ストーカー男から救ってくれた隣人のイケメンと急接近!? だけど…/『おいしいベランダ。 午前1時のお隣ごはん』④

文芸・カルチャー

公開日:2019/7/30

進学を機に一人暮らしを始めた大学生の栗坂まもりは、お隣住まいのスーツの似合うイケメンデザイナー亜潟葉二に憧れていた。
ある時ひょんな事からまもりは葉二に危機を救ってもらうのだが、それは憧れとはほど遠い、彼の真の姿を知る始まりで……!?
ベランダ菜園男子&野菜クッキングで繋がる、園芸ライフラブストーリー。

『おいしいベランダ。 午前1時のお隣ごはん』(竹岡葉月:著、おかざきおか:イラスト/KADOKAWA)

「――はあ、なんだよおい。関係ないだろ、殺すぞ!」

 ひときわ大きく響いた男の怒声に、ぞっとした。

(殺す!?)

 冗談じゃない。そんなの駄目。

 まもりはベランダからリビングへと飛び込み、廊下を走って、玄関のドアを開けた。

 恐ろしいことに、かけたかどうかわからなかった鍵は、かかっていなかった。

「亜潟さん!」

 共用廊下に顔を出すと、右隣の部屋のおじさんも、そのまたお隣の若夫婦も、表に出てきていた。

 そして、スーツの上着を脱いだ状態の亜潟葉二が、長髪男の関節を逆に決めて、床に押し倒していた。

 男は組み敷かれた格好のまま、すがるようにまもりを見上げてくる。

「いてえ……痛いよ。助けてって涼子」

 まもりは首を横に振り続けた。

「ちがう。わたし、涼子じゃない」

「嘘つくなよ。なあ涼子」

「――栗坂さん。とりあえず、110番して。やばいのは間違いない」

 葉二に言われ、まもりはハッとした。

 大慌てで、スマホを取りに走り、生まれてはじめてかけた、110番通報。

 通報の後も、若夫婦はずっとまもりの側にいてくれ、白髪頭のおじさんは、葉二と一緒になって、男の確保につきあってくれた。

 パトカーでやってきた二名の警察官が、まもりたちのフロアに上がってきたら、長髪男が大声で泣きはじめた。

 すいません、ごめんなさいとひたすら謝り続け、さきほどの怒りや暴言が嘘のようだった。

「涼子が、涼子がいけないんだよ……」

 だからわたしは、涼子ちゃんじゃないのに。

 言いたい言葉はなかなか出てこなくて、それでも警察の手に男の身柄が引き渡されると、心底ほっとした。

 お守りのように握りしめていた、通報したスマホと一緒に、その場にしゃがみこんでしまう。

 その肩を、後ろから誰かが叩いた。

「……もう大丈夫だよ、栗坂さん」

 葉二だった。

 ――終わったんだと、ようやく思えた。

***

(うわ……もうこんな時間?)

 警察署の建物を出て、あらためて現在時刻を確認してぎょっとする。真夜中というか、もうあと少しで明日だ。

「いま、何時?」

「に、二十三時五十二分です。亜潟さん」

 まもりの頭越しに、スマホの画面をのぞき込まれ、あわてて答える。

「けっこうかかるものなんだな……当たり前か」

「すみません、こんなところまでおつきあいいただいて」

「……まあ、乗りかかった船だから」

 淡々と葉二は答える。

 簡単に言ってくれるが、本当に彼にとっては、余計な手間だろう。

 まもりがベランダの隔壁越しに出した、SOS。もしあれをスルーされていたらと思うと、今さらながらぞっとしてしまう。

 葉二はまもりを助けた上に、こんな時間まで、警察の聴取につきあってくれた。

 上着なしのワイシャツの背中を、できることなら拝みたい。むしろ許されるなら、飛びつきたいぐらいだ。

(落ち着け、わたし。それじゃ変態)

 あまりに刺激的なことが連続でありすぎて、情緒がおかしくなってきている。その自覚はあった。

 あの逮捕現場に立ち会ってくれたご近所さんと、その後に行った練馬警察署で聞いた話を総合すると、いくつかわかったことがあった。

 あのまもりにつきまとっていた長髪ストーカーは、もともとの住人である栗坂涼子の方に、執着していたらしい。

 毎度メールボックスに入れてきたチラシの写真は、涼子がSNSに投稿していたもので、ネット上で偶然それを見かけたところから、つきまといが始まったのだそうだ。

 写真はすぐに削除されたものの、無断でアップされたことに対する謝罪だの落とし前だのと言った因縁を、男はずっとつきまとって付けていたというのだから、恐ろしい話だった。

『ただねえ、栗坂さん……あなたの従姉妹なんですって? 彼女、ぜんぜん気にしてなくて。普通なら怖がるような待ち伏せとかされても、うるさいとか失せろとか罵詈雑言で切り捨てて、おしまい。取り付くしまもない感じだったの』

 というのは、二つ隣の若奥さんが教えてくれた情報だ。

 いかにもタフで大ざっぱな涼子らしい対応だが、今はその大ざっぱさが恨めしい。

 教えておけ、そんなどでかい問題を置いていくのなら。

 涼子の塩対応に、マゾヒスティックな快感さえ覚えていたストーカーの方も、中の住民が入れ替わっているとも知らず、まもりがまるで初対面のような恐がり方をしたものだから、逆上のスイッチが入ってしまったらしい。これは、さっき聞いた警察筋の情報だ。

 まるでも何も、本当に初対面だったのだが。

「ほんとに、涼子ちゃんがあんまりっていうか……どうしてこんな重要なこと教えてくれなかったんだって感じです……」

「まあ、そこは仕方ないと思うしかない」

「思えませんよ」

「まさか君と栗坂さんを、ストーカーが取り違えるなんて思わなかったんだろう」

「……それは」

「元の栗坂さんは、君と違って大人の女性だったし、色で言うなら濃いめのシグナルレッドみたいな雰囲気だったろう。普通は間違えない」

「ええまあ、そうなんですけどね……涼子ちゃんみたいな華のある美人と、わたしを比べるなんて、おこがましいっちゃおこがましいんですけど……」

 それでもはっきり言われてしまうと、ちょっと辛いというか傷つく。

 涼子とまもり。

 年はかなり離れているが、骨格や目鼻のパーツは、父方の祖母そっくりだと、親戚一同から太鼓判を押されている。しかし、美人の賞賛を一身に集めてきたのは、涼子の方だ。

 年始の集まりで親戚に言われるのは、『まもりちゃんはこれからよ』『今だってシルバニアのうさぎちゃんみたいで可愛いわよ』といったたぐいの慰めだ。

 そしてその横では、すらり八頭身のバービーみたいな、完成系の涼子が君臨しているのである。

 成長期も過ぎた今となっては、シルバニア(動物)がバービー(人類)になれる日など来そうにないとわかっている。

 葉二と並んで夜道を歩きながら、やや葉二の方の間があいた。

「……むしろ俺は、同じパーツでここまで他人に与える印象が違うのかって、そういう話をしてるつもりなんだが……」

「はあそうですか。だから月とスッポン、薔薇とぺんぺん草とか、そういう話ですよね」

「……認知の歪み、か……」

「人参の歪み?」

 はあっ、とため息をつかれた。たぶんかなり本気で。

 まもりでもわかる。今のは呆れられたか、可哀想な子扱いをされた感じだ。

 亜潟さんって、実はけっこう……意地悪だろうか。

 クールでスタイリッシュな紳士を想像していたのだが、その予想図に、細かなヒビが入っていくような。

 元のマンションに戻ってきて、まもりは真っ先に「うっ」と顔をしかめた。

 一階エレベーターの前に、自分がぶちまけたコンビニのサラダもろもろが、袋ごとそのままになっていた。

「……亜潟さん……これ、明日になってから掃除してもいいですよね……」

「夜食の買い出しだったのか?」

「いえ。もろ夕飯、のつもりでした……」

 ため息が出てくる。

 袋入りのカット野菜と、ヨーグルトはともかく。ドレッシング入りの春雨サラダは、べっとりとタイルやコンクリートの溝にまで張り付いてしまっている。

 早いうちに取り除いた方がいいのだろうが、今日はもうくたくただ。勘弁してもらいたい。

「じゃあ、夕飯抜きか」

「大丈夫です。キムチのパックと、ノリと切り餅がまだ……」

 またもや、頭の上でため息をつかれた。

「いくらなんでも、侘びしすぎるだろう。なんならうちで、食べていくか」

「え」

 まもりは、愕然と顔を上げた。

 ――今、なんとおっしゃいました?

 葉二はあくまで平然と、整った顔立ちをこちらに向けている。

「い、いいんですか?」

「ちょうど食事の支度をしていた途中だったんだよ、そっちに呼ばれた時が。個人的に祝杯あげたいことがあったんだけどな。もう今から一人ぶん作るのも、二人ぶん作るのも、手間は一緒だ」

 だから来てもいい、ということらしい。

 しかし――。

「心配しなくても、食事だけだから。ここでどうこうするなんて思われても、俺の方が困る」

「あ、いえ別に。そういうことでしたら、お言葉に甘えてぜひ……」

「じゃあ、決まりだな」

 葉二が言ったところで、エレベーターが一階にやってきた。

 中に乗り込みながら、遅れて『たいへんだ』と興奮がこみあげてくる。

 まさかこんな形で、亜潟さんお宅訪問が実現するとは思わなかった。

 やはり想像してきたように、モノトーンを基調とした家具に、低めの音量でジャズなのだろうか。それとももう少し違うテイスト?

 あれこれ考えているうちに、エレベーターが、五階に到着した。葉二が五○二号室の鍵を回し、ドアを開ける。廊下の照明がついた。

 どきどきしながらお邪魔したお宅の間取りは、まもりの部屋を左右反転させただけで、ほぼ同じのようだった。

 リビングに入った第一印象は――『緑』だ。

 びっくりするほど、グリーンが多い。

 家具やカーテンの色の話ではない。部屋のそこかしこに、植物のグリーンがあるのだ。生きている植物の葉。茎。茂るグリーン。

 窓辺に近いテレビボードの脇にも、水槽のようなガラスの温室が置いてあり、中で小さな植物たちが葉を茂らせている。

 だが、むしろこの部屋そのものが、植物のための温室ではないだろうか。

「ちょっと着替えてくるから、適当に待っててくれるか」

「あ、はい!」

 葉二が寝室へ消えていく。まもりはとっさに返事をするが、目は周りの植物たちに釘付けだった。

 ――驚いた。まさかのナチュラル系だったとは。

 モード系の見かけに寄らない、意外な展開もあったものだ。

 まもりが腰掛けたソファ自体は、黒革と金属フレームでできた重厚なものだった。そこで目に入るローテーブルの上には、ショットグラスに半分まで満たされた水。そしてそこにも数本の植物が挿してある。

 まあなんというお洒落……と顔を近づけたまもりは、はたと止まった。

(なんだろう……わたしにはこれが、三つ葉を切ったやつにしか見えない……)

 三つ葉だ。雑炊やお雑煮の上に散らしたりする、あの薬味の三つ葉だ。それの根っこに近い部分だけを、グラスに生けてあるような。

 根っこの部分に、それぞれ四角いスポンジがくっついている所もそれっぽい。

(う、ううん。そんなわけない。あの亜潟さんにかぎってそんな)

 きっとまもりが知らないだけで、この三つ葉もどきにだって、カタカナで長そうな、シャレオツな名前がついているに違いない。ジャーマン○○とか、イングリッシュ○○とか。きっとそうに決まっている。

「――飲み物だけでも、先に開けておくか? ビールは?」

「あ、お気遣いなしでけっこうです。わたし十八なんで……」

「え、未成年か」

 これ以上失敗したくないと、アルコールを辞退したまもりに、この世の終わりのような声を出した葉二。そんな彼を振り返ったまもりは、また目を丸くした。

 ――亜潟さん?

<第5回に続く>

著者プロフィール:竹岡葉月
1999年度ノベル大賞佳作受賞を経てコバルト文庫よりデビュー。以降、少女小説、ライトノベル、漫画原作など多方面で活躍