【ひとめ惚れ大賞】 哲学を求める時代は不幸なのかもしれません『いつもそばには本があった。』國分功一郎インタビュー
公開日:2019/8/11
本書は僕が新聞連載していた「半歩遅れの読書術」に編集者の互さんが興味をもってくれたことから始まりました。一つの本を巡っていろんなものが浮かび上がってくる感覚が面白い、これを一緒にやってみないかと。互さんとは長い付き合いで、僕のデビュー作、ジャック・デリダ『マルクスと息子たち』の翻訳書から一緒に仕事をしています。特に『ドゥルーズの哲学原理』は互さんが「絶対に書くべき」と背を押してくれたから書けた本。「これが面白くなかったらもう國分君と付き合わない」とも言われましたが、幸い今も付き合いは続いています(笑)。
僕と互さんは読書の姿勢がけっこう違って、互さんはとにかくたくさん読むんです。でも僕は楽しみのために読むというより、目的のために読むタイプ。『暇と退屈の倫理学』という本も書きましたが、すぐ退屈しちゃうんです。だから常に面白いと思えるテーマを探している。もはや病気みたいなものかもしれません。それでテーマ/目的が見つかると、一気に集中して読むわけです。
本書は哲学書も多く登場しますが、哲学という言葉がよく使われるようになったのは、ここ10年ほどだと感じます。今は求められるフレキシビリティの要求が高すぎるため、みんなが困惑して、確固とした何かを求めている。産業革命のとき心神耗弱が増えたといいますが、現代に鬱が多いのも同じ現象かもしれません。「英雄がいない時代は不幸だが、英雄を求める時代はもっと不幸だ」というブレヒトの言葉ではありませんが、哲学を求める時代は、哲学が骨董品のような扱いだった時代より不幸かもしれませんね。
このような自分が感じている問題意識が世間でも共有されうるということは、本を書いてはじめて実感しました。だから証言という意味でも、本にして残していくべきだと思います。みんな驚くほどすぐに忘れてしまいますから、何でも書いて残しておかないと。
|| お話を訊いた人 ||
國分功一郎さん 千葉県生まれ。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。専門は哲学・現代思想。著書に『スピノザの方法』(みすず書房)、『中動態の世界』(医学書院)などがある。今夏、晶文社から『原子力時代における哲学』が刊行される。
取材・文/田中裕 写真/首藤幹夫