来て、一人暮らしだったはずだ。
しかし真也の方は、常に陽気な周の陰に隠れるように寡黙で、なんだかとらえどころがない。
意外と綺麗な顔をしているのだが、今のところ彼と一対一で一番長く話したのが、英会話のロールプレイでジョニーとリンダの役をふられ、拙い英語で会話した時ぐらいという体たらくである。
確かあの時真也は、熱帯魚が好きだと話していたが、あれはジョニーとして話したのか、真也本人の趣味なのか、いまだに確かめたことがない。
「……料理は、あんまりしない」
「そう。外食?」
「金ないし、家でカップ麺とか、安い牛丼とか」
「栄養偏ってるなあって思った時は?」
真也は、まもりの質問を受け、眉の根を寄せた。
熟考のあげく彼は、
「……気合いを入れる?」
そう答えた。
「気合い」
「そう。気合い多めで」
ひどく真剣かつ、シンプルな回答だった。
みんな唸った。
「……そう言われると、それでいいような気もしてくるね……」
「プライスレスだしね」
「気合いいっとく?」
「きあーい」
「おいおい、真剣に検討すんなよおまえら」
思わず流されそうになるぐらい、真也の回答は魅惑的だった。主に手間暇がかからないという点で。
かめはめ波のような謎気合いポーズを取る湊が、一転して周の机に頬杖をついた。
「だって小沼ぁ。ほんとに一人で暮らすって、めんどくさいさあ。楽だけどやることも多いって言うか」
「ああ吹いてるぞ吹いてるぞ。具志堅サマから先輩風がびゅーびゅー吹いてるぞ」
「湊ちゃんの言う通りだよ。わたしもまさか、メールボックスのいたずらに悩む日が来るなんて思わなかったよ……」
ついでに付け足したら、みんなの視線がいっせいに降り注いだ。
「なにそれ」
「え。うん、べつにそんな、大したことじゃないんだよ。たまーにね、一階のメールボックスに、変なチラシが入ってたりするんだ……」
「エロ系?」
「そういうんじゃなくて……ほんとによくわからない感じ。あ、待ってて。今日は現物があったはず……亜潟さんのおかげで……」
ちょうど出がけにメールボックスを覗いてきたおかげで、他の郵便物ごと、鞄につっこんで来たのだ。
寿司やピザの出前のチラシ、通販の払い込み票に交じって入っていたのは、A4半分ぐらいのコピー用紙に印刷された、モノクロの写真である。
現物を目にした湊が、怪訝そうに顔を近づける。
「え。何これ……」
「たぶん練馬駅北口の、駅前広場だってことはわかるんだけど、あとは何がなんだか……」
もともと画素数の少ない写真を、むりやりモノクロで印刷し、さらにはコピーを重ねているようで、線のほとんどが潰れてしまっている。
駅前広場のモニュメントである、ガラスのピラミッドの周りを、大勢の人が行き交っているのはわかるが、それ以上はさっぱりだ。かろうじて見分けがつく人の顔にも、見覚えはまったくない。
周と真也にも、チラシが回った。
「実は栗坂を撮った盗撮写真とか?」
「ちょっ、怖いこと言わないでよ小沼」
「……うん、実はそれも考えたんだけどね」
「考えたんだ」
ぎょっとした顔で湊に言われるが、どうしたって可能性は考えてしまうだろう。
「ただねえ、そのセンはないと思うんだ」
「本当に? この潰れて判別つかないところとかに、交じってないか?」
「そうじゃなくて、この写真よく見てよ、小沼君。みんなダウンとか冬服着てるよ」
「あ……」
ようやく周は、まもりが何を言いたいかわかったようだった。まもりはうなずいた。
「このピラミッドにも、なんか飾り物がついてるし。昼間の写真だからわからないけど、クリスマスのイルミネーションかなんかじゃないかな。わたしが練馬に越してきたのって、三月の末だよ。十二月は川崎の家から出ないで、センターの追い込みしてた」
つまりどうやってもこの写真に、まもりは写りようがないのである。
「確かに意味わかんねえな……」
「もしかしたら、わたしに向けたものじゃないのかもしれない。あのマンションの不特定多数に入れてる、チラシなのかなって」
「だったら、管理人さんに聞いてみればいいんじゃないの? 苦情が上がってるかも」
「……やっぱりその方がいいと思う? 湊ちゃん。別に実害とかは、なんにもないんだけど」
「なんでそこで渋るのよ」
「渋ってるわけじゃ……ただうちのマンション、管理人さん常駐じゃないんだよね。わたしが帰る頃には、いつもいなくて……こう、ずるずると時間が……」
管理会社も土日は休みで、なおさら電話をかけにくいのである。そして今になってしまった。
ああ、なんだかみんなのこちらを見る目が、とたんに冷たく感じる。
「まもり。気持ちはわかるけど、そこはがんばろうよ」
「ああ、がんばっとくとこだ」
周にまで、哀れみの目で見られてしまった。穴があったら入りたい。
「…………はい。わかりました。次、管理人さんに会えたら必ず」
「会えたらじゃなくて会うの。時間作るの」
「うう。善処します……」
そこまで言ったところで、語学の外国人講師が、教室に入ってきた。
話はそこで、いったん終了となった。周からチラシを返してもらい、英語のテキストに頭を切り替えたのだった。
「――栗坂」
計九十分の講義が終わり、湊と一緒に教室を出たところで、まもりは名を呼ばれた。
誰かと思えば、佐倉井真也が、走って追いかけてくるところだった。
まわりに周はいなくて、真也だけのようだ。
「……どうしたの、佐倉井君」
しかし真也は真也で、こちらに追いついたはいいものの、どう切り出していいか迷っているようだった。かけていたハーフリムの眼鏡をおさえながら、
「あの。さっきの件」
「さっき?」
「写真。チラシの」
そこまで言われて、授業前の雑談の件だとわかった。
「うん、チラシがどうかしたの」
「……ちゃんと相談しとけよ」
「するよちゃんと。管理人さんに確認でしょう」
「それだけじゃなくて。警察とか」
「け」
さすがにそれは、大げさではと思った。
「俺、法学部入ったし。まだ基礎の基礎で、なんにも専門的なこと教わってないけど、刑法とか興味あって。ストーカー規制法とかあるし。相談するだけならタダだから。ほら」
「わ、わかったよ。教えてくれてありがとう」
わざわざ自分のスマホを取り出して、まもりに法律のページを見せてくれたので、とりあえずお礼を言った。
真也は言うだけ言って満足したのか、最後に「気をつけろよ」とだけ念押しして、去っていった。
そんな一部始終を後ろで見ていた湊が、子泣き爺のようにのしかかってきた。
「……そこで見せちゃうのがウィキペディアってところが、佐倉井クンのあれなとこだよね」
「湊ちゃん、重い……」
「普通自分のアドレスでしょ。怖くなったらいつでも連絡して。キリッ、みたいな」
「いやいや、ありがたいよ、ほんと……」
どうでもいいが、走り去った真也の背中に、気づいたことがある。
背負っていたリュックの金具に、革細工のアロワナがぶらさがっていた。
熱帯魚好きはジョニーの趣味ではなく、彼の趣味のようだ。
そして。今度こそ寄り道をしないで早めに帰宅した結果、見事管理人さんを捕まえることに成功したまもり。
チラシの一件を話したものの、そんな苦情はまったく上がっていないと言われてしまうのである。
1999年度ノベル大賞佳作受賞を経てコバルト文庫よりデビュー。以降、少女小説、ライトノベル、漫画原作など多方面で活躍